太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

何をやっても平成最後

2019-04-30 09:08:08 | 日記

今日が平成最後の日、明日からは令和である。TVでは最後、最後と色んな番組で冠をつけて放送しているが、個人的にも何をやっても最後の日である。因みにこれは平成最後のブログである。天皇皇后のこれまでの人生がフラッシュバックして流されるが、世界でこれほど私利私欲と無縁の存在があるのかと尊敬を超えて尊崇の念を抱かざるを得ない。すべてを国民と日本国のため捧げるというまさに象徴としての天皇を全うされたと思う。もうニュースにすることなどなく、ただただ穏やかに余生を楽しんで貰いたいという願いは誰もが持っているだろう。

評論家二人が安倍さんは天皇陛下の退位、即位を政治利用してはならない(人気取り)と言っている。どの断面を言っているのか分からないが先のトランプ大統領との会談で、首相から招待された際のやりとりを披露した。当初は「行けるかどうか分からない」と決めかね、米プロフットボールNFLの王者を決める「スーパーボウル」を引き合いに、「その行事は日本人にとって、スーパーボウルと比べてどれくらい大きいものなんだ?」と尋ねた。首相は「だいたい100倍ぐらいだ」と答え、トランプ氏は「行く。そうだったら行く」と来日を決めたという。トランプ氏は改めて「とても異例なことだ。本当にすごい行事なんだ」と語ったとある。英国の戴冠式に招待されても同じようなことを言うのだろうか。ジョークかも知れないがちょっと幼い。そもそも日本には皇室を引き合いに軽口をたたく習慣はない。ゴルフ仲間で本当に友達ならもうちょっと日本のことを理解していても良さそうだが。まあ次何か大統領から招待されたら大相撲の優勝決定戦があるのでとか返せれば良いのだが。

首相は各国首脳会談がお好きなようであるが、本当に首相が行かなければならないとしたら、日本が抱える拉致、基地、領地問題に関わることだけではないだろうか。日米の貿易問題についてはトップダウンよりボトムアップのような気がするが。そんなことを言っていたらトランプ大統領の鶴の一声で農産物や自動車の関税問題でやられてしまうというかも知れない。首相なら鶴の一声を抑えることができる、のだろうか。シェルパ官僚がお膳立て(事前交渉を煮詰めた後)に失敗した後で挽回に行くなら分からないでもないがどうもパフォーマンスに見えてならない。菅さんが総理になったらトランプさんとゴルフを楽しめるのだろうか。石破さんしかりである。多くの国民は各国を訪問する総理を見て、ああ堂々と首脳と渡り合って絵になる人だなあと思うだろうが、さて拉致、基地、領地でどれ程の成果を上げているのか問われると返事に困る。外務大臣ではないのだから勿体をつけて最後に出て行くという演出も必要ではないだろうか。

さて平成最後のコンビニ詣でに出るか。

 


何か思い出になることを

2019-04-29 07:29:14 | 日記

平成も残すところあと1日となった。このような書き出しやセリフは日本全国至るところで見聞きするだろう。天皇の退位を感謝とともに静かに厳かに見送り、新天皇の即位は心からのお祝いと来たるべき時代が平和で老若男女希望に溢れたものでありますようにと願うばかりである。マスコミはそうは行かないだろう。多分カウントダウン祭りや平成最後のとか令和最初のという冠で様々な出来事を伝えるだろう。悪いことではないが騒ぎ過ぎ、悪乗りは控えなければならない。と言いつつ自分も何か記念になることをと考えたが何も思いつかない。平成最後のあるいは令和最初の日、何を考え何をしていたと聞かれても多分何もないだろう。

時代にあるいは人生に節目をつけて思い出すことは自身の総括に役立つ。元号もそうだが個人にはそれぞれ周期のような変化がある。かって上司が自分は不思議なことに6年周期で変化が起こる。職場が変わることもそうだが個人的にも思い当たることが多々あると言った。偶然でしょうと思ったが自身がある程度年が行き振り返ると7年縛りで何やら変化が起こっている。典型はやはり職場であるが職位もそれくらいで変わったように思う。次の変化は2年後の令和2年だが、令二という名前が流行りそうなこの年に何が待っているのか。オリンピックの後の大不況か、体調なのか、あまり楽しいものは待ち受けていないような気がするがそれも仕方のないことである。

平成も押し詰まりラッキーなこともあった。ベランダのゴーヤの葉が萎れてもうダメと思い、引っこ抜こうと思っていたら今朝は葉が横にピント張っている。危うく生きているものを諦めて抜いてしまうところだった。命拾いしたこのゴーヤは多分逞しく育って夏には沢山実をつけるだろう。平成の終わりに初めてゴーヤの生育に成功となる。それくらい何もない時代の変わり目である。


ラーメン屋の列の如く

2019-04-28 09:18:21 | 日記

連休初日は生憎の本降りだったが例年の如く空港で海外に出掛ける人へのインタビュー、新幹線ホームでおばちゃんに会いに行くという子供の不自然な受け答え、平和なスタートだった。二日目の今日は風はあるものの朝から快晴である。だからどうなんだとなるが別に何もない。まるで散歩をするように日課で毎朝ブログを書いておりパソコンに向かう。しかし書き始めた頃、日記もつけたことが無い人生で果たして何処まで続くのかと思っていたが、ある意味それは余裕のバロメーターではないかと思うようになった。丁度人気ラーメン店に1杯のラーメンを求めて長い列に並んでいる人のように、もし他に悩ましいことがあるなら並ばない程度の幸せバロメーターである。ブログが途切れたらこの身に何かあったことになる。しかもそれは決して幸せの何かではないだろう。便りが無いのは無事な証拠ではないが、ブログがあるのは無事な証拠である。ネタも思いつかない日もありどうしても同じような話を避けることができない。まさに酔っ払いの繰り言状態である。決して他人様の何かのヒントになるようなものがあるとも思えない。ああ今日もブログを書く余裕くらいはあると確認する日々である。

最新の出来事や思いをオリジナリティーを持って綴りたいところだが最近行動範囲が狭くなって毎日何か起こることはない。敢えて書くなら再びゴーヤの苗がしおれてしまった。最初は庭で露地栽培と思って植えたが葉っぱすら無くなって茎が少しのぞいているだけになった。見るとダンゴムシが群がっている。これは苗の育ちが悪いために柔らかい新芽を食べやがったと思い、新たに苗を買って日当たりの良い2階のベランダのプランターに植えてみた。今朝見るとやはり葉っぱが萎れている。これはもうゴーヤ農家としては破産だ。季節になると街角の庭先で沢山ゴーヤを実らせているところがあるが大したものである。今年もミニトマトと紫蘇くらいしか期待できない。

昔は野菜の苗を植えるなどとは思ってもいなかった。収穫までに最低半年、果実なら何年もかかる。待っていられないのだ。それより漁業、釣りは即結果が出るのでそちらを選んだ。この地で30年も暮すとは思っていなかったのが農業の失敗の原因である。最初から庭いじりを経験していたら狭い庭でも作物を育てる知恵は発達していたのだろう。またゴーヤの苗を買うと完成品を買う方が安上がりになるかも知れない。親戚に色んな作物を育てている農家がある。大変でしょうと言うと、なあに簡単だよ近所がすることを真似すりゃ済むよといっていたことを思い出す。物凄く謙遜していたのだろうことを今知った。サラリーマンが定年後できることは相当努力しないと限られてしまう。本職に勝てないどころか趣味にもならない。親戚にサラリーマンで終えた人も居る。定年後は得意の英語で翻訳のバイトをしたり、趣味でソバ打ちをしたりしていたが長続きはしなかった。本当に店より旨いソバが打てるなら近所の人がお裾分けに列を作っただろうに。

 

 


漠然とした未来

2019-04-27 09:12:55 | 仕事に関すること

業界団体である太陽光発電協会が「太陽光発電事業の評価ガイド」を策定し公表した。従来は発電設備を中心とした技術的マニュアルを何篇か公表していたが今度は事業全体を俯瞰した力作ガイドである。太陽光発電事業の関係者には是非とも一読をお勧めしたい。例えば事業譲渡の際のリスクマネージメントとか事業に参加、投資などを考える場合大いに役立つと思われる。ひと昔前ならここまで微に入り細に入り解説することは出来なかったであろう。業界団体でもプレーヤーが川下に移りつつあり彼らの知見も大いに生かされているように思う。マイナーチェンジはあるかも知れないが一通りこの種完成品と思って差し支えない。

今朝の朝刊で電力会社が自社設備として再エネを持つことを検討し出したとある。電力会社が自社設備として太陽光や風力を所有した場合、どのような運用をするか楽しみである。出力抑制は他社設備と同じようにするのかどうか。メリットオーダーからすればギリギリ最後まで運転は継続したいだろううし。原発もこう稼働停止のリスクがあればお天気次第と言われる変動型再エネとあまり変わらなくなる。補完電源の確保は必須である。

太陽光発電は今後は何処に向かうか。ガイドのように顕微鏡で眺める世界から再び望遠鏡の世界に戻ってみよう。望遠鏡だからアバウトの世界になることは否めないが、非科学的、夢物語として否定される場合が殆どである。しかし多くの人は叶うか叶わないか分からない漠然とした未来に意外と惹かれる。ある意味それが事業継続の原動力になる。なんやかやあっても結局太陽光の未来はこうなっていくよと示唆する資料があっても良いように思う。条件や仮定をつけて未来を描くことはそう難しくはない。例えばコストや効率がこうなるとこういう未来が開けるというタラレバの世界は描くことが出来る。事業化も同じである。理詰めで描く未来の事業は極端に言えば誰でも思いつく。しかし漠然としていれば道筋は自分でつけていかなければならない。あなた方どうあがいても行き着く先はこうですと誰かが示せばそうはならないと必死であがく人達は必ず居る。

例えば太陽光発電の未来を描くとき、宇宙都市のように太陽光発電で100%電気は賄われているか、まったく否定され0%になっているか。答えはその間にあるのだろうが、漠然とした未来の起点をどちらに置くかと言えば100%だろう。そこから避けがたい否定分が差し引かれていく、丁度太陽電池の理論変換効率に似ている。光のエネルギーを100%電気エネルギーに変換する場合から各種損失を引いて行くと現在の20%程度の効率になる。注意すべきは理論的な損失と思われていた部分が技術の進歩によって理論値が変わってしまたものも多々ある。100%から何を差し引いていくのか、避けがたい解決不能なものはなにか、それを見極めて行くことこそ進歩である。

今回のガイドを読んで思い出したのは昔勤めていた事業所でISO14001の認証を取得した時のことだ。一応本社の担当部署から指導員が来るが、その度にあれが必要これが必要といってキングファイルが次々増えて行く。プロならこれは不要これは統合可とか目的達成のための最小限のルールを作るべきではないか。右足出して次に左足を出して歩くと決めるようなもので病膏肓に入るとはこういうことを言うのだと言ったら怒って帰ってしまった。何処で寸止めし再び原点に戻って考えるというのはどんな分野でも必要だろう。次は逃れようのない漠然とし未来も描いてくれないだろうか。


久しぶりに真っ当な判断

2019-04-26 09:41:20 | 社会観察

原子力規制委員会が特定重大事故等対処施設の設置期限5年の延長は認めない方針を示した。間に合わなければ原発停止となる。この施設は航空機等によるテロ対策と言われているが勿論ミサイル攻撃や未知の断層や火山噴火などの自然災害にも対応できるよう遠隔操作で原子炉の冷却を継続するものである。建設期限は本体主要審査終了から5年以内に完成と定められている。そもそも5年という猶予期間が設けられた時点で規制委を信用できなくなった。テロにしろ自然災害にしろ何時起こっても不思議がないのにである。

テロやミサイル攻撃が外国から為されるとは限らない。国内でもドローンに爆薬を乗せて運ぶテロがあるかも知れない。それにしても期限の延長を求めた電力会社は厚顔破廉恥、懲りない面々としか言いようがない。自分のケツも拭けない上に安全装置が間に合いませんとどの口が言うのか。延長しても問題ないと言える科学的根拠が示せるのか。こういう時には推進派や経団連のコメントは出てこない。原発には安全性に優る有用性はあり得ないのは福島の教訓である。万が一施設の未完成を狙ったテロが起こったらどうする。これを機に規制委の委員の総取替えが起こったり、知らぬ間に代替案が認められたりしたらもう規制委に期待することなどあり得ない。テロや自然災害は想定外の時に起こる。本来なら再稼働の時に完成しているべき施設である。世界一の安全基準を標榜するなら。

意外とこのニュースについてマスコミの扱いは小さい。FITの賦課金による国民負担(電気料金値上げ)については新聞も相当紙面を割いてプロパガンダを展開してきた。今回も、予想外の岩盤が出て来たので工事が遅れる。原発はコストが安く安定電源であるから施設が未完であっても必要不可欠であり稼働停止は国民の利益を毀損する。1年遅れたからといってテロや自然災害のリスクがどれほど増えるのか、冷静な判断が必要である、などと社説に書いたらどうだ。