「地方」と言う言葉が「癒し」を包含する言葉で使われていたはずなのに、今では「忌避」の匂いを強く含む言葉になって仕舞ったのはどうしてでしょうね。
賑やかな町の喧騒と隔離された、このatelierの地点も、街並みの密集する場所から、少し静かな場所の方が…、との思いで、広やかな山麓を選んで建てたのは、25年前の事でした。
総合開発だって、こんな僻地で「田舎」を売りにして展開されるように思っていたのは、私だけではなかった筈なのです。 ほんの短い期間で、「限界集落」と言う言葉が「喧伝」され、便利さ最優先の「地方崩壊」の危機感をだれもが持つようになってきたのはどういうことなのでしょうね。
確かに、この「庵」まで日参しているうちに、自動車の運転が出来なくなったらどうなるのだろうと心配になって来たのがこの何年かの、私の一番大きな「不安」です。 周辺友人たちだって、同じように齢を重ねています。 誰もが同じように、生活形態が変わって来て、コミュニティの形までかわっ来たこともあって、この静けさが、「空虚」にすら感じるようになりました。 明り取りの窓で、何年も、私といっよに暮らしてきた「造形達」も 同じように齢を重ねながら、atelierを守って呉れているようにさえ思います。
陶板たちは、この場所で出来たものですが、すっかり、もともとの住人に成り切っていて、昨日も私を見つめていました。
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