484- マリス・ヤンソンス バイエルン 2007.11.23
いつもこのホールの音響のけちばかりつけているが、証左のためにはたまには特上シートで聴かなければならない。
この日は、2階前方センターの招待席で聴いた。(招待はされてませんけど)
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2007年11月23日(金)6:00pm
サントリーホール
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ブルッフ/ヴァイオリン協奏曲第1番
ヴァイオリン、サラ・チャン
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ブルックナー/交響曲第7番(ノヴァーク版)
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マリス・ヤンソンス指揮
バイエルン放送交響楽団
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この日は来日中のバイエルン放送交響楽団7回公演の千秋楽。
マリスとブルックナーというのは少し違和感があるが、さてどんな感じだったのか。
まず、音、であるが、前日聴いたチェコ・フィルとはまるで異なる。
マスで迫る音。
やや粘着質で、弦やブラスやウィンドがびっしり敷きつめられ、圧倒的な力で迫りくる。
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それで、後半のブルックナーだが、ややテンポに問題のある演奏となった。
第1楽章第1主題は独特の原始霧のなかゆっくりと始める。
第2主題は曲想の変化やメロディーラインそのものの性格から自然にアップテンポとなる。
そして第3主題は、第2主題の雰囲気を背負ったまま、むしろ速くなるような感じで、押していく。
このようなこと自体は別に問題ではない。
ただ、例えば第2主題から第3主題への移行そして第3主題そのものについても言えることだが、呼吸がない、だから音楽に自然の息吹を感じることが出来ない。
歌がないものだから、第3主題など例のマス・サウンドが空虚に響いたりする。
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第2,3,4楽章それぞれ同じような感じだ。
第2楽章はロンド形式だが、やはり第1楽章と同じような問題がある。
速くなるに従い音楽が薄くなり軽くなってしまうのはどうしたことか。
ブルックナーではクライマックスに近づくにつれてテンポを落として呼吸を整えながら突き進む方がいいのかもしれない。
第4楽章の第3主題は、爆発するブラスをもう少し呼吸する音楽としてとらえてほしかった。
隙間がなく進んでいくのは今は昔、カラヤンの世界ではなかったか。
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第1楽章のコーダは長大な再現部を経てホルンが冒頭第1主題のメロディーを先導し、それにトランペットがかさなり、全楽器がうねっていくが、頂点でそのトランペットがアウフタクト風に短いタンギングを聴こえるか聴こえないかといった感じで繰り返す箇所があるが、このような音楽イメージをいかに繊細に表現できるか、腕の見せ所であるのだが、わりと無視して進んでしまう。
ここの表現で忘れられない演奏は、カルロ・マリア・ジュリーニの指揮するロスアンジェルス・フィルの演奏だ。
決して強くなくそして品のあるトランペットのタタッー、タタッー、の繰り返しが実にすばらしく音楽を気品のあるものにしていた。
このような表現は録音では無理なんだ。
たとえスタジオ録音でもだめ、現場で感じるしかない。
ヤンソンスの場合、音楽が通過するだけであり、ブルックナーに対するスタンスの違いというか、どのような音楽としてとらえているのか、といったあたりがわかり、それはそれで別に悪い事ではないが、感興がいまひとつだ。
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ソナタの形式感ということでは、以前聴いたミスターSによる棒の読響のブル7が忘れられないが、ただ形式で詰めると第4楽章がやや短めでバランスが悪いのが露骨にでてくる。
また経過句の扱いもなかなかうまい味がでなかったりで、痛し痒しとなってしまうことも事実としてある。
ヤンソンスは形式のことはいったん横に置き、音楽そのものの流れに身をまかすやり方であり、主題が進むにつれて音楽が軽くなる傾向は否めないが、それでもスコアの音楽はそのままのサウンドで表出されてくる。
ヤンソンスの演奏では第4楽章の弱点は全く感じなくなる。
音響を響かせながら進む。
でもやっぱり少し無機的か。
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バイエルン放送響のサウンドはさすがだ。
まず、ブルックナーがさまになる音。
西欧の音楽はこのようなオーケストラの音で聴きたい、と思わせる。
隙間のない素晴らしい音楽を聴かせてくれる。
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前半のサラ・チャンであるが、いつまでも子供ではない。1980年生まれだからもう27才だ。
ヴァイオリンのたちとしては結構好みではある。
真っ赤なロングドレスで場所を広くとりよく動き回る。
またドレスに隠れてよく見えないが、ハイヒールをはいた足で頻繁に空中を蹴ったりしている。動きの多いヴァイオリニストだ。
これでブルッフをじっくり聴かせてくれるからびっくりものだ。
ヴァイオリンの音に惹きこまれてしまう。
自分のペースで何事もやってしまうのだろう。
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前半のブルッフのコンチェルトは思いのほか大きい曲であり手応え十分。
そして後半のブルックナー7番ということで、プログラムビルディングとしてはなかなかいいものであった。
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