太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

ニュース斜め前読み

2020-10-31 09:08:11 | 日記
 決して捻くれてニュースを藪睨みしている訳ではないが気になるものを幾つか。偶然だろうがある県でのニュースがちょっと引っ掛かった。県の人事委員会がボーナスの減額0.05ヵ月分を勧告したとのこと。金額で2万円相当。年間でボーナスが2万円も減らされる、これもコロナの影響かと職員は嘆いているだろうか。日数換算だったら1.5日分相当だろうがボーナスの減額勧告は10年振りとのこと。公務員はコロナで過酷な労働を強いられている(という部署もあろうが)と思われるかも知れないが対価は支払われてサービス残業が増えている(いたら別問題)ことももないだろう。0.05カ月など冬のボーナスがゼロになる民間企業が見たらショックを受けるからニュースにしない方が良い。同じ県で警察犬が1頭リードを振り切って逃走しているとのニュースもあった。捜索に警察犬が導入されているという続報は聞かない。ブログであれ程リードを外さないでと書いた途端この始末である。まあ離れているから出会うことはないが以前身近で警察犬を見た時重心は低く体格は頑丈そうでペットとは明らかに雰囲気違う。見かけたら近づかないようにと言っているが向こうから追いかけてきたら犯人でも逃げ切れない。何処の県かというと燃費がリッター6㎞くらいのセンチュリーが公用車になって知事が大そうな理由をコメントしたところである。走る知事室とは言わなかったが。残念ながら私の本籍地でもある。
 海岸で落としたリールのハンドルを探しに行った。曇り空で少し寒く釣りはやらなかった。予定通り落した石堤の隙間を覗くと潮も引いており何とキラリと光るものがある。ハンドルと分かったが手は届かない。これも予め考えていたとおり竹の枝で作ったハゼ釣り用の小さな竿を使って糸に絡めて引き上げようとしたが上手く糸が絡まない。海岸に漂着していた枯れた竹の先端を割いて、子供の頃高枝の柿を絡めとるようなものを作った。ハンドル目掛けて押し込むと旨く挟まって上がって来た。この間30分くらいだったが釣り人に一人会って何をしているんですかと聞かれたが、ええちょっとという意味のない返事でやり過ごした。帰ってネジの代用品でハンドルを止めると使うのには支障のないリールに戻った。片道1時間かけて見つかるかどうか分からない落とし物を探しに行く。それでも前日夜の考えた手順通りに事が運んだ満足は大きい。昔から執念深いところがある。何事もこれ位執念深ければ多くのものが成し遂げられたと思うが、一方でそれに費やす時間を考えれば諦めて別のことをする方が有効だったとも思う。執念の対義語は諦念という人も居るがこれらは仏教用語で少し違った意味になる。執着⇔断念なら良いが今回ばかりは執念深いが似合う。
 国会答弁で首相は小池晃議員の質問に対し、学術会議会員は旧7帝大が45%を占めており偏りがあると答弁した。旧7帝大という言葉は既に死語に近いが、小池氏は東北大医学部、委員長は東大というバリバリ旧7帝大出身だ。嫉妬心や反骨から出た言葉と思われても癪だろう。明石家さんまがMCをして東大生とやりあう番組があったが、何故あの時明石家さんまは「君たちの中で将来高卒の僕より稼げると思っている人手を挙げて」と聞けば多分誰も手を挙げられなかった筈だ。それぞれ得意分野があるのだから旧7帝大と言う括りなど無意味だ。こういう人はまた1期校、2期校も気にする年代である。菅さんは1948年生まれで該当年代だろう。しかし彼らの多くは、多分90%位は自分達はエリートではないと思っている。中学くらいまでは秀才と言われていたかも知れないが、経験からして高校、大学では普通のあるいはそれ以下の人間だと思い知らされて来た筈だ。その中には落としたリールのハンドルを探しにほぼ1日を過ごしたり、下らないブログを書いている人も混じる。

不覚

2020-10-30 08:53:13 | 日記
 昨日は暖かく秋晴れで今年のクロダイ釣り納めのつもりで出掛けた。現場に着くと顔見知りだが無口なオジサンが釣っていた。一応軽く挨拶をしたら珍しく話しかけてきた。自分の仕掛けを説明したあと、今年は30匹以上クロダイを上げたとか病気で入院したことがあるとか個人的なことを話しかけて来たのは初めてである。自転車で通っているから地元の人だ。もう一人が加わって暫く雑談となった。無口のオジサンが餌ガニをあげようか自分は帰ると言い出した。餌ガニはもっていたので丁寧に断ってこちらも糸を出した。
 やはりアタリはなくそれでも潮風は心地よく粘っていたら足下にリールのハンドルが落ちていた。法面石垣の間の貝の上に引っ掛かりピカピカに光っている。ハンドルの反対側のネジが緩むとハンドルはリールから抜ける。気の毒に誰か落としたんだと思って手を伸ばして拾い上げる。ふと手元の自分のリールを見るとハンドルがない。自分のリールのハンドルだった。まあネジさえあれば修理できると思ってハンドルをリールに差し込みネジも落ちていないかと石垣の隙間をのぞき込むと既に潮が上げて来て多分水没したのだろう何処にも見えない。その瞬間差し込んでいたハンドルがスポット抜けてその隙間に落ち込んで水没してしまった。何と迂闊なことかネジで止めていないハンドルは逆さまにすれば抜け落ちるのは当たり前。仕方なく離れた車に戻って別のリールを持ってきた。ハンドルを落したリールは先日買ったばかりの新品同様で何とも悔しい。大して高くもないが悔しいのは自分の油断である。それからは釣りに集中できなくてやはり今年の納竿は坊主に終わった。
 あの時ちょっと注意さえしておけばと悔やむことしきり。寝るときも、潮が引いた状態なら落したハンドルは見つかるかも知れない。でも結構隙間は深かったから何か道具を持って行かないと取れないだろうとか色々考えた結果、何食わぬ様子でもう一度釣りに出掛けて隙間を探してみようと決めた。落とした場所は分かっている。結構重量はあるので隙間から潮にさらわれることもないだろう、などと想像しながら釣り納めは先延ばしにすると決めた。
 普通は悔しいこととか時間とともに薄らいでいくのだが今回ばかりは諦めきれない。他人が聞けば何と些細なことかと思うだろう。リールが勿体ないのではない。自分のちょっとした不注意が招いたことが悔しいのである。今の車がまだ新車だった頃、やはり釣り場で不注意にバックして突き出た30㎝ほどの杭にバンパーを当てて相当凹ました。その前の車は自宅のガレージで慣れたものと勢いよくバックでハンドルを切ったら脇のコックリートで思いっきり擦って大きな傷をつけた。小さい不注意も何れ大きな事故に繋がりかねない。カリスマが言っていた有意注意でものをみる習慣を身に付けよ、漫然としか見ていない製品でも有意注意で見れば必ず何か新しい発見があると。年が行って来て注意力も散漫になってきているかも知れない。今一度大事に至る前に何事も有意注意で暮らさないとと思っている。

訂正しなければならない

2020-10-29 07:33:34 | 日記
 携帯電話の料金値下げプランが次々発表されている。政府に言われたから値下げするのは暴利を貪っていたのか、経営者はグータラとブログに書いたことがある。これは訂正しなければならない。かって値決めは経営であるとカリスマ社長は次のような事を言っていた。「製品の値決めは経営そのものである。そしてその価格はただ1点で決まる。消費者が許容できる最大の価格がそのポイントである。もしそれが赤字スレスレであろうと大変な利益を生み出そうとそれは結果である。その結果は諸君の努力で決まる。」と。そう思えば携帯の料金プランは消費者が許容できる最高の値段でそれが利益を生み出していたが政府指導という別の物指しで今回の値下げプランが出て来たのであろう。
 別のニュースで、こんな筈では無かっただろうと思われる事件があった。北関東で相次いだ家畜や果実の窃盗事件に関与が疑われるグループ、20~39歳のベトナム国籍の男女13人を入管難民法違反(不法残留など)容疑で逮捕された。市内の宅配センターから発送された肉や果実の伝票には、グループの一部の名前が記されていた。SNS上には解体した豚の写真、肉や果実の購入を呼びかける投稿もあり、県警は県内外のベトナム人に販売していたとみて調べているとのこと。同じ日のニュースで覚せい剤の密輸でベトナム人グループが逮捕されたとのこと。我々の世代では悲劇のベトナム戦争から立ち直り見事に経済復興を成し遂げたというイメージがある。農作物や家畜を盗んでも一攫千金とはならないだろう。日本人でも生活することは決して楽ではない国へ何故外国人がこうも集まって来るのだろう。窃盗目的で誘われ来日した者は極わずかで最初は技能実習などそれなりの志を持って来日した筈だ。昔農業研修センターで太陽電池の農業への利用について講義をしていた時期がある。途上国から農業研修に来た30名くらいの研修生相手の講義だ。年に1日だが10年くらい続いただろうか。若者達はここで農業機械の扱いや農作物の育て方を学ぶ。研修期間中は寮に住み半年くらいは学生生活を送る。ベトナムを含め皆真面目で熱心な学生達だった。日本に来てハイテクを学んで帰っても自国ではそれを生かして仕事をするインフラが未整備なところは多い。農業分野なら大抵の国では日本で学んだ成果を生かすチャンスはあるだろう。真面目に研修している人達が居る一方で農作物や家畜の窃盗で捕まると、ベトナム人は、となる。国を代表する者ではないが一部の人間の仕業も国を貶めていることになる。日本まで来てやらなくても国に家畜や農作物はあるだろうと言いたくもなるが、コロナ禍で仕事を失った人も混じっているとのこと。日本での生活を甘くみてはならない。国に恥をかかせるくらいなら自分は犠牲になっても構わないというくらいの気構えでやってきて欲しい。
 さらに気になることが。官邸事務方トップとして6人の任命拒否を決めたとされる杉田和博官房副長官の予算委参考人招致も、自民党は「あまり前例がない」と拒否する構えだ。悪しき前例の打破はどこに行ったのだろう。「縦割りと既得権益と悪しき前例を打破して、規制改革を進めていく」と首相は記者会見で言っていた。いや拒否は悪しきではなく良き前例ですと言うのだろうが。「個々人の任命拒否の理由については人事に関することで答えを差し控える」というだけでは国民は納得しない。ゆで卵は半熟が好きとか個々人の個人情報を聞き出したいのではない。少なくとも特別職の国家公務員になるための判断基準を知りたいのである。人事に関することと言う理由で全てに蓋をしてしまうやり方は禍根を残す。多くの国民は判断基準にまで異論を唱えることはない(居たとしてもそれを糺すのは別の場面である。)。特別職でも良いから一度国家公務員になりたいと思っているが判断基準が分らないから止めることにした。
 善きニュースはないのか。あってもこれはあまりニュースにならない。世の中大半は善き事、普通のこと、当たり前のことだろう。ニュースの性格上悪しきことしか扱わないと分かっていても気になるニュースが多過ぎる。

釣れない時のハゼ頼み

2020-10-28 08:39:40 | 日記
 昨日は予定通りとういうか朝思い立ってハゼ釣りに出掛けた。このところクロダイ狙いで坊主が続き気分転換だ。釣果は7匹。ハゼで7匹ではおかずにもならないと思われるが大きさが尋常ではない。東京の川の屋形船で(と言っても1度しか乗ったことはないが)出て来るハゼの天ぷらは7,8㎝だろうか。ところが今回の7匹は全て20cm前後である。正真正銘真ハゼである。この川は大きなハゼが釣れることで有名だ。しかし近年津波対策で随分堤防がコンクリートで固められハゼが卵を産む葦や真菰は減ってしまいハゼも少なくなってきた。それでもこれ位大きくなると野菜の天ぷらと併せれば充分おかずになる。ひとまず漁業は成立、いやガソリン代と餌代で赤字だが。
 釣り方は地元で穴釣りと言われている川岸の岩の間の穴に短い竿、と言っても竹藪で切った1m程の自作竿だが、餌を垂らしてちょんちょんと誘う。ハゼが居れば必ず食いつく。慌てて合わせたら最初は咥えるだけなので放して(いわゆる抜ける)しまう。アタリがあると少し糸を緩めて半呼吸置いて上げる。もし餌を離しても慌てることはない。もう一度餌を垂らすと90%以上食いつく。ハゼはあまり頭が良くない、噂通りあくまで貪欲である。外道は小蟹だ。クロダイの餌にするサイズだが岩の隙間に入って踏ん張るので引っ張るとハリスが切れる。暫く待つと油断するのか踏ん張りを緩めてしまう。小蟹は持久力が無い。ハゼは投げ釣りでもゆっくり誘うと掛かることもあるが何故か川中のハゼはやや小さい(それでも12,3㎝はある)。最近は口コミで広まったのか穴釣りの人も結構多い。ただ釣れるのは汽水域なので潮の満ち引きで水が動いている時しか釣れないので時間帯は重要だ。もうハゼ釣りは極めたと思っていたがクロダイの坊主が続き、何かを釣りたいと思う時はハゼに限る。12月中頃まで釣れる。数を釣るには夏場だが型は東京湾並みに小さい。やはり秋から初冬が旬だ。ハゼは魚屋に並ばない魚だが天ぷらの味は極上だ。外観の悪さからクロダイなどより下級に見られるが味は甲乙つけ難い。釣り番組でも取り上げられたことが無い不運(幸運かも)な魚である。
ダボハゼのようなという表現があるが、このハゼは通例真ハゼ以外のハゼを指している。人格が卑しく汚いさま、間抜けで欲が深い人を喩えるものだがハゼはそんなニックネームは知らないだろう。真ハゼだって結構何度も食いつくからダボの仲間に入っても良さそうに思うが。ダボハゼは時として何度失敗しても諦めず食いつくガッツのある奴を反語的に褒める場合に使われることもある。本来の用法とは違うのだろうがハゼ釣りではこちらの方が相応しい気もする。ハゼより頭が悪いのはハマグリである。今では厳しく取り締まられ禁止されているが昔は近くの浜でギャング釣り(大きな錨のような針を海底で引きずり寄せる)で5,6㎝のハマグリが良く釣れた。昔も漁業権で禁止されていたのかも知れないが取り締まりもなく地元の人も大勢釣っていた。釣ると言っても実際は砂浜に縦に潜って呼吸のため少し殻を開けたところに偶然針が挟み込まれる形であり餌に食いつく訳ではない。瞬間ハマグリは殻を固く閉じて引き上げられるまで離さない。途中で口(殻)を開ければ簡単に逃れられるのにそうはしない。店頭でパック詰めで売れそうなサイズが簡単に2,30は採れた懐かしい時代である。ハゼより頭が悪いのは確かである。味はハゼやクロダイに匹敵することは言うまでもない。どうも私の釣りはTV番組にはならない貧乏くささが付き纏う。違いは向こうは趣味でこちらはおかず目的という実利寄りということだが釣れたものは必ず食べてあげてそこで釣りはお仕舞という信念がこちらにはある。
 

この国の形

2020-10-27 08:02:04 | 日記
 首相の所信表明演説があった。実務的と評価する者、もう少し大きな国家ビジョンをという両方の意見がある。凡夫が感じたのは後者でありやや物足りない気がした。先代のようにキャッチコピーが過ぎるのもどうかと思うが列挙された殆どのものは具体的ではあるが担当大臣が言うべきことのように思った。ではこの国の形をどうするのか、総理大臣になった気分で言うと、ズバリ「尊敬される国になる」である。それは経済大国でも軍事大国でも環境大国でもできないことだ。尊敬される国になる為には国民から信頼される政府であることは勿論、時には痛みを伴う政策をも厭わない勇気が必要だ。あらゆる政策は徳をもって正義で貫かなければならない。青二才、書生ッぽいと言われるかもかも知れないが全ての大臣の所信の上に立つ所信だから抽象的であっても構わないと思う。具体論は担当に任せる。その具体論に「君はそれが国民の信頼獲得に繋がりひいては世界から日本が尊敬されることに資するか。」と必ず聞くべきである。2050年に脱炭素社会を目指すというのは宣言が遅すぎたという批判もあるが、It is never too late to mend.だ。遅れを取り戻すために世界が驚くようなロードマップを作ればよい。早々と宣言しても実行に移さなければ意味がない。さすがに日本は違う、自分たちもああいう国になりたと多くの国が思う、そういう国造りを目指します。これで足りる。ジェスチャーや表情が如何にもパフォーマンス的だった前任に比べ些かアッピール力に劣るが真似する必要はない。表現過多の一方で殆ど無表情だった総理も過去にも居たがどちらかが優れていたとも言えない。要は結果である。
 実務型は何処の会社でも居たと思う。彼らの難点は何でも自分でやらねば気が済まないことである。やったことの責任の所在が明らかになるのは良いことだが仕事の範囲を広げるにはどうしても人を使う、任せるということが欠かせない。偶にあれは人がやった事と他人に責任をなすりつける輩も、特に官僚では居たがトップリーダーとなると権限は委譲して責任は自分で取るという覚悟は常に必要である。所信表明演説は役人が作った寄せ書きを朗読したようなものである。リーダーとしての本当の試練はこれからの国会論戦から始まる。長期政権になるかどうかも意外と早く分かるような気がする。多くの議員さんが担いだ神輿をどれくらい支えられるか、いや支えるべきだが国会劇場の開幕を楽しみにしている同好の輩は結構居る。今日はハゼ釣りに行ってみよう。勿論趣味ではなくおかず、漁業である。この辺りの自由はトップリーダーならぬボトムフォロワーの特権である。