河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1343- ラ・ボエーム 千秋楽2012.1.29 新国立オペラパレス

2012-01-30 20:13:53 | インポート

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2011-2012シーズン(一覧)
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2012年1月29日(日)3:00-6:00pm
新国立劇場、オペラパレス、初台
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プッチーニ ラ・ボエーム
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ミミ、ヴェロニカ・カンジェミ
ロドルフォ、ジミン・パク
マルチェルロ、アリス・アルギリス
ムゼッタ、アレクサンドラ・ルブチャンンスキー
ショナール、萩原潤
コッリーネ、妻屋秀和
べノア、鹿野由之
アルチンドロ、晴雅彦
パピニョール、糸賀修平
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新国立劇場合唱団
TOKYO FM少年合唱団
コンスタンティン・トリンクス指揮
東京交響楽団
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昔、仕事場で、後ろの席に座っていたW.フォークが「お河童さん、今日オペラいけなくなったんで、チケットあげるよ。」といって初めて観たイタオペがこのボエーム。ワーグナー物とかは既に観ていたが、たまにはイタオペも観ないといけないなぁといくことにした。メトは通常8時スタートなのでいつも通りいったん家に戻り、ご近所のリンカンセンターに日参していたのがかれこれ何十年前の話になるのかな。
当時のボエームは当然のことのようにゼッフィレルリ。このゼッフィレルリ・プロダクションは第2幕で乗せれるだけの人と動物を乗せてしまおう、多ければ多いほどいい。というスタンスで、人間300人ぐらい、動物が何頭と何匹、それに大道具小道具、メトの上下移動式舞台によくあれだけの頭数が乗ったものです。底が抜けたらそれこそ奈落の底へ全員まっさかさまだったでしょうね。今このプロダクションは映像で見ることができますけれど、生観(なまみ)の迫力はメトのオペラ・ゴアーズにだけ許された特権だったと思う。
特権と言えば、ザンドナイのフランチェスカ・ダ・リミニの火、ムソルグスキー(ショスタコーヴィッチ編)のホヴァンシチーナの火、ワルキューレの火。ワルキューレはあの火にワンナイトで10万ドルだか毎度かかるという話でしたね。(オットー・シェンク・プロダクション)どれも消防車待機の公演。全部、オペラ・ゴアーズ特権の生観体験だったんです。
それで、ボエームの第2幕は異常な人と動物であふれかえりカフェ・モミュスの騒ぎどころではなかった。でもこれは第1幕があって奏功したところもある。ゼッフィレルリは第1幕をあらん限りのみすぼらしさにしようとしました。第2幕との強烈な対比。これ以上ないと言えばそうかもしれない屋根裏部屋ストーリー。こういってはなんですが、あまり使い物にならない屋根裏部屋、そこに住む人たち。ストーリーとしてもちっぽけなもの。この小さなストーリーにこれ以上ないプッチーニの泣き節全開モード。だから第2幕への転換はアタッカでなければならない。転換はスピーディーでなければ効果は半減。舞台転換は速ければ速いほどいい。
ろうそくと鍵でどちらがモーションをかけたのかわからない(お針子さんの方だろうね)、このちっぽけなきっかけが悲劇の始まりです。あまりにみすぼらしくも哀しい、どうでもよくないよ、人の心のひだ、あや、そして機微や喜怒哀楽。100人いれば100のストーリーがある。そのような小さなところにつけたプッチーニ節。この第1幕から一気に第2幕への爆発。爆なト系演出の効果はてきめんでした。(ちょっとだけ今日の公演のことで付け加えると、この第2幕のムゼッタとマルチェルロががまんならず抱き合う場面、爆な体当たり、双方よくぶっ飛びませんでしたね。リアル演技でした。)
そして第3幕で「春、暖かかくなったら別れよう。」何とも切なくて哀しい歌詞が弧を描くツーショット二組の絶唱で一段と映えます。ミミが天国に行く前に別れよう、二人ともわかっていながらの絶唱が弧を描く。このオペラで一番好きな第3幕。何度観ても泣ける。ゼッフィレルリはこの場面、舞台を横に大きく使いこの二組のデュエットが悩みの大きさの違いはあるけれどそれぞれ人生の別々のことで悩みもがいている様を近くに遠くに表現する。第2幕の雑踏から開放された静かな雪の夜です。最初と最後の二つの打撃音が心に杭を打つ名場面でしょう。
そして第4幕の、プッチーニ一流の単旋律泣き節全開モードがピアニシモで場を鎮める。見事な音楽というしかない。人を黙らすにはこれ以上雄弁な材料はないのだよ、プッチーニが耳打ちしている。
ミミが亡くなってもストーリーは少し続く。コラージョ。
ここの場面はヴェルディのトラヴィアータを想起させずにはおかない。ああ、あたしの体が軽くなる。といったときヴィオレッタは天国の人、あとの流れはご本人が天国から見た自分を見ながら歌っているといったら言葉のあやが過ぎるでしょうか。
ボエームを観るといろんなことが思い出されます。

ということで、ボエームの千秋楽。
この日まず一番にあげたいのがオーケストラの素晴らしさ。伴奏は東京交響楽団で、非常に能力が高くキッチリと整理整頓されたアンサンブルが耳を惹きました。指揮者の求めるところでもあったかと思います。プッチーニの曲は黙ってても泣く。だからあとはキッチリと合わせることに労を向ければいい。そんな感じだったのかもしれません。バルビローリなんかと正反対の方針だったかも。でもこの日の演奏はそのようなことを忘れさせてくるほど気持ちよく整理整頓されておりました。多少の混乱は「生きている動物オペラ」にはつきものなので、乱れをいかに短いフレーズで取り戻すか、それも立派だったと思います。
第1,4幕冒頭は前奏なしで同じ音型が奏されますけれど、ここでだいたいわかる。ブラスの意識レベルの高さ。あとはいたるところに現れる弱音のウィンド・アンサンブルの見事さ。越えて几帳面なたたずまいの弦がこの日の上演を引き締めていたのは言を待たない。
歌の方は、ロドルフォをはじめどうも一発勝負をしてこないもどかしさ、ロドルフォがしかけてきたらほかの三人も前のめりになってきたと思えるだけにちょっと残念でした。最初のアリアで決めてほしかったですね。
みんな個々人が自分の能力を発揮することに力を注いでいたように思えます。ですので、一人ずつをみればわるくはなくてそれぞれの力を発揮していたと思います。ムゼッタは場の雰囲気をよく変えてくれました。というよりもこのような体当たりが新たな場を生んだといえる、ロドルフォに求めるものはそのようなものなんですよ。ムゼッタはおしなべて、衣装、面構えがシックに古風に自然に決まっておりましたよ。「足が痛い、ここらあたりが」このめくりシーンはもうちょっとだけテンポを落としてもよかったかな。
総じて楽しませてもらいました。横幅のない小屋なので多少の窮屈感はがまん。メトなんかと違うところは、小屋サイズだけでなく、平土間(いわゆるオーケストラ)と呼ばれる一階席の位置が非常に高いこと。初台では一階席で見上げるような場所はありません。どっぷりと一階席から舞台を見上げる感じの空間であれば、響き自体もっと余裕のあるものになっていると思います。一階席から四階席まで全部、下を見る感じなんですね。
オケピットのサウンドは真上に向かい反射し真下の高い位置の一階席に速めにぶつかってしまう。なんで、舞台から席にストレートに聴こえるはずの歌手の声がオケサウンドの響きの遮幕にぶつかってしまう。この日は4階席の中央寄りのバルコニー席に座りましたが、これら問題がここだとあまり感じられない。オケ、歌い手、ともに反射前のサウンドがダイレクトに聴こえてくる。そんな感じで、席位置としては、あたり、だったと思います。上演中、地震が少しクラクラやってきて、もしかしてほかの席よりは揺れがあるのかなとは思いましたけれど。

第1幕の重唱含めたアリア三連発が始まるまでの前置きが長いと思ったことはありませんか。昔だったら第1幕はこの三連発だけで十分だと思っておりました。でもこのオペラは悲劇一辺倒なものではなくて悲喜こもごもとした市井の生活、だからアリアだけを待っていては、多くのものがむなしく通過していく。ストーブにくべる紙を引きちぎるところを音楽で表現しているといったあたりの擬音効果的な要素の御託などより、もっと、バラなストーリーの局面局面も愛しんで観ていたい、最近はそう思うようになりました。だから、ここ、飽きません。第1幕はだいたい40分で、うち半分以上が三連発の前の場面で、どうでもいいかもしれないストーリーで全く込み入っていない内容なのですが、ここの説明がないと以降の展開は浅くなってしまう。音楽のバランスです。
それからこれは何度もブログに書いてますけれど、このオペラはソナタ形式の交響曲のように聴ける。それほど端正な佇まいなんですよ。4幕物つまり4楽章形式の交響曲。第2,3楽章は、第九やブル8なみにひっくり返していますが、第1,4楽章はブル5状態で始まりますし、交響曲との親近性を感じるんですね。
第1楽章は序奏と展開部のない第1,2主題の提示部のみ。つまり第1主題の提示と変奏、第2主題の提示と変奏。第2楽章はスケルツォとトリオが繰り返されますね。ここは拍子ではなくオタマの刻み方に耳配せして聴く。第3楽章はアダージョ楽章です。AとBが最後に混ざり合います。ここらへんまでくるともう明白なのではないかと、こじつけではなくて。
第4楽章は悲劇で終わりますけど第1楽章冒頭がそのまま出てくるのは言うに及ばず、歌詞の内容です。あのときこうゆうことがあったよね、と、第3幕までの内容が再帰します。そしてコラージョ。ここは結尾のごく短いコーダながら曲を閉じるにふさわしい。
ものは聴きようということかな。
あとは贅沢を言い出せばきりがないが、クリスマス・イブより前に観たい。それも12月のクリスマスモードで観たい。シチュエーションはこの第1,2幕で決まりますから。
こうもりを年末よりちょっと前に観たいというのと雰囲気似てます。両方とも夏観ると結構暑苦しい。ここは西欧の音楽のシーズン制に納得ということなんだ。
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どっちにしても、この上演、純に楽しめました。
おわり
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