太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

遠い母の日

2024-05-12 07:46:21 | 日記

 昨日は一昨日海岸で転んだこともあり1日おとなしくしていた。昼寝もやった。少なくとも大腿四頭筋は休ませた。転んだ原因はよく分らないが今朝はいたって普通である。無理はできない体になってきたことだけは確かである。筋肉の衰えとリンクして脳も衰えるのかというとそうでもない。脳はまだ若いと認識している。言い換えれば脳ミソは筋肉ではないとい証明だ。赤ん坊が日々一つずつ出来ることが増えるようにこちらは出来ないことが一つずつ増えて行く。歳をとるというのは多分そういうことだろう。今日は今年の市民講座の開講式である。講義もあり「ウクライナ戦争の背景~経済関係と地政学~」で初日から重いテーマである。講師はロシア研究の専門家の現役教授。多分ロシア好きの先生だろうがどのような内容になるか。筋肉でない脳ミソも鍛えられていくかどうかは分からない。ただ刺激を与え続けなければ劣化は明らかである。一つ忘れて一つ覚える。現状維持が精一杯だが。

今日は5月の第2日曜日、母の日である。もう亡くなってから50年近くなるが思い出は鮮明である。49歳だったが成人した息子の未来に何を託していただろう。まさかこんな遠くで暮らしていることなど夢想だにしなかっただろう。叱られた覚えが一度もない。勿論教訓めいた言葉など聞いたこともない。3人の子供を抱えて病気となり子供の心配など出来る余裕は無かったかも知れない。それでも未だに姉妹からは、あんたは男の子だったから特別可愛がられたと言われる。特別贅沢をさせるほどの余裕は無かったが母親は田舎の農家の2男4女の次女だった。水のみ百姓と言われた時代である。高等小学校を出ると一人都会のある小児科医のところに奉公に出されそこで看護師の学校に通い看護師となった。6人居て何故一人だけ出たのか、本人に聞いた事がある。百姓が嫌いで特に牛の世話をするのが恐くて家を出たと言っていた。本当は口減らしだったのではないかと思っている。その生き方は中島京子氏の小さいお家の主人公と何処か似ている。故郷を遠く離れてこんな所で生きているのを天国から見つけることが出来るなら何か、見ているよという信号を送って欲しい。こちらから花を贈ることなどできないけど。



コメントを投稿