太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

えっ違法だったの

2018-02-28 09:14:50 | 仕事に関すること

裁量労働制の新聞解説記事を読んで驚いた。専門業務型と企画業務型があるのは知っていたが、改革関連法案では企画業務型の対象業務拡大に営業職の一部を加える、企画や分析、法人顧客のための商品開発、提案営業型がそれに該当する。ここで一般の営業職には適用しないとある。ということはブログで書いた外勤営業を対象としたことは違法だったのだろうか。近くにちょっと有名なディべロッパーの会社があって成長し続けるユニーク優良企業としてTVでも紹介されたことがある。ユニークなところは新入間もない頃からほぼ全員がみなし残業で残業カウントしていないということだ。結果相当夜遅くまで事務所に煌々と灯りは点いているが傍目にはブラックと映る。軍隊式研修も含めてユニークである。ただ、相当社員の入れ替わりは激しい。家族主義とか言って戦前並みの経営スタイルである。みなし残業と裁量労働は同一の意味ではないだろうが使い方次第である。基本、雇用契約は対個人となるので裁量労働制と断定は難しいだろう。

それにしても今回の厚労省の裁量労働に対するデータ処理は、困り果てた末の解決策、苦し紛れの手段と思うが、忖度すらも遥かに上回る凄まじさである。破棄したと言ったデーターが倉庫から出て来るなどの杜撰さは普段の仕事ぶりを容易に想像させる。消えた年金問題やら村木さんの冤罪問題から何一つ変わっていない。厚労省の罪はこればかりではない。遠い知り合いに霞が関に勤める高級官僚がいる。省は知らないが昔の人だから国家公務員の上級を受かって入省したのだろう。生活ぶりを聞くたびに、何とスマートなことか、羨望と嫉妬の対象でもある。しかし、最近の中央省庁の忖度塗れの仕事ぶりを聞くたびに憐憫が先立つ。厚労省は霞が関全体の品位を穢している。

厚労省とはお付き合いが無かったが外務と経産省はあった。特に経産省は所管省であり課長以下の職員とは相当何度も会う機会があった。押し並べて個々は優秀であり良く働いていた。国会会期中や予算編成時期は長時間残業は民間の比ではなかった。メールの時間を見れば良く分かる。しかしながら、どうしてもしっくりいかない場面もあった。以前ブログに書いたが、福島の原発事故の後、様々な委員会に出てくる東電からの委員は職位に関係なく発言の冒頭、このたびは大変な事故を起こし・・・とお詫びの言葉から始める。聞く方は貴方は原発と関係ない部署でしょうと思っても必ず詫びる。勿論あってはならない事故ではあったが、末端に至るまでお詫びは徹底していた。今経営陣の裁判が行われているが対応は正反対である。

経産省の場合、例えば何か不祥事があっても、自分とは関係ないと何処吹く風である。縦割り行政とか言われるが、机一つ隔てれば別世界である。あまりの割り切りに唖然とするとともに彼らが物事に動じないという強靭な精神の持ち主であることに驚嘆する。さらに凄い所は自分の上下関係の人の不祥事であってもたちまち替わりの人が就いて平然と仕事を続ける。仕事の引き継ぎ能力は半端ではない。多分、役所には失敗とか反省とか謝罪を決して表に出してはならないという不文律があると思う。

省全体の体質ではなく個人の問題かと思わざるを得ない場合も多かったと思うが、今回の厚労省を見る限り全体の体質と言ってほぼ間違いない。それは文化や伝統であり忖度の度を超えている。消えた年金問題も新聞に回顧録が連載された冤罪の村木さんも確か厚労省である。いや真面目に頑張っている職員も居るなどと擁護してはならない。真面目な職員がいることと問題を起こしたことは全く別問題であり免罪符的に真面目を取り上げるのは間違いである。ご近所にエリート官僚が住んでいたり、子供が国家公務員Ⅰ種に合格しても羨む必要はない。中原に鹿を逐う輩が一人増えただけである。

 


もし社長だったら

2018-02-27 09:12:09 | 仕事に関すること

勤めていた会社にも裁量労働制はあった。最初に適用されたのが外勤の営業マンである。これは純粋に時間カウントが難しいと言う理由でみなし残業(手当)となった。無理からぬ措置であると思っていたが、内勤(営業管理など)者からは、アイツラは残業していようがいまいが手当がつくとやっかみはあった。裁量労働以外の人は比較的早い段階で管理職(課長以上)に上げて過酷な目標を掲げて遮二無二働くようにしていたと思う。しかし管理職の方は手当でなく基本給に組み込んだからボーナスには反映されるため良心的だと思われており、若くして俺も課長かという自尊心をくすぐる為問題視されなかった。残業代を減らすという意味では後者に力を入れていたので裁量労働は一部としてあまり問題にならなかったように思う。ここから先が問題で間接部門、例えば研究開発の一部にも裁量労働制が適用されるようになった。

研究開発は当然グループで行うため、中には仕事のできる者できない者(能力とやる気という点で)が入り混じる。それでもみなし残業時間が終わったと割り切ってさっさと帰宅する社員は殆どいない。できる者は出来ない者をカバーしさらに長時間頑張る。できない者もお付き合い残業が始まる。問題はここからである。ノルマ(成果)と言われる目標達成は簡単ではないため残業時間はいくらでも増える。そのうちリーダーに厭戦気分が芽生え、この段階では健康管理もクソも無い。既に精神的健全性は保たれていない。裁量労働制が唯一バランスするのはノルマも裁量に委ねることだが会社という組織ではあり得ない。

ついこの間まで社長でもないのに「年齢や職位があがるということはその分扶養家族が増えると思え。ラグビーのタックルで腰に何人も食らいついてきてもそのまま引きずってゴールライン目指して前進することこそ君らの仕事である。for the team ,決して年齢や職位に甘えてはならない。上にいくほどきつくなるのが会社と言うものだ。」と叱咤(激励より檄励)と言っていたのに今は弱者の味方ぶって裁量労働の被害者を擁護するようなブログを書いている。呆れ返って開いた口が塞がらないというのはこの事だろう。ただ、言わせて貰うと多分置かれている立場で裁量労働制の捉え方は明らかに違うということだ。もしあなたが社長だったら、増大する残業代を押さえて効率よく働kせる方法を問われたらどう答える。明確に答えられなければ社長にはなれない。発展途上にある国ではあるまいし、未だに労働生産性の向上を謳っている社長は何処か変。ところが世の中には意外に戦前の徒弟制度のような経営で少なからず成功している会社がある。勤めていた会社がそうだって?そこまでは言わない。

P.S スポーツあれこれ

冬のオリンピックを久し振りにTVで観戦したように思うが、そもそも温暖な地域で育ったからあまり関心も無かった。しかし、結構見ごたえのある競技もあった。逆にこれはと思うものでスノーボードがある。特にハーフパイプなどは危なっかしくて曲芸に近い。子供達が憧れてやるには相当無理がある。寧ろクロスカントリーのような長距離をやる方が広く人気を集めるように思う。アイスホッケーが面白いことに気付いたが残念ながらパックが早過ぎて見失う場面がしばしばである。もう少し見易い色とかLEDを埋め込んで光らせるとか工夫はないものだろうか。フィギュアスケートは人気があるが、中継では残念ながら曲が良く聞こえない。多分バレーのように選手は曲に合わせて舞い、表現をしているのだろうがやたらジャンプばかりに注目されフィギュア本来の魅力が失われている。本物のバレイだって飛んで回転するのは構成のほんの一部だろう。TV中継で解説は要らないから曲を聞かせて欲しい。スケートのスピード競技ではスターターを機械化して欲しい。スキーでは既に行われているように。あまりに位置についてからドンまでの時間がスターターによって違い過ぎる感じがする。高木姉が金メダルとなったマススケートのような新しい競技種目も積極的に取り入れるのは面白い。カーリングはどうせゲーム性を高めるなら投げる(というのかどうか知らないが)位置をもっと広範囲にして色んな角度から狙えるようにする、経路に障害物を設置してカーブやシュ―ト(フォークは無理か)が投げられるようにして技を競うのも面白い。帰国後の記者会見は皆立派だった。安心して見ていられた。


海を渡ると独裁者

2018-02-26 09:33:26 | 社会観察

中国で憲法を改正して主席の任期2期10年を撤廃するという新聞記事があった。言うまでもなく習近平主席の長期政権を睨んだものであろうが、偶に人はこれを独裁と呼ぶ。北朝鮮もしかり。しかし海を渡ってこちらに来ると長期安定政権として評価される。勿論日本では政権選択の選挙があり、国民一人一人の投票に選択は委ねられているし与党の総裁が総理になり、一党独裁でないから同じとは言えない。唯一同じ言葉で言えば長期安定政権である。働き方改革だって労働者が今のままでは労基法が邪魔で効率的な働き方ができない、裁量労働の業種を拡大してくれと言ったわけではないだろう。現裁量労働制に色んな縛りを設けて無制限の労働だけは避けて欲しいとは言ったかも知れない。制限を設けるから業種の拡大をしても問題ないと言う事ですねと言われればたちまち答えに窮する。それでも選挙で選んだ結果であるし、裁量労働者以外の多数がその是非を投票するのだから結果は変わらない。昔海外出張がまだ少なかった頃、様々な手当てや航空券のランクダウンの提案がなされた。勿論会社側の提案だが組合はその是非を組合員に諮った。地方の工場でコンベアの前で海外出張など無縁の職種の人にはそれでも恵まれ過ぎの海外出張と思っただろう。あっさり組合は承認してしまい、併せて国内出張の手当などは改善されるセットだった。正直海外出張は赤字かトントン、国内は幾許かは儲かる仕組みとなった。手当はドル建てで1ドル80円の時代にも良く海外に出掛けた。

帰国後ドル換算で精算するが、残ドル×80円が収支である。あまりの少なさに日当が少なすぎると言ったら、日当は海外で使うために支給するのであって、その時はレートは関係ないでしょと言われた。海外はホテル代は実費精算だが国内は定額で大概の場合は2~3千円/日は浮く。それに日当が加算されるから明らかに国内の方が優遇だと言ったら、海外は安全性を配慮して1泊2万円でも実費払います。国内は偶々安いビジネスホテルがあっただけで2万円の宿の泊まるのも自由です。勿論定額支給だから赤字になるでしょうけど、と。いやはや会社のルールと戦うのは大変である。

P.S

冬のオリンピックも終わり世の中静けさを取り戻し、世界全体も何だか欺瞞に満ちた静けさの中にある。政治的、経済的にこれと言った大きな事件は起こっていない。テロの話もあまり聞かない。だから平和かというと決してそうではない。水面下で物事は進行している。特に北朝鮮については微笑外交の後始末が何やら蠢いている。自然界の天変地異についてもまるで地球全体が一休みしているかのようである。一昨日は久しぶりに暖かく釣りに出掛けた。しかし、昨年の秋頃から一向に釣れない。アタリもないのだ。地元の爺さんが話掛けて来て、去年あたりから魚の様子が変だ。セイゴの餌となる小魚、イナッコ(ボラの稚魚)が河口を登ってこない。海では良く見掛けるスナメりも姿を見せない。第一カモメが極端に少なくなった。どこの海岸や港も同じようだ。これはきっと近いうちに何かあるよ。津波だな。こんな護岸工事と擁壁なんかクソの役に立たないよと言う。ついでに近くのテトラの間で伊勢えび釣りを広めたのは俺だ、この辺だけが禁漁でないから1日180尾釣ったことがあると法螺まじりの自慢話を始めた。俺は足が悪くてもう出来ないけどもう何百人にも教えたから今日もきっと弟子が釣りをしているから様子を見に行く。。津波が来るとどうせ俺は逃げられない確実に死ぬよと散々言い放って元気よく原付バイクで去って行った。車までに逃げる途中で溺れるのはこちらで、あの爺さんは細い道を原付バイクで逃げ伸びるような気がした。

 


喝!

2018-02-25 09:27:38 | 社会観察

冬のオリンピックもそろそら終わる。女子のマススタートで高木(姉)が金メダルを獲った。小柄ではあるが、実に見事な作戦で屈強な欧米選手に勝った。男子でも銀メダルが続いていたが韓国の選手が最後に金メダルとなり絵に書いたような終わり方でまずはハッピーエンドだったと思う。

色んな競技がある中で敢えて視たいと思わなかったのがカーリングである。偏見に満ちて批判もあるだろうが、おやつタイムはいただけない。ハーフタイムに作戦やら休憩を兼ねてオヤツを食べるようだがネットで可愛いとか意見が寄せられているようだ。マラソンの給水は命に関わるから必要と思うがカーリングはなんだろう。イギリスが発祥のスポーツのようだが、ちょっと休憩で和気あいあいとオヤツタイムをとっていたことに不自然さはない。それがゲームであり身体能力を競うスポーツではないからだ。勿論、途中で栄養補給をすること自体悪い事とは思わないがその姿を表にだすことには中高年には違和感がある。もしサッカー選手がハーフタイムに円陣を組んでオヤツを食べていたらサポーターはどう思うだろう。ハーフタイムもファンの気持ちは休憩などしていない、アドレナリンは出っぱなしである。オヤツタイムは張本流でいえば喝!である。

スポーツではなくゲームだと思っていたらある解説者がストーンを投げる瞬間の姿勢は大変体力を必要とするとか言っていたがそれならハンマー投げのようにクルクル回って投げたらもっと体力は要る。難しい姿勢は幾らでもある。オリンピックの種目は遊びや生活習慣の延長上にあって、しかもそう簡単には到達できない技や力を試す場であって欲しい。その意味ではスノーボードのハーフパイプもどのような遊びの頂点かが良く分からない。多分こんな考えは古くて時代遅れだと思うが。スノーボードだってスキー全盛の頃はやんちゃな亜流の遊びだと思っていたが今ではスキー場の風景で沢山見掛けられる。遊びがスポーツ競技に昇華する例もあるからカーリングもオリンピックを機会にそこかしこでやられるようになりメジャーなスポーツ競技になるかも知れないがオヤツタイムだけは楽屋裏でして欲しいと思うオヤジタイムである。


驚いた発見

2018-02-24 09:21:25 | 日記

スペインの洞窟で絶滅したネアンデルタール人が描いた6万4800年以上前の壁画が見つかった。ホモ・サピエンスと人類交代劇を演じた一方である。壁画は既に見つかってはいたが、今回最新の科学により放射性物質の分析により年代を測定したものだ。驚くことはこの時代ホモ・サピエンスはヨーロッパに進出しておらず彼ら独自の壁画である。旧人と呼ばれる彼らは復元図など見ていると脳の体積は現代人より大きいそうだが外県はとても芸術的才能を有しているようには思えない。そう言えば昔職場に人間離れした顔つきの人が居た。復元図に近い。指なども相当太く、電卓のキーはどうしても隣のキーを一緒に押してしまうという噂があった。何かの拍子に知り合いになったが、噂では家では白いギターを爪弾き、実に甘い声で歌うという話を聞いて確認したらそうだと答えた。真面目で部下思い、時々虚勢を張るが単純な良いヤツだった。外観から人を判断してはいけないとこの時思った。

壁画は梯子の傍に杵を持った人の絵のようにも見える。絵を描くのは知的活動ではあるが日常生活の中でどのような場合に描くのだろうか。暇つぶしの落書き、仲間や子に何か説明するため、宗教的儀式、純粋芸術として、想像は膨らむ。もし芸術家としたら64,800年も生き伸びた絵であり、名前は知らないが最古の芸術家である。大昔のように思われるが地球の歴史から言えば無視できるほど短い時間であり、DNAの分析などから結構現代人と繋がりを感じる事ができる。ダヴィンチをその洞窟に連れて行き、身近にある材料で壁画を描けといったら果たしてどの程度緻密で写実的に描くことが出来るだろうか。大差はないように思う。壁画を子供の落書きのようにみてしまうのは間違いであろう。絵具やキャンバスがあって描くのと、固い凸凹の岩壁に石とかこすりつけて描くのは大違いで子供の落書きのように見えても仕方がない。昔ならへーっと思うだけの記事だが、最近人類交替劇やら文明消滅の本を読んだところなのでなんとなく身近な事と感じてしまう。

P.S B級読書考

相変わらず古本屋で買った本を乱読している。今は文豪と呼ばれる人の歴史小説だが結構分厚い。5分の4くらいは読んだが期待外れである。所謂歴史小説の部類だが今に盛り上がると思っていても相変わらず平たんで年表を多少装飾した感じしかしない。文豪と雖も駄作はあるものだ。ヒット曲が有る歌手でも全てが素晴らしいとは限らないのと同じか。内容そのものに深みが無い。鋭い洞察力も感じられない。これを渡されたら出版社も断る訳にもいかず苦労しただろう。古本屋に回るくらいだからB級でも仕方がないのかも。それでも一度読み始めたものは最後まで読む。釣った魚は食べる。それが礼儀というものだ。