河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1339- マーラー9番 ダニエル・ハーディング 新日フィル2012.1.20

2012-01-20 22:56:05 | インポート

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2011-2012シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから。
2011-2012シーズン
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2012年1月20日(金)7:15pm
すみだトリフォニー
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マーラー 交響曲第9番
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ダニエル・ハーディング指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団

第1楽章:29分
第2楽章:15分
第3楽章:12分
第4楽章:27分
完全空白黙とう状態:1分
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完成度は今一つ。その足りない分を熱で押しきるタイプの指揮者ではない。音楽を消化している点が強く感じられるバトンテクニックはいつも素晴らしいと思う。この日は練習不足だったのかな。練習でうまくできたのに本番でよくなかったのではなくて、練習の過程のような気がした。
ホルンの出来がよくない。2番手以下に足(くちびる)を引っ張られたのかもしれないが、そうとばかりも言えない。第1楽章の終結部におけるマーラー特有の奇妙なホルンのソロがまるで決まっていなかった。
ここは指揮者の意図もあったのだろうか、ハーディングは明確なポリフォニックな表現に対応するかのように、ソロ旋律のところは明らかに他の楽器を抑えてソロを浮かび上がらせていた。でもこの部分、あまりにあっさりと通過。第2,3楽章への布石のようなものがまるでなかった。奇妙な部分を抑えて第1楽章はこれはこれで完結させる、そのような意図だったのかもしれない。ホルンパートは散漫。以降第4楽章の最後の最後まで不安定。ピッチも問題あり。
逆にものすごい形相で音楽を鳴らしきって、ある部分指揮者の上を行くようなドライブを魅せていたのがコンマス。尋常ではなかった。豊嶋さんですね。この日の殊勲者だと思います。ハーディングは感情で押し切る指揮者ではない。その微熱の部分を豊嶋さんが代弁、代振りしてくれたような見事な弓捌きでした。
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難しい曲ではある。右に位置した第2ヴァイオリンの足がステージからあふれ出てくるようなものすごい編成でありながら、音は薄い。極度に機能分解された曲想だらけでありみぎひだりコントロールしていくのは指揮者も難しいし奏者としても自分の立ち位置が指揮者なしではつかむことができないのではないか。
ハーディングの棒は明確で、抜群のバトンテクニック。彼の棒を観ていると第1楽章が29分もかかったような気がしない。なんでこんなにかかったのかよくわからないが、少なくとも、やにっこさのようなものはない。音価の長さが不自然に伸び縮みするところはない。例えば第1楽章の最初の盛り上がりのところを聴けば一耳瞭然、棒の振り分けも見事としか言いようがないが、とにかく等価、もしくはリタルダンドはオタマがきっちりと比例した長さで伸び、進行する。大変に明快なのだ。
棒さばきがいいので全体のコントロールもいきとどいている。薄い部分でも流れを造っていける、実に素晴らしい指揮者だと思う。反面、オペラはこれからだろう。あれは軟体動物だからね。
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第4楽章へはアタッカではいったがそのようにしなければならないほどの気の狂いようのあった第3楽章ではなかったと思う。バーンスタインみたいな極度のアップテンポで何かにとりつかれてしまったようなクレイジーさはなく、かろうじて三拍子を一振りしてもいいかな、というぐらいのスピード感までアップ。プレイヤーはこの指揮者の特質をきっちり理解して演奏していると思います。
また、バーンスタインの例になってしまいますが、彼が振る第4楽章は、歌舞伎、です。この曲の第4楽章って、ポーディアムに立って一人芝居、歌舞伎わざ、見得、そんな世界です。バーンスタインはその身振りと演奏の内容で他の指揮者の追随を全く許さなかった。
ハーディングは飽くまでも音楽の中身で立ち向かいます。
この第4楽章の消え入るエンディングに10分かけたハーディングもすごい。音楽の転換はありませんがいつのまにか忍び寄るようにエンディングの世界を模索しはじめる。これぞハーディングの棒の特徴だと思う。音価が自然に比例的に伸びていきすーっと終わりを摸索しはじめる。このようにディテールに主張を魅せる解釈は昔はあまりなく、マーラーブームが明確になったあたりからのものでしょう。もちろんバーンスタインがその先駆者ではありましたけれど。
音の動きが音楽の形式を主張する世界を離れ、人の心の動きを照射するような意味合いを強く感じさせるマーラー演奏解釈史は、マーラー自身から発しているものなのかもしれないが、演奏が成り立てばいい時代を越えて今のような微にいり細にいり、まるで神経細胞そのものを表現するような解釈になった。流れはハーディングといえども立ち止まり、ごく薄く、隙間に点のように音を埋めていく。その解釈と説得力はすごいものではありましたけれど。
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第4楽章の神経細胞が動きを止めました。そして完全な空白がまるで一分間の黙とうの如く続きました。目をつむっているプレイヤーもおりました。あれは一年前3.11当日にマーラーの5番を敢行し、その日だけしか演奏が出来なかったハーディングが日をあらためて演奏会を設けてくれた良くも悪くも因縁めいた彼の一年間の心の動きを鎮める為の長い呼吸だったのかもしれない。
拍手もお見事。2回目のコールでブラボーがより強く熱くなった、久しぶりに聞こえてきた真の感動表現のように思えました。

アップしてあるピンボケの写真。1月10日(火)アラン・ギルバート&ニューヨーク・フィルのマーラー9番のエンディングで鳴ったパトロン客の携帯着信音事件のことを完全に意識した注意書きでしょうね(笑)
おわり

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