太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

新しく起こることは老化だけ

2022-11-30 09:11:15 | 日記
 毎日ブログを書いてはいるが新しい出来事はそれ程起こらない。有ったとしても大半は老化に起因することだ。特に完全にリタイアして5年も経つと毎年同じ時期に同じようなことを書いているが、2日程前朝起きると右膝が猛烈に痛くてまともに歩けない。棒のように足を突っ張って不器用にゆっくりと歩くしかない。最初は関節通かと思ってやはりコンドロイチンかグルコサミンの補給が必要かとTVのCMを思い出した。しかし痛むところは関節よりその周りの筋肉か筋のようである。1年くらい前両肩で起こった症状に似ている。最初は関節全体が痛い様に思ったがやがて痛みの部分は範囲が縮小してきて関節周りの筋肉か筋が痛い事が分った。左肩は2年くらい、次の右肩は半年くらいで自然に治った。今では砲丸でも投げられるくらい丈夫になった。膝は毎週自転車散歩で鍛えているからそれほど長くは掛からないだろうと高をくくっている。基本医者に行くのが嫌いなのである。両親が長く患って病院にはよく行っていたがあの匂いと雰囲気で気が滅入る。何れはお世話になるのだろうができるだけ先延ばししたい。
 ブログのネタとしては旅行にも行かず、グルメでもなく、写真の趣味はなくペットも飼っていない。読んでいて面白くもない老人性劣化の進行具合が多く、固定の読者(何名かいるようだ)には申し訳ない。
 グルメなら過去の経験はある。既に1度は書いたかもしれないが再掲ということで。以前東京のとある地下街でラーメンを食べたときのこと。スープが妙に塩っ辛くてお湯の中に醤油を垂らしただけという感じで全くダシが効いていない。後日、あの時は体調でも悪かったのかプロがあんなスープを作る訳がないと確認のため再訪した。やはりお湯に醤油だ。まさかまさかと思いつつ再々確認で訪れたら店が潰れていた。今まで海外で食べた最も美味しいもの。精華大学の近くの料理学校に併設されたレストランで食べた(招待だったが)烏骨鶏のスープ(黒くて見た目は不気味だったが)、ゴマ団子、ヤングコーン、四川のレストランで食べたマーボー豆腐と搾菜が一番だ(火鍋は辛すぎてしかもゴムのような肉もあり種類も不明)。これらは何れも日本で食べたことがない味だ。タイの下町の店で食べたトムヤンクン、日本と違い複雑なスパイスが効いて美味しい。全般の中国はどこで食べても美味しいのだが濃い味付けは3日も続くと茶漬けが恋しくなる。北京ダックは日本より断然安くて美味しいのだがやはり3日で。中華だったら多分台湾の方が日本人の好みにあう。昔グルメの今はどうなんだ。コンビニの商品なら評論できる。特に新発売のシールがあると試してみる(ただ単品で500円を超えるものは未知の領域である)。

国会のワイドショー化

2022-11-29 08:30:28 | 日記
 久し振りに国会中継を観た。野党側の質問は相変わらず大臣の疑惑(?)追求が多いのに驚いた。国会がワイドショー化していると言わざるを得ない。いや新曲を紹介する議員も居たからワイドショーが国会化しているのかも知れない。もっと政策論でバチバチ火花を散らして欲しいものだ。やっぱり2大政党が何時政権を交代をしてもおかしくないという緊張感が必要なのだろうが野党側に政権を担えるところが無いのも事実だ。アメリカでも一時の日本でも上下院、衆参が与野党逆転する、いわゆる捻じれ国会の時代があった。重要法案がスムーズに通過しないとか、トップがころころ変わる国は外交でも信用されないなどとマスコミ諸氏には長期安定政権を望む声が多かった。しかし捻じれは悪い事ではないと思っている。審議は慎重になるし何よりも政権を失うかも知れない緊張感は政治の場で必要である。政治資金報告書や失言の問題追及は別の委員会を作ってやれば良い。また公開資料を基にしての話だからワイドショーか週刊誌がやっても良い。鬼の首でもとったかのような予算委員会での追及はプライオリティが違うのではないだろうか。
 ブログを書きながらネットニュースを見ていたら居眠り議員が続出の写真が出ていた。それぞれが理由にもならない言い訳をしているが一体この国の議員さんんはどうなっているのだろうと思う。会社時代を思い出すと偉い人が話をしている時に会場に居眠りする社員が居た。壇上から、そこの居眠りをしている人、会場から出て目を覚ましてきなさい。日頃の激務はあるかも知れません。しかし話す方の私は全身全霊で物凄いエネルギーを費やして話しているのです。話が終わるともう一言も喋りたくないくらい疲れるのです。聞く方もそれくらいエネルギーを使って聴いて欲しいものです、と。あの社員は多分あれからは人の話を聴く時居眠りは一切しなかっただろう。
 議員さんには注意をする人はいないのだろうかと不思議に思う。会場に入ったカメラは防犯カメラのようなものです。あなたは狙われています。そしてネットで拡散します。

小さなミス

2022-11-28 09:12:48 | 日記
 俄かサッカーファンでもちょっと残念だがW杯はコスタリカに負けてしまった。小さなミスが命とりになったように思うが、素人が言うのも何だがバックパスが多過ぎて相手にフォーメーションを作らせてしまったような気もする。夕食後のゴールデンタイムに放映されたから相当多くの人が応援を送っていただろう。小さなミスで負けることもあるが逆の場合もあるから仕方ない。まだ決勝Tに進む可能性はあるのだから次を期待するしかない。
 勤めていた頃営業体制を揶揄して下手なサッカーと呼んだ。当時は訪問販売が主流で1社が成功すると我も我もと同じような営業スタイルで真似をした。下手なサッカーは蹴りたい一心で皆がボールに集まってボールの動きと人の動きが一塊になってしまう。結果全員消耗して営業にならない。売りに行く営業で成果を上げていくには比例して人は増やさなければならない。販路もどんどん伸びて行って遠くへ遠くへ行かざるを得ない。兵站が追いつかない戦争のようなもので効率はどんどん落ちていく。フォーメーションを組んで客が飛び込んでくるのを捕まえる。定置網のようなもので車の営業が訪販からディーラー販売に変わったようなものだ。飛び込んできた客を確実に捕まえるべきだと。
 理想論だった。技術屋に営業の苦労の何が分かると冷笑もあった。その内訪販で突出した成績を上げた男があれよあれよと出世し、取締役までなった。かって途中入社してきて太陽電池を教えた相手である。強引な事業運営から自ら墓穴を掘りクビ同然に会社を追われたのは20年くらい経ってからであろうか。彼も同じ技術屋あがりだったが役職についてからは傲岸不遜の態度は度を越して行った。オーナーに可愛がられていたことが最も大きな要因だった。最後は会社の名を毀損するような事件を起こしたからオーナーも飼い犬にてを噛まれたようなものである。こちらは海外営業をサポートする形でよく出張していたが国内でコイツと争っても無駄という気持ちがあったかも知れない。幸いクビにもならず無事定年円満退社となった。
 何も無いようなサラリーマンでもそれなりの苦労はあった筈。あなたのお父さんも口には出さなくても物語を持っていると思う。映画ネブラスカのように。

人生はやり直せるか

2022-11-27 08:25:21 | 日記
 昨日で全22回の市民講座の聴講が終了した。何よりも今年も皆勤で終えられた無事を喜んでいる。それにしても高齢者の学習意欲には驚かされる。皆さんそれなりのキャリアを積んだあとの学修である。「学修」は、一定の課程にしたがって知識や技術を学んで修得する(身につける)ことを意味する。学習はやらされている感が強く、学修は自主的と言える。しかしこの先身につけた知識を生かす機会は限られているだろう。それでも新しいことを学ぼうという意欲は消えて無くなりはしない。不思議といえば不思議である。今メタバースが注目されている。Wikiによるとメタバースとはインターネット上に存在する仮想的な空間であり、そこでは「アバター」と呼ばれるキャラクターが自分自身の分身となり自由に行動することが可能である。簡単に言えばネット上のサーバーに構築する,三次元グラフィックの仮想空間(社会)で動き回るのである。
 身近な例ではネット上のモデルハウスを訪問しアバターである自分自身が室内を自由に動き回り設備などの部屋の様子を見ることができる。こっちの部屋はどうだと扉を開けてみるとトイレだったりする。もっと人間が進化すると自分の脳内にメタバースを構築し、あたかも色んなことを経験したような気分になるのではないだろうか。そこでは早送りも可能で物心がつくと自分の一生を早送りで見てしまうこともできる。しかもそれは殆ど自分の意のままに構築された一生である。100倍速なら100年は1年で終わる。SFの世界ではこうなると言えるのだが人生を早送りで見るかスローモーションでみるか、どちらが幸せだろう。
 巻き戻しもある。あの楽しかった時をもう一度脳内メタバースで経験することも可能である。かって大先生に、戻れるとしたら何歳に戻りたいですかと聞いたら、今の知恵を持って二十歳に戻れるなら良いがねと言われたように思う。よく考えると単に二十歳に戻っても同じ轍を踏んで同じことを繰り返すだけで人生のやり直しにはならない。やり直すからには比較すべき人生がなければならない。2回人生を歩むのも結構しんどい。結局今ある人生は一度は経験しないけないなら今の人生をよりましな方へ向ける努力をするしかない。齢がいっても学習し何かを身につけたいと思うのは自然のことなのかも知れない。もう今回で市民講座はいいかと思っていたところに来年のカリキュラムが配布された。ちょっと面白そうである。興味が尽きないなら続けても良さそうだ。ますます何かに生かす機会は狭まってはくるが。やり直しの人生が無いなら少しでも明るい方へ。

一瞬の迷い

2022-11-26 09:20:13 | 日記
 車で家を出て少し走ったところで犬を連れて散歩している人が対向の歩道に座り込んでいるのが見えた。住宅地の中だし糞の始末をしているのかと思って横を通り過ぎたとき横目で見ると何やらもがいている。もしかして具合が悪くなって倒れたのだろうか、車を止めて戻ってみようか、後続車がいるからもう少し走って止めようか、いや歩道には他の歩行者も見えたからきっとあの人が声を掛けただろうなどと思っていたら相当の距離離れてしまった。まあ倒れていたのではなく座っている感じだったから大丈夫だろうと自分を納得させそのまま走ってしまった。同じような経験が以前あった。やはり対向の歩道を歩いていた老人がフラフラッとして転んでしまった。戻って様子を見ようとバックミラーを見たら何人かが周りに集まっていた。これなら大丈夫だろうとこの時も行き過ぎた。別の日車は少ない田舎道を走っていたら軽四が全く裏返しにひっくり返っていた。これは大変と路肩に車を止めて戻ってみようとしたら既に何台かが路肩に停めている。路肩の先頭に停めて駆け寄ってみると既に何人かが集まっている。まだ車の中に人が居るなら引っ張り出すのに手を貸さなきゃと思って聞くと既に運転手は傍に座っており幸い怪我は無いようだけど念のため救急車を呼んだと言うのでその場を離れた。路肩には4,5台の車が停まっていたので直ぐに助けに行ったのだろう。こちらは勝負がついてから駆け寄ったようなもので心配はするが一瞬の迷いで行動が遅いことを内心恥じてしまった。交通ルールで最もよく守られているのは救急車のサイレンが聞こえるとベンツであろうとトラックであろうと必ず路肩に止まるか徐行して道を空ける。世の中それほど荒んではいない。何時自分自身も散歩の途中で倒れるとか救急車で運ばれる事態にならないとも限らない。その時は赤の他人に助けられ迷惑も掛けることになるのだろう。元気な内は迷うことなく助ける側に回ろうと肝に銘じている。いやこれからはそうする。
 有名人の驚いたツイッターである。元知事のM氏が「日本のサポーターがスタジアムの清掃をして帰るのを世界が評価しているという報道もあるが、一面的だ」とし、「身分制社会などでは、分業が徹底しており、観客が掃除まですると、清掃を業にしている人が失業してしまう。文化や社会構成の違いから来る価値観の相違にも注意したい。日本文明だけが世界ではない」と訴えかけた。これは断然おかしい。泥棒が居なくなったら警官が失業する、火事が無くなったら消防署員は失業といった類だ。本気でそう思っているなら何故公用車で別荘に通ったとき運転手の仕事確保と言わなかった。書道の為に買ったシルクの中国服の時、あまり売れなくて商売廃業になったら困るでしょう、これも国際貢献ですと何故言わなかった。「社会構成の違いからくる価値観の違い」などと大仰なことを言わなくても小学5年生でも分かる「社会はどうあるべきか」から始めるべきでしょう。もう東も西も元知事という人種は・・・。