太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

諭す

2021-01-31 08:48:26 | 日記
 購読紙は90%が自身のブログでは批判のネタになる。特に社説や編集者のコラム、著名人の投稿などがやり玉に挙がる。そんな中唯一毎回なるほどなあと感心して読む欄がある。読者の人生相談に各分野の著名な方が回答を寄せる。今回は「幸せだが死が怖い」という相談である。回答者は御年88歳、誰もが知っている元大学教授で社会学者の女史である。
 相談は定年後、5年が経ち大きな病気もなく多趣味でカルチャーセンターの講師もし旅行などにも積極的に出掛け家族も健康で孫もおり周りからは「幸せな人生で羨ましい」と言われるとのこと。しかしこれから先は年をとり歩けなくなり特養に入るなどしてやがて死ぬ。死の苦しさ寂しさ死後の世界など考えると恐怖ですと言う相談だ。
 回答では自分は88にもなり起居歩行はヨタヨタ、同年配の訃報が舞い込む度に長生きするということは親しい人々との別れに多く耐えることと痛感している。平均寿命を超えそうだと思った頃「楽しくなくても楽しげに生きよう」と決意した。長生きしたくても出来なかった人がどれだけ多いことか。特にあの戦争を生き延びた幸運をまず思う。自分を特に「幸せ」とは思わないが必要な教育を受け生活に困窮したこともない。孫には恵まれず寂しい家族関係ですが大切にはされていて有難いと思っています。あなたのの幸せも私の平安もこれは奇跡です。
 この人生相談欄は毎回回答者がああだこうだと講釈を垂れて何か一方的に指示するような形をとっていない。多くの回答者は自分の経験を背景にしてさり気なく「諭す」というスタイルである。相談者はつい考え込んでしまい自ら回答を引き出すというものだ。登場する回答諸氏は皆秀逸で感心する回が90%以上である。この新聞の中ではもっとも優れた欄だと思う。
 最近では佐藤愛子氏の「九十歳、何がめでたい」とか下重暁子氏の「極上の孤独」などご高齢の女史の方の潔さが目立つようになってきた。これから団塊世代が後期高齢に入って行く。年を重ねる悩みも随分大きな塊になるのだろう。内数として自分も特に「幸せ」の部類とは思わないが「諭して」くれる人は居る。それは幸運なことだろう。
 

時を追いかけて

2021-01-30 08:32:58 | 日記
 今朝もコロナ感染もなく目覚めたがこれは無事という事ではない。少なくとも2週間前までは感染もせず行動に間違いは無かったということだ。毎日過去のある時点までの無事を確認しているだけだ。時の感覚は生活スタイルによって変わってくる。勤めていた頃は、今日は何々をしなければならない、明日は何をしようという時間に追われていた。今はどうか。今日明日というより来週はであり来月は、あるいは次の季節、来年はというように逆に時間を追いかける日々になる。
 当面今日明日は何も無い、来週は医者に行こうとか、来月は野菜の苗を植えてみようとか、春になったら桜を見に行こうとか来年は法事があるとか時間軸が間延びしてくる。これを長期計画と呼ぶには無理がある。時間がスカスカになってくるのである。もし時間の感覚が逆だったら大変なことになるからこれで良いのかも知れない。見方によっては時間を無駄遣いしているとかその時その時を必死でとかお叱りを受けそうだが年とともに毎日がどんどん忙しくなると精神的よりまず肉体的に耐えられないだろう。その内来世にはと思い出したらいよいよ終わりであるがそれは今日明日にはやって来ないと信じている。思えば指折り数えると知り合いの同年配やあるいは若い後輩が結構亡くなってしまった。自分だけは別と思うのは間違いとは分かっているのだが。
 イギリス発のコロナ変異種が国内でも発見されるようになってきた。脅威である。極論をすれば新型コロナウィルスは人間の体内でしか増殖しないから人類が滅びるとウィルスも滅びる。しかし変異型が人間以外の動物の体内で生き延びるようになったら新人類の世紀が始まってもウィルスとの戦いは終わらないことになる。永遠に続く戦いである。そうなると来世との間に世紀という時間軸が挟まることになる。今のところ世紀で予測している典型は温暖化だろうか。もし来世があるとしたら22世紀の人類を見てみたいと思う。亡くなった多くの友に伝えられるなら、もし来世があって「今」を見つめることが出来るならテレパシーとか何らかの方法で知らせて欲しい。そうなれば時間軸は繋がる。今のところ誰も知らせてくれないから迂闊にそちらへは行かない。
 

危険な高止まり

2021-01-29 09:03:49 | 日記
 こう寒くては外に出る気も家の中で何かをする気もしない。SFで宇宙船の中のカプセルで眠るように冬眠でもしたくなる。ただしこの間は老化も止まっていることが条件だが。幸いと言うかここ数日はコロナ感染者が減少傾向にあるように見える。マスコミもそう伝えている。しかし絶対に油断はできない。過去1波2波の時を見ると踊り場を経てさらに減少が続くといった傾向はない。設備を扱った人は知っているが感染者数はバスタブ曲線(故障率曲線)のような形で推移してきた。そしてバスタブの底の高さによって次の山の高さが決まってきたようだ。当然のことで陽性者が確認された人だけ(他に居ない)としてもその数が多ければその人達からさらに感染した人が居る筈である。その意味ではバスタブの底が高止まりしては次の波の脅威は大きいと言える。ステージによって緊急事態宣言の解除を決めるなら是非ともバスタブの底値を相当低く抑えてファクターとして欲しいものだ。1,2波からして500人では多過ぎる。理想的には感染経路が全て追跡できるまでとするべきだろう。現実には不可能だろうからワクチンの効果をどの程度盛り込むかにかかっている。
 国会の予算委員会の質疑を見ていると野党の質問は主に補償金が一律はおかしい。平均以下の半分は切り捨てというのかとか極論も多い。なるほど困っている人にも程度の差があり最底辺を救うべきだという論には情に訴えるものがある。しかし、あまり議論にはならなかったが一律10万円支給のとき金持ちも貧乏人も同じかという意見に対し、所得に応じてやろうとすると選別に掛かる行政コスト(主に官側の人件費だろうが)が大きくなり過ぎる、業務の煩雑さからスピード感(実施に要する時間)が損なわれるという意見もあった筈だ。行政コストについては当然国側もシミュレーションしているだろうから説明すれば良いのにと思う。不公平感の払拭は何処まで行って尽きないのである。どこかでやんごとなき事情を開陳すべきだ。
 支持率の急落で菅さんも窮地に陥っている。圧倒的多数で総裁指名した自民党員、好意的だったマスコミは一体どうしたのだろう。国会での答弁の元気の無さは目を覆うばかりである。判官びいきの生来の気質が頭をもたげてつい気の毒に思ってしまう。菅さんが元気強気を取り戻すと再びあら捜しをしてしまうだろう自分も情けないのだが。
 

いかん人生が堂々巡りしている

2021-01-28 08:35:37 | 日記
 確定申告の用紙が送られてきてもう1年経ったか早いなあと思っていたら、丁度1年前のブログのタイトルが「もう確定申告の季節か」であった。内容を読んでみると今の心境そのままである。危うく同じような事を書いてしまうところだった。考えてみれば人生そのものが同じところをグルグル回っているのではないだろうか。せめて螺旋階段のように同じ所と思っても上か下か進歩か退歩があっても良さそうなものだがどうも同じ円軌道上をグルグル回っているようだ。まさかこんなことになるとは思わなかった。若い頃なら外界からの刺激でスピードが上がり遠心力で軌道上から飛び出したり、年がいけば引力に引っ張られて中心にある核かブラックホールに引き寄せられるところだが釣り合っているのだ。ある意味身動きが取れていない。昔太陽電池の発電原理を説明する時、原子核の周りの軌道上をグルグル回っている電子は外界の光からエネルギーを貰って元気(励起)になり軌道を飛び出しこれが自由電子となって結晶の中を動き回る、これが電気の素となると言っていた。しかし時々空いている軌道に立ち寄って囚われたり(再結合)して電気の素は消滅する。例えていうならば定額の小遣いで家庭(核)から逃れられず同じ範囲(軌道)に留まっている者が突然大金を手にして元気になり外界にフラフラと出て行くようなものだ。
 それにしても懲りないと言うか呆れてしまう中学以下のレベルの国会議員が次々出て来る。夜8時以降に銀座のクラブをハシゴしていた議員2名がマスコミを賑わしている。うっかりとか已もう得づではない確信犯である。銀座の誘惑(引力)に負けて立ち寄ってしまう。サラリーマンが8時以降店が閉まるので公園で酒盛りするより質が悪い。議員は金(エネルギー)はあるから何時でも議員会館から飛び出せる。もし選挙間近であれば選挙民も馬鹿ではないから落選してしまうだろう。銀座で消滅(再結合)である。国民の負託を受けてとか偉そうなことは一生言えない。あなた方よりもっと大物が同じような事で世間の顰蹙を買ったのは忘れたか。学習能力ゼロと言われても仕方がない。

もうちょっと粘れば

2021-01-27 09:18:40 | 日記
 昨日は薄曇りだったが夕方から小雨という予報を信じて釣りに出掛けた。勿論念願のルアーによるヒラメ狙いである。波が相当高く海は荒れており相当上手いサーファーでも尻込みをするような日だった。沖合に突き出した堤防の突端に人が入っていなくてここに陣を構えて投げ続けた。波が打ち寄せる堤防の反対側だったのだが時々飛沫が飛んでくる程度だ。しかしアタリもないので場所を移動しようとしたら直ぐ次の釣り人がやってきた。あそこは釣れないのになあと思って振り返ると竿がかなりしなっている。何か釣り上げたので引き返してみたら50㎝くらいの立派なヒラメである。こちらが諦めて5分も経っていない。平静を装って大きいですねと声を掛けながらよく来るんですかと聞くとヒラメ狙いは去年の暮に始めたのですがもう4、5匹は釣ったかなとあっさり言う。そっと仕掛けをみると同じようなルアーである。もうちょっと粘っていたら釣れたかと思うと悔しい。その人は大きなヒラメをぶら下げて直ぐ帰って行ってしまった。帰り際にルアーを投げる方向までアドバイスしてくれた。ちょっとさもしい感じがするのでやはり別の場所に移った。その内結構雨が降って来て車に1時避難した。30分くらいで止んだので再チャレンジ。誰も居なかったので最初の場所、別人がヒラメを釣り上げた場所で構えた。まるで初めてそこで釣りをする風を装い恰好をつけた。でも釣れなかった。ただ確認できたのはあそこにはヒラメが居るということが分った。今年は何とか1尾は釣ってみたい。
 ついてないと言えば現役の頃シンポジウムで発表する機会が内外で何度もあり、一時期はこれがメインの仕事でもあった。パソコンなど普及していない頃は資料をOHP用紙(透明のフィルムのようなもの)に焼き付けてオーバーヘッドプロジェクターで映して発表していた。このフィルム資料が結構重く海外に行くときは邪魔でもあった。次に出て来たのがスライドを作成してプロジェクターで投影する方法である。資料は嵩張らなくなったがスライドを作成するのは手間であった。パソコンが普及し始めるとパソコンをプロジェクターに繋いで映す方法になった。スライドやOHPの作成の手間は無くなったがパソコン自体が結構重く、しかも盗難や故障のリスクがあった。その内にUSBメモリーが出て来て発表資料は小さなメモリーに幾らでも収納できた。このUSBを事務局が準備したパソコンに繋ぐだけで相当便利である。これが失敗の原因になった。中国でのシンポジウムで何度か使ったがある時そのメモリーがウィルスに汚染されていることが社内のIT部門の追跡調査で分かった。相手のパソコンからUSB、そのUSBから自分のパソコン、社内のネットワークへとウィルスに感染したのである。水際でウィルス感染は防げたがIT部門からはこっ酷く叱られ、名前こそ出されなかったがウィルス感染の経路が事細かく全社に注意喚起のため流された。経路をみれば私であることは多分多くの人が分ったと思う。それからは個人のUSBメモリーの使用は厳しく禁じられ会社がウィルス対応をしたメモリーを貸与するようになった。今でも厳しい規制があると思うが原因を作った張本人第1号は私である。申し訳なくもありついていなかったとも言える。中国側事務局も意図したものではなかっただろう。
 同じウィルスでももっと厳しい措置が取られる場合がある。鳥インフルエンザとか豚熱である。感染が発見されるとある範囲内の養豚、養鶏は全て殺処分となる。せめて人類の食糧確保のためにと貢献しているのに土葬とは。ついていない。
 今国会では新型コロナ特別措置法と感染症法の改正案に盛り込む罰則規定の是非などが焦点になっている。憲法が保障する私権の制限だという意見もある。罰則規定で縛るというのは如何なものかという人も居るが抑止力の効果はあるだろう。この規定が他に濫用されないよう法整備するなら罰則規定もありかなと個人的には思がどうやら行政上の秩序罰(過料や反則金など)までとし前科にまでなることは無いようだ。過去に会社が行政罰を受けたことがあるが該当部門に所属していたので巻き添えを喰らった。犯人は特定の個人でありこちらは被害者とも言えるがついていなかった。行政処分は国のプロジェクトの一定期間委託禁止だった。自治体もこれに倣いプロジェクトへの入札禁止となった。他社も行政処分で国のプロジェクトへの入札を禁じられたことがあったので聞いてみた。大手商社やメーカーであるが、害は殆ど無いですよ禁止期間は丁度国や自治体の入札プロジェクトは殆ど無いじきですからと言う。わが社は禁止期間が数年に亘り後に異様に長い処分と言われた。急成長していた会社だったので別の怨みでも買っていたのかも知れない。ついていない。