太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

危ないから撃つな

2018-10-31 07:55:17 | 仕事に関すること

北朝鮮に代わって今度は中国の脅威ですか。なるほど仮想敵国が無いと色んな産業が困る、憲法改正にだって影響するかも知れない。もっと現実的な問題はイージスだって戦闘機だって買わないとアメリカによる自動車への倍返しが怖い。ところで2015年で日本の原発は42基ある。2018年10月稼働中は8基、2030年エネルギーミクスでは30数基の稼働が必要である。狭い国土にまあこれだけもと思うが、別の見方をすれば、日本を迂闊にミサイル攻撃したり空爆したりすることはできない、誤って原発を直撃するかも知れない。送電インフラを叩くと福島のように冷却が出来ずメルトダウンの可能性もある。空中の漂う放射能は攻撃国にも影響を及ぼすことになる。危なくてそんあことはできない。北朝鮮も核の完全放棄といっても多分自爆用の核爆弾は最後まで隠し続けるのだろう。自爆といっても周辺への影響は計り知れない。

原発自体が核武装と言っているわけではない。それぐらい危険な施設だということだ。東京電力の原発事故裁判に勝俣元会長が被告人席に立った。他の幹部同様津波は予見できたか、その安全対策はという点が焦点で責任が問われている。裁判の行く末も気になるが、勝俣さんもまさか晩年このような席にたつことはとても予見できなかっただろう。実は勝俣さんは業界団体設立の発起人に名を連ねていた。当時の東電常務とともに企画部企画課長勝俣恒久とある。常務の秘書的役割をしていたのかも知れないが、業界団体設立には随分貢献して貰った。設立後東電は理事も出し、幹事会社として代々幹事役も引き受けて貰った。太陽電池関連の団体であるから電力会社としては利害が反するため団体が暴走しないためのお目付け役、監視役として会員になったのかも知れない。

しかし、当時は東電は太陽光にかなり積極的で社内にビジネスにならないかを検討する委員会まで立ちあげていた。団体設立の頃ペーペーとして勝俣さんを見ていたが何時も冷静沈着で非情に紳士的であった。記憶では活動について一度も異論を挟んだということはない。代々続いた後任の幹事の方々も大変優秀で熱心に団体活動を支えて頂いた。総括原価こそ電力の力の源でそれが無かったら偉そうな事は言えないですよ、などと東電の方から聞いたこともある。長く会員に留まって頂いたが福島の原発事故を契機に退会された。対外活動の自粛と経費節減が理由だった。東電という盟主なきあと、会員であった他の電力会社も理由をつけて次々退会していった。多分自ら率先して電力会社としての意見を言う立場になかったのだろう。

余談だが、この団体の設立発起人代表が私の務めていた会社のトップであったが、ある時団体の活動報告に行った時、えっあの勝俣君(君呼ばわりだった)が東電の社長かと驚かれたことがある。後に子会社の通信会社の社外取締役までお願いしたところを見ると個人的には付き合いもあったのではないかと思う。非情に保守的で権威の象徴と思われていた東電も再エネに対しては懐の深い所をずっと見せていた。系統連系にももっともオープンな対応でスムーズに行ったのは東電である。出廷する勝俣さんをニュースで見ると当たり前だが随分老けた。事故を枯れ葉に喩えるのもおかしいが、桐一葉落ちて天下の秋を知る、新芽は出ているのだろうか。


60歳を過ぎて

2018-10-30 07:57:32 | 仕事に関すること

昨日は元同僚と東京で夕食を共にした。会う前に馴染みの業界団体の事務所に寄った。一時期の華やかさはなく、良く言えば静かで落ち着いた雰囲気、悪く言えば活気がなく消沈である。この所太陽電池関連には明るい話題が無く、活動も役所の指導に後手後手にまわる後始末的業務が多いようである。補助制度からFITと最も業界が動いていた頃、業界に関与していた者から見れば面白い時期を過ごせたと思う一方、今は気の毒な時代とも言える。最たるものは未稼働案件の買取価格を下げるという最終手段に出て来た制度改正(省令で)への対応である。FIT制度の負の側面の後始末である。今までも未稼働案件については接続枠権利の転売とか、機器の値下がりを待つ悪徳業者をふるい落とす為様々な条件が付与されてきたが今回は最終段階と言える。一方で接続申し込み時の買い取り価格が変更(値下げ)されるというのは法の遡及であるとのクレームも当然起こる。

友は定年後も契約社員として事業用システムの建設に関するコンサル的仕事を月何日かやっている。その日に東京で会って愚痴を聞いたり、悩みを聞く事はしばしばあった。やはり今回の未稼働案件に対する処置は相当厳しいものがあるようだ。このようなことが起こるとまず銀行の融資は受け難くなるという。また既に手掛けている案件でも相当の経費が発生しながらやはり最後の詰めに時間を要し稼働が遅れているON GOINGの案件も何件かあり、事業計画の作りなおしとのこと。

大変な仕事を抱えながら大したものだと思ったのは60歳過ぎてから英会話学校に通い始め未だに勉強は続けていることだ。今は英検1級と通訳の一歩手前まできたとのこと。勉強を始めて3年は過ぎたが、東京オリンピックのボランティアまで申し込んだとか。現役時代は英語と全く無縁の業務だったが定年後の一念発起である。蕎麦打ちや家庭菜園など全く別の分野に興味を持つ者も居るが大抵は長続きしない。しかも何かの目的のために英語を習得するようでは無いようだ。学生時代これほど勉強していたら人生変わっていたかも知れないという。全く想像できない分野で頑張っていることに感心と驚きである。現役時代の英語の必要性はこちらの方が余程あったのだが今は昔の話になってしまった。

年老いた母親の面倒も見ながら本当に大したもんである。こちらの方が若干の先輩で太陽電池に対する知識も多少は上回っていたので偉そうに訓辞を垂れたりしていたが定年後のやる気に関しては完敗である。頑張って行ける所まで行って欲しい。


やっぱり面白い中島らも

2018-10-29 08:28:46 | 日記

何冊かまとめ買いした古本の1冊を読み終えた。昔何か面白いと読んだ記憶のある中島らもの小説である。アル中の主人公である。小説には一人称小説と三人称小説がある。(稀には二人称小説もあるようだ。「私」が「あなた」に語りかけるというスタイルをとる。)一人称は語り手が特定の限定できる一人の人間、多くは「私」である。したがって自らが経験したこと考えた事しか描写し得ない。一方三人称は語り手は特定できない、物語り全体を俯瞰できる立場で描くから登場人物も知り得ないあらゆる事象を書くことが可能である。云わば神の視点である。この小説は一人称の体裁をとっており、恐らくらも氏の個人的経験に基づくものであろう。

らも氏は52歳という若さで亡くなっているが、異才の持ち主であることは世に知られた事実である。生き方そのものも破天荒であり常識人の尺では計れない。それでいて自分に正直であり荒唐無稽な発想はオリジナリティに溢れ憎めない優しさがある。この小説の凄いところは一人称でありながら自らを客観的に見るところにある。例えば入院中の病院の様子も痛みを伴う検査も絶望に近い自身の肝臓の映像もある意味淡々と語られる。それでいて何か背後にとてつもない余裕を感じてしまうのは読みすぎだろうか。悩み苦しみもがく自分を離れた自分がそれを見ている。見ている自分は痛みも苦しみも感じない、他人の感覚である。冷静に客観的に自分を見る事ができれば相当多くの人が救われる。どこか昔読んで影響も受けた中村天風の教えに通じるものがある。

今日は久し振りと言っても3カ月くらいだろうか。東京に出て昔の仕事仲間と食事と酒(といってもらもさんのように互いに強くは無いが)の予定だ。定年退職後も付き合いのある数少ない仲間の一人である。彼は未だにある会社との契約で月に1度は東京の本社に出勤している。太陽電池関連という共通の話題がありこちらはある意味愚痴を聞く役割だ。農家の一人息子で今は年老いた母親の面倒も見ている。大柄で顔も黙っていれば怖いが外見に似合わず実に正直で優しい男である。付き合いが続いている理由はこの外見と中身のギャップにある。

一人称:今日は東京に出て友に会う予定だ。おっさn同士の会話も結構面白く楽しみである。

二人称:君は今日東京に出て友に会う。おっさん同士で何が面白いのか。

三人称:彼は今日東京に出て友に会う。友は約束の時間までに仕事を終わらなければと焦っていた。

 


夢売る時を過ぎて

2018-10-28 09:08:29 | 仕事に関すること

太陽電池が発明されて60年余り、日本で本格的開発を始めてからも40年以上が過ぎた。この間、世界で一度も太陽光発電は駄目だと否定されたことはない。裏返せばそれに代わるものが登場しなかったからである。今でも太陽電池に代替するような再エネは見当たらない。代替の意味は、発電時にGHGを排出しないクリーンな発電で環境に貢献する、純国産エネルギーでエネルギーセキュリティとして自給率向上に貢献するという2点だ。この2点の特長があるから価格が高くても普及促進のための補助施策とか意識の高い消費者のボランティア精神に支えられ普及が進んできた。その最終段階がFIT制度とも言える。しかし急激な普及は陰の部分も浮き彫りにしてきた。陰というのは太陽電池故短所がクローズアップされてきたことである。昼間しか発電しない天候に左右される不安定な電源であるとか、昼間にピーク出力があり送電網はピークに合わせて設計する必要があり膨大な投資が必要であるというものである。さらに価格は当初より大幅に下がったとは云え未だ割高である。

かって太陽電池は光が当たる部分だけ強調し、夢とともに売られてきた。しかし、今は制御ができない不安定電源であるとか受容できる送電インフラが整備されておらず莫大な投資が必要であるといった陰の部分が浮き彫りにされてきた。クリーンで純国産エネルギーである夢は霧散しそうな気配である。長所だけを強調して普及を図ろうとした時代は終わったと言える。販売トークやシンポジウムのテーマとして取り上げる場合、素直に短所を認めた上でこのようにして克服、解決しますと言った提案は必須である。美辞麗句を並べて夢を売る時は終わったと思った方が良い。勿論長所が失われたわけではないから忘れないためにも言い続ける必要はあるのだが。

今はもう一度原点に立ち返って何を為すべきかを考える時である。原点に返るといっても振り出しに戻る意味ではない。螺旋階段を上るように1周廻って元の位置、次元の高い原点である。初期原点の頃は用途開発に腐心した。送配電網が届いていない未電化地域を太陽電池で電化するなどはまさに夢を売る商売であった。次に太陽電池を電源として何が出来るかという新規用途開発、提案型の商売である。水を電気分解して水素を作るなどは30年も前から提案されている。珍しい応用では電力会社の人が売り込んできたのだが、地下にメスフラスコのような巨大な穴を掘って内部にこれも巨大なゴム風船のようなものを装填する。太陽電池でコンプレッサーを動かし圧縮空気を送り込む。ゴム風船は周囲の固い岩盤で支えられるので破裂する心配は無い。必要な時はゴム風船から圧職空気を取り出しタービンを回して発電するという圧縮空気でエネルギー貯蔵をするものがあった。水素も圧縮空気も今頃ドイツでは実証が始まった。その他多くの太陽電池利用のアイデアは、経済性の点で太陽電池でなければならない理由が無く、太陽電池が商用電力より安いことが必要で、商用より安い電気なら用途を限定する必要は無いという矛盾でロジック破綻をきたした。

高次の原点に立ち返った時、最も急がれる用途開発は余剰電力の有効利用とエネルギー貯蔵である。余剰電力すら天候に左右されるから貯蔵と組み合わせる必要がある。30年くらい前世界でちょっとしたブームになった応用例で揚水ポンプの電源として太陽電池を利用したものがある。送電網は届かず、ディーゼル発電すら利用できない地域で太陽電池で揚水し、高架タンクに水を貯める。揚水量は天候によって刻々変化するが各戸の蛇口はタンクから伸びているため、夜昼、天気に関係なく水を得ることができる。出来あいの電力で問題の無い負荷、余剰電力を有効利用できれば九電のような出力抑制は起こらない。現在では家庭用の蓄電池併設が典型的な応用例ではあるが、シンポジウムなどでシンパばかり集めて良い所ばかり宣伝するより余剰の有効利用のコンペなど開催すれば意外に面白いアイデアは出て来るのではないだろうか。

夢を売った時代を業界で過ごした者が言うのもおこがましいが、長所も短所も見据えた上で現実問題を解決する時代に入ったと言わざるを得ない。


FIT法施行規則の一部を改正する省令パブコメ

2018-10-27 08:48:11 | 仕事に関すること

パブコメが公募されている。所謂太陽光未稼働案件への対策だ。明らかに省令による法の遡及であるが国のやることだから遡及にも法的正当性はあるのだろう。しかし、省令で変えられるとなると現在の制度ですら何れ省令の変更で変わる可能性はある。法の不遡及は信じてはならない。法を信じなくて何を信用すれば良いのか事業者は頭を悩ますことだろう。資料を読んで行くと随所におかしな所がある。国民負担の内外比較でドイツとイギリスを挙げて日本と比較している。再エネ比率が10→15%の時の国民負担総額/年が例示されている。しかし其々の年度は異なるから買取単価も当然異なっているはず。これは日本の買取単価が高過ぎたと言いたい資料だろうか。また/年で示されているが本来は積算の総額で比較すべきではないだろうか。ドイツなど日本に先行してFITを始め、買取単価も日本より早く下げた。一体ドイツは総額で幾ら国民負担をしてきたのだろう。かってN経新聞のアンチ再エネ記者が何度も、ドイツではFIT賦課金のよる電気料金値上げに耐えきれず国外に移転する企業があると盛んにネガティブキャンペーンを張っていた。そのドイツより比較表では日本の方が負担は大きい。何故企業は海外に逃げないのか。日本にはエネルギー多消費業種には賦課金の減免制度があるから?その分は誰が負担しているのか。税も電気料金も国民負担である。どうも日本の国民負担はこんなに大きいですよと思わせるための首尾一貫した官僚の苦心惨憺が読める。働き方改革や障害者雇用の統計を思い出さずには居られない。頭の使い方改革が望まれる。

また未稼働案件が後々に動きだすとその時点から高いままの買取単価で20年間がスタートするからさらに国民負担は増す、一方事業者は(設備の値下げを待って)過剰な利益を得るとしている。言うまでもなく、10年前に得た100万円と10年後に得る100万円は価値が異なる。いつどれくらい設備単価が下がるか予測できない中、経費もかけたであろう設備認定に対し経済計算しながら本来得られたであろう利益を遺失し続けながら時を待つということが本当にあるのだろうか。実情は大して経費も掛らず権利だけ確保しているから儲かるなら稼働させよう、儲からないならこのままでも損はないから稼働しないという物が残っているのではないのだろうか。国民負担を前面に強調したレトリックに満ちた資料である。

確かに稼働の期限を設定しなかったのは不備であるから、国民負担増大という1点に絞ってネガティブキャンペーンをやるより、簡単に5年経過して稼働しないものはやる気なしと見做して権利を失効させる。これは系統の空き容量を増やし新たな参入を促進するために行うとでもした方が余程納得できる。過剰な利益を得るようならメーカーにもお零れがあって良さそうなものだがメーカーは火の車である。何れ日本メーカーは撤退し石油と同じように海外製を頼らざるを得なくなる。FITで急拡大していたヨーロッパ市場に中国メーカーが進出し地元のメーカーは駆逐され今では大手の太陽電池メーカーは存在しない。日本の数年先の姿でありそう遠い先ではない。しかし勢いのある中国メーカーと雖も国民負担という金科玉条の前に何れ日本での事業撤退を余儀なくされるだろう。一度生産を止めると2度と復活はしない。日本に太陽電池は不要であると委員の先生方は考えているのだろうか、それは石油の輸入と同じになる。現在日本には何一つ普及を促進するという明るい話題は無い。副作用を抑える薬が効き過ぎて死に至ることは容易に想像できる。この道のセミプロが言う事だから間違いない。

日中は首脳会談で競争から協調の段階にステップアップした強調している。どちらの首脳も永く務めているが、これまでと異なり何か新しい時代に入る切っ掛けがあったのだろうか。尖閣も歴史認識も変わったとは思えない。しかし協調は決して悪い事ではない。都合が悪いことがあるとしたらトランプさんだろう。北朝鮮の脅威が緩和され、日中が経済協調によって仲良くなれば買付を約束した兵器に、場合によっては基地問題にまで影響するのではないかと心配するだろう。適度な緊張は維持して欲しいだろう。中国には感心させられることが一つある。インドと同じ様にあれだけの人口を抱えながら難民を出していない。広大な国土のお陰で非難するべき場所がある、国内難民はあるのかも知れないが。また大量の餓死者も聞いたことがない。手始めに太陽電池の部分で協調して貰いたいと思うが。