太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

仲睦まじい

2019-05-31 07:32:05 | 日記

天皇皇后両陛下の何となく心温まる記事である。先にトランプ大統領が国賓として来日し、会見の際に陛下にお土産としてビオラを贈られたときのこと。陛下がオーケストラでビオラを演奏された映像を見たことがあるが、大統領はこれを知って(調べていたのだろうが)選んだのだろう。心温まるのこの先である。皇后さまが今夜お弾きになられたらと言われたそうだ。これは贈り主に対して私も大変喜んでいますという感謝の表現であり当意即妙のお礼である。いや心温まるのはこの後である。

実際、宮中での会見の後、夜の晩餐会までの合間に赤坂御所に戻られた際ビオラを弾かれたという。そして、ビオラは大変素晴らしい音でしたと感想を述べられたとのこと。感想がトランプ大統領に伝わったかどうか知らないが、大統領としてはこれほど嬉しいことはないだろう。夜の晩餐会は陛下の主催であり格調高い大事な行事でもある。その合間にちょっとビオラを弾いてみる。普通は晩餐会の段取りなど頭の中でシミュレーションし緊張で過ごす時間である。この余裕は流石陛下と言わざるを得ない。興味もあり、造詣も深く、自らも奏者である陛下にとっては、例えは失礼だがクリスマスプレゼントの包みを待ちきれず開く少年のような心だったかも知れない。また皇后が言われたことをちゃんと覚えていて弾いてみたのかも知れない。そこには何とも仲睦まじいご夫婦の姿が想像される。贈り主のことを思い、夫婦互いを思いやるエピソードは政治は皇室という枠を超えた心温まるニュースとして伝わった。

これも例えがよろしくないかも知れないが、あの籠池夫妻を思い出した。多くの問題を提起した森友事件ではあるが、窮地に立った夫妻がTVニュースで伝わる映像では奧さんが旦那さんを信頼し尊敬している発言や態度が随所に見られた。旦那さんも奧さんを大事にしている姿は事件の枠を超えて印象に残っている。皇尊弥栄、平和の象徴であり続けられることを願って。

 


近過ぎるが故の疎外感

2019-05-30 07:46:30 | 日記

日々のニュースでは日本に平和で安全な国というイメージは無いが歴史的には概ね平和な国だったのだろう。一番大きな理由は陸続きで国境を接する国はなく、侵略されたこともなく他国との大きな戦争は先の大戦を除いては無いことだ。その間、島国の中で箱庭文化ともいえる独自の文化を築いてきたのである。モンゴルの大草原やゴビやタクマラカン、エジプトやチュニジア、モロッコの砂漠で地平線を見てしまうと、京都の日本庭園が何だか息苦しく、重すぎると思ってしまうのは情緒に欠けるせいであろうか。小さな庭石一つ、盆栽の葉っぱ1枚に世界とか宇宙があると言われても作為がある世界はやはり重苦しい。我々はこの箱庭の世界でまるでフィギュア人形のように配置され傷つけあうことも互いに干渉もせず、狭い平和な世界を仲良く築いてきた。良し悪しの問題ではない。

概ね平和であった理由には自然条件も大いに関係している。列島の真ん中を背骨のように山脈が貫き、山は雨をもたらし、飲み水に困ることはなく、農作物も極端な灌漑をしなくとも育つ。世界でも稀有な幸運な国である。精神世界を垣間見ることができる古典文学はどうだろう。ヨーロッパのように他国との戦争や場合によっては国の統廃合などは経験したことがない、また中国のような広大な土地もないから皆隣人でありドラマチックな物語は生まれ難い。どうしても内向的にならざるを得ない。広さよりも深さ、分散より集中である。

今の時代はどうか。地理学的には同じであってもインターネットが世界中の国や人、あるいは出来事を瞬時にして繋いでしまう。これは我々の精神世界にも大きな影響を与えている。既に古典文学のような精神統一できる世界は得られないのである。幾つか古典も読んだが、その時代だから書けたと思ってしまい感動するようなものには行きあたらなかった。情報は勝手に飛び込んで来るし、探しに行けば消化できないほどの情報がある。隣人が増え、純粋な精神状態を保つことは難しい、現在、後に古典文学と呼ばれるものが生み出されていっているのかというと多分ノーである。ただし霞が関文学だけは例外である。後の時代、象形文字の謎解きのように解釈を巡って論争が起こることは間違いない。文学と雖も時代の枷から抜け出せないからこれも時代を代表する文学と言って差し支えないと思うが。

精神世界は当然行動にも影響する。トランプさんが個人的に株の売買はしなくとも発言一つで株は上下する。世界は同時に瞬間的に動く。これも発言という情報が投資家の行動を規定している例と言えなくもない。世界の隣人の数は増える一方で、フィギュアも近づき過ぎると干渉して倒れることもある。関係範囲が広がる中で、密度が増す中で、近過ぎる社会関係の中で、頭の中で芽生えた疎外感こそが大問題である。年とともに情報量や(隣人や社会)関係性を整理していかないと行動量に限界が出て来るからジレンマに陥る。頭でっかちを支える筋肉も背骨も衰えてきた。


言葉もない

2019-05-29 08:08:42 | 社会観察

何とも悲惨な事件が起こった。川崎で登校のバス待ちの児童が通り魔に襲われた。大人を含めて死傷者は多数にのぼる。夜のTVニュースで自殺した犯人の名前が出て来た。生い立ちや生活ぶりも徐々に明らかになってきたが大事件を起こした動機は分かっていない。51歳の男性であるが年老いた叔父叔母と三人暮らしのようだ。愛情を注がれて育ってきたようには思えない。だからといって事件を起こす理由にはならない。世の中には孤独の中でも立派に成人し普通の社会生活を送っている人は山ほどいる。亡くなられたのは12歳の女児と外務省の事務員である。ミャンマー語の専門職のようで将来を嘱望された信頼の厚い職員だったようだ。この日も子供を送ってバス停にきたところを襲われたろのこと。家庭でも良いお父さんぶりもうかがえる。女児はこれからやりたいこと、なりたいことが山ほどあり人生のスタートラインに立ったばかりである。どちらにも生きるべき理由や山ほどあり、死ぬ理由など微塵もない。もし神様が居るとしたら彼らに何と声を掛けるだろう。神様でも言葉が見つからないのではないだろうか。犯人の方は恐らく死ぬ理由があったのだろう。通り魔事件の被害者は、一体今までの人生は何だったんだろうと何時も思う。何の落ち度もなく堅実に暮らしてきた日常が突然絶たれたのである。被害者の家族は犯人が生きていれば怒りの矛先もあるが今回は自殺してしまった。やり場のない怒りや悲しみはいかばかりのものか。もし犯人に何処にも向けられることのない怒りや鬱憤があったとしても道ずれを誘う理由は何処にもない。死にたいなら何処か遠くで人知れずやってくれ。

通り魔事件が起こるたびに対策やら原因究明が叫ばれるがこのところ悲惨な事件は後を絶たない。ゲーム感覚だとか教育の問題とか社会の問題とか色々言われるが単純ではないだろう。子供の頃肥後守という小刀で指先を切った時の痛い感覚が残っているのだろう。これが他人の指なら躊躇なくできるか。私にはできない。最近日本は他人の痛みや辛さを感じない人が増えているように思うのは気のせいだろうか。問題は日常の隣近所に居る人がそうなってしまうことである。しかし本当に誰も異常さに気付かなかっただろうか。防犯カメラは事後の追跡に大いに役立っているが未然に犯行を防ぐのは計画性を持った犯行であろう。監視が行き届いたところで犯行をは躊躇するだろう。ところが今回のように周りが全く見えなくなった犯人に効果はない。やたら警官のパトロールを増やす、これはある程度犯罪を未然に防ぐ効果はあるだろうが人手不足か最近はあまり見かけない。民間のボランティアパトロールが補完できる部分はある。

一番恐ろしいのは日本が少しづつ変わって行っているのではないだろうかということである。それは頭の中、精神性の点である。知らない間に羊の皮を被ったライオンが我々の近くを徘徊している可能性である。それでも何かしらのサインは出しているであろう。人権の問題もあろうがそのサインを見落とさないようにするためには衆人環視の目も必要である。特に人間関係を断った人は要注意である。その前に、断たれた人間関係を修復する社会システムが重要であることは言うまでもないのだが。犯人があの世で被害者に会う事はないだろう。地獄から天国は見えない。


5月だというのに

2019-05-28 08:07:50 | 日記

このところ5月だというのに異常な暑さが続いていた。今日は朝から風も強く暑さは一服した感じだが一昨日は北海道では網走で最高気温39.5度を記録した。北海道では35度を超える猛暑日が方々で記録され異常な暑さだった。東京でも32.6度を記録し我が部屋は35度あった。昨日も同じくらいで夕方6時頃でも部屋は33度を超えていた。幸い湿度が低かったので何とか凌げたがこれから夏に向かうと思うとゾットする。ゾットしてちょと寒くなる。このまま行けば常夏ハワイの人気は落ちるだろう。そうしなくてもプレートテクトニクスでハワイは毎年8cmづつ日本に近づいているから(日本地質学会)8千万年後には歩いてハワイに行けるそうだ。その前に日本は地殻深くに引きづりこまれているからあるかどうか分からないが。じっとしていても汗をかくからこれはもう無駄な汗としか言いようがない。人間は食物の栄養をエネルギーに変換するいわば化学反応で生きており、温度が高ければ化学反応は活発にはなるが今度はそれを助ける必要な酵素系の働きが悪くなり、42度くらいで殆ど機能しまくなるという。フランス小咄で、

マリウスが病気で寝ている。医者が来て体温を測ったが眉をひそめて心配そうに呟いた。

40度二分もあります。

マリウスはそれを聞くと、むっくりと床の上に起き直り、希望に目を輝かせて叫んだ。

―先生、世界記録は何度ですか。

こんな冗談を言っている場合ではない。熱中症は命にかかわる。勤めていた頃は空調の利いた部屋で移動も冷房、異動先でも冷房、ほんの少しの時間外気に触れるくらいで暑さと言っても直ぐに避暑地が用意されているので暑いと感じるのは瞬間であった。しかし海外でしかも外に出る機会が多い場合気温には敏感になる。バングラなど冷房がなければまともに仕事などできないと思った。その冷房にはエネルギーが要る。寒いモンゴルでは暖房に貴重なエネルギーを使ってしまう。冷暖房が必要な地域はエネルギー利用の点でとんでもないハンデを負っている。中緯度地域に住む我々はそれだけでアドバンテージが与えられている。生物学的に生きるために必要なエネルギーを生産活動に振り向けることができる。

ネットニュースでコンビニLAWSONの電飾看板のLだけが消灯されている記事があった。燕がLの傍に巣を作っており、巣立ちまでの店主の粋な計らいだという。都心では見られないだろうが田圃の残るこの辺りではコンビニに燕が営巣するのは当たり前のように見ることができる。特に監視カメラの上に多い。何年か前は客への糞害を恐れて撤去する店が多かったが最近は結構残している。昨日行ったコンビニでも斜めになったカメラの上に器用に泥碗のような巣を作っていた。眺めてみると碗一杯にヒナが顔を出している。全部で5羽いる。巣の大きさの割には子供が多く、いわゆる貧乏鳥の子沢山状態だ。傍に親鳥がジッとして遠くを見つめている。旦那が餌をとって帰って来るのをまっているのだろうか。多分入れ替わりに自分が出て行かなければならないのだろう。2羽ともに餌取りに出て行かないのは今が一番外敵に気をつけなければならない時期かも知れない。流石にこの状態では可哀そうで巣の撤去などできないだろう。防犯カメラはネズミや蛇など侵入し難い場所にあり、大型の猛禽も近づけない。しかも適当に発熱もしているから抱卵の時期には助かるだろう。スズメは子供の頃から絶え間なく見て来たが燕を見た記憶はかなりの期間無い。このところコンビに良く行くから見るようになったのか、農薬規制などで餌となる虫が増えてきたのかはよくわからない。スワローズは調子が悪い。山田君頑張って。


ちょっと真似できないリーダー

2019-05-27 08:13:36 | 社会観察

トランプ大統領が国賓として来日し、初日は安倍首相とゴルフ、相撲観戦、炉端焼きで夕食とほぼ1日安倍さんとし一緒に過ごした。ワシントンポストは皮肉でほぼ1日観光客と表現したようだ。しかしこの姿を忸怩たる思いで眺めていたのは次期総裁候補と言われている人達ではないだろうか。本人も楽しそうに見える笑顔でトランプ大統領と1日を過ごせるリーダーに俺はなれるだろうか。たとえ作り笑顔だとしても真似できるものではない。しかもどうも演技ではなく本心から楽しんでいるようにも見える。国民から見れば、あのトランプ大統領とさしで本当の友達のように付き合っている、何とも頼もしいと映るだろう。政治手腕や理念において優っていても俺なんかろくにゴルフもできないし、相撲観戦だって隣に大統領が居たら勝負すら覚えていないだろうし、炉端焼きだとつい自分の好きなスズメの丸焼きを勧めて顰蹙を買うだろう。やっぱり奴には勝てないと思ったのではないだろうか。

トランプ大統領との付き合い方で宰相としての信頼(国民の人気と言うべきか)を得るには二通りのタイプがある。一つは言うまでもなく北朝鮮であり、一つは日本である。怖気ず対峙して存在感を出すか、思い切り懐に飛び込んで親交を深めるかである。前者はある程度体制や取り巻きがお膳立てできることはあるが後者は個人の資質によるところが大きい。ただ何かあると一蓮托生の危険はある。

トランプさんを中心に両端で綱引きをしているような状態だが正反対に見える宰相も実は似たところがあるのではないだろうか。一方はもう少し仲良くなって本音で喋れたらと思い、片方は俺だって自分の考えがありたまには反対意見も言いたいと思っているのではないだろうか。これは正反対で綱を引きあっているように見えるが足がズルズルと滑ってトランプさんを中心に九の字に曲がってやがて完全に折りたたまれて互いが隣に位置する。意外と共感するところがあるかも知れない。日朝会談で拉致解決の糸口が見えたらそれこそ次期候補と思われる人達の出番はゼロになる。