購読紙は90%が自身のブログでは批判のネタになる。特に社説や編集者のコラム、著名人の投稿などがやり玉に挙がる。そんな中唯一毎回なるほどなあと感心して読む欄がある。読者の人生相談に各分野の著名な方が回答を寄せる。今回は「幸せだが死が怖い」という相談である。回答者は御年88歳、誰もが知っている元大学教授で社会学者の女史である。
相談は定年後、5年が経ち大きな病気もなく多趣味でカルチャーセンターの講師もし旅行などにも積極的に出掛け家族も健康で孫もおり周りからは「幸せな人生で羨ましい」と言われるとのこと。しかしこれから先は年をとり歩けなくなり特養に入るなどしてやがて死ぬ。死の苦しさ寂しさ死後の世界など考えると恐怖ですと言う相談だ。
回答では自分は88にもなり起居歩行はヨタヨタ、同年配の訃報が舞い込む度に長生きするということは親しい人々との別れに多く耐えることと痛感している。平均寿命を超えそうだと思った頃「楽しくなくても楽しげに生きよう」と決意した。長生きしたくても出来なかった人がどれだけ多いことか。特にあの戦争を生き延びた幸運をまず思う。自分を特に「幸せ」とは思わないが必要な教育を受け生活に困窮したこともない。孫には恵まれず寂しい家族関係ですが大切にはされていて有難いと思っています。あなたのの幸せも私の平安もこれは奇跡です。
この人生相談欄は毎回回答者がああだこうだと講釈を垂れて何か一方的に指示するような形をとっていない。多くの回答者は自分の経験を背景にしてさり気なく「諭す」というスタイルである。相談者はつい考え込んでしまい自ら回答を引き出すというものだ。登場する回答諸氏は皆秀逸で感心する回が90%以上である。この新聞の中ではもっとも優れた欄だと思う。
最近では佐藤愛子氏の「九十歳、何がめでたい」とか下重暁子氏の「極上の孤独」などご高齢の女史の方の潔さが目立つようになってきた。これから団塊世代が後期高齢に入って行く。年を重ねる悩みも随分大きな塊になるのだろう。内数として自分も特に「幸せ」の部類とは思わないが「諭して」くれる人は居る。それは幸運なことだろう。
相談は定年後、5年が経ち大きな病気もなく多趣味でカルチャーセンターの講師もし旅行などにも積極的に出掛け家族も健康で孫もおり周りからは「幸せな人生で羨ましい」と言われるとのこと。しかしこれから先は年をとり歩けなくなり特養に入るなどしてやがて死ぬ。死の苦しさ寂しさ死後の世界など考えると恐怖ですと言う相談だ。
回答では自分は88にもなり起居歩行はヨタヨタ、同年配の訃報が舞い込む度に長生きするということは親しい人々との別れに多く耐えることと痛感している。平均寿命を超えそうだと思った頃「楽しくなくても楽しげに生きよう」と決意した。長生きしたくても出来なかった人がどれだけ多いことか。特にあの戦争を生き延びた幸運をまず思う。自分を特に「幸せ」とは思わないが必要な教育を受け生活に困窮したこともない。孫には恵まれず寂しい家族関係ですが大切にはされていて有難いと思っています。あなたのの幸せも私の平安もこれは奇跡です。
この人生相談欄は毎回回答者がああだこうだと講釈を垂れて何か一方的に指示するような形をとっていない。多くの回答者は自分の経験を背景にしてさり気なく「諭す」というスタイルである。相談者はつい考え込んでしまい自ら回答を引き出すというものだ。登場する回答諸氏は皆秀逸で感心する回が90%以上である。この新聞の中ではもっとも優れた欄だと思う。
最近では佐藤愛子氏の「九十歳、何がめでたい」とか下重暁子氏の「極上の孤独」などご高齢の女史の方の潔さが目立つようになってきた。これから団塊世代が後期高齢に入って行く。年を重ねる悩みも随分大きな塊になるのだろう。内数として自分も特に「幸せ」の部類とは思わないが「諭して」くれる人は居る。それは幸運なことだろう。