太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

選挙に寄せて

2024-04-30 06:36:19 | 日記

 衆院3補選で自民が連敗し立民が3勝となった。これを見て政権交代の機運と断じるのは早計だと思う。自民は政党のダメージで敗れ立民は政党ではなく個人の魅力で選ばれたのではないだろうか。政党=個人と考えていては今後の戦略を過つことになるだろう。政党と言ってもイデオロギーの無い時代に政党を分かつものはない。派閥=政党と捉えても大きな間違いはない。若い頃、選挙(皆勤だが)では人よりも政党を優先していた。学生運動華やかなりし頃は安全保障、とりわけ日米同盟が政治の中心にあった。戦後80年の今日、日本にとっての大きな政策判断は終わってしまったように思う。今では何処も似たりよったりで政党間の大きな違いは見受けられない。

政策ごとに与野党の賛否が入り乱れることがあっても不思議ではない。次第に政党よりも人となりを見て投票するようになった。これを無党派層と呼ぶのだろう。小選挙区では与党候補に入れたり野党にしたりする。問題なのは当選してから馬脚を現してしまうことが屡々あることだ。こんな人とは思わなかったという例は数多ある。前の選挙では与党の若手で一貫して再エネ推進をしていた人に投票した。ところが収賄で逮捕されてしまった。政策の主義主張を支持していたのだが懐事情までは・・・。

不祥事を起こした議員さんを選んだ選挙民にも問題があると言われる。見る目が無かったと言えばそれまでだがそこまで分からないのである。政党でも人でも選べないとしたら次はどうするか。あの政党だけは勘弁と思うところはあるがその逆が無い。それでも投票皆勤だけは続けたいから困ったものだ。岸田降ろしが始まってもなびくことはできない。これといった代わりの人が思い浮ばない。政権政党の支持構造に似ている。世の中須らく有耶無耶になってきた。これが多様性の時代?


日本人らしさ

2024-04-29 08:16:52 | 日記

 時代小説が書ける作家は本当に才能もありよく勉強していると思う。B級読書で文庫本ばかり読んでいるが95%はよくこれで作家と言えるなと思える類である。その点時代物が書ける作家は一味違う。今読んでいるのは幕末の江戸で「報復絶倒にしてやがては感涙必至」と裏表紙の紹介文にあり選んだものだ。直木賞、柴田錬三郎賞、司馬遼太郎賞などの受賞歴もある著名な作家によるものだ。例えば押し出しの立派な人物が登場する場面で『齢(とし)のころなら五十のあとさき、鬢白髪(びんしらが)に艶(えん)を感じる、なかなかの男振りである。着物は渋好みの路考茶(ろこうちゃ)だが、よく見れば麻の葉の模様が沈んでいて、黒縮緬(ちりめん)を襟(えり)に合わせているところなどは相当の洒落ものであろう。羽織は黒無地の絽(ろ)で、肩が角張って見えるほどに鏝(こて)が当てられているのは、女房だか妾だかの始末のよさを感じさせた。こういった男は遊びこそすれ、女との悶着は起こすまいという気もする。つまり、絵に描いたようなお大尽であった。」これだけでその時代、その場の風景が目に浮かぶ。アメリカの時代物と言えば西部劇だろうが小説に写してもこのような描写はあり得ないだろう。カウボーイの登場場面で、『鞍は希代の職人フィラデルフィアのスミスの手によるもので使いこまれたタンニンなめし革はカービングで濃いブラウンとなり磨かれた縁(コバ)は折しもの夕陽を反射し輝いている。』などと描いたらアメリカの読者はもういい、次へ行けとなるのであろう。

若い現代物の作家では描けない描写が溢れている。それなら時代物ばかり選べばよいものをと思われるかもしれない。しかしそれでは疲れる。ステーキの合間に茄子の浅漬けが食べたくなるようなものでくだらない物でも読む価値はある。5冊に1冊くらい時代物を混ぜれば丁度良い。しかし最近は時代物が書ける作家は減った。隅々まで人の手が入った日本庭園に日本人は大自然を感じるが、せせこましさに息苦しさを感じる人も居る。それまでの経験や年齢によって異なるのだろう。最近は息苦しさを超えてまた自然に見えるようになってきた。人生一回り回帰?日本人の特徴とは何だ。

 

 


無駄のない人生

2024-04-28 09:39:25 | 日記

  ネット記事で「お金の掛からない趣味」なるものがあった。読むと当たり前のことを書いている。調査などしなくとも頭の中(想像)だけで書ける記事である。そもそも記事を読んで、これはお金が掛からないから趣味にしようと思っても無理である。趣味は好きになったり嫌いになったりと同じように意識的に持てるものではない。「趣味にお金を掛けない工夫」とかにすべきである。

趣味と呼べるかどうか分からないが釣りは好きである。竿やリールなど道具は一度揃えれば結構長持ちする。唯一の出費は餌代だが浜の小蟹はタダである。竿やリールでも10万円を超えるものは幾らもある。釣り船に乘れば乗船料がかかる(実際は船酔いするから乗らない)。磯釣りでも安全防具とか揃えれば結構な費用である(実際には危ないから行かない)。堤防なら足場もよく釣れる時は釣れる。釣りが趣味とは言えない理由はおかずの確保も狙っているからである(あまり釣れなくて漁業と言うには難があるが)。結局何を贅沢しているかと言うと自由に使っている「時間」である。重要なのは趣味に何処かで歯止めをかけることである。水原容疑者の賭博は途中までは趣味だったのだろう。時間の無駄遣いについても何処かで歯止めをかけなければならない。

GWの二日目で快晴、観光地はどこも混雑するのだろう。わざわざ混んでいるところに出掛けなくともと思うかもしれない。しかし閑散とした観光地へ行っても何だか充足感は得られない。ある程度混み合ってこそ来た甲斐があるというものだ。若いうちはそういう意味のない苦労をするのも無駄ではない。人生は何処まで行っても長い学習の道程である。最後は皆休むのだから。


円安ぼろ儲け

2024-04-27 06:19:17 | 日記

 今日からゴールデンウィーク(GW)か。10連休というところも多いだろう。勤めていた頃は金はあるけど暇がないで今は、暇はあるけど金がない。結局長い連休を有効に使った試しは一度もない。まあ楽しめる人は楽しんでおけばよいと思う。連休なんかリタイアしたら毎日が日曜日ではないか、それから楽しめばよいなどと傲慢な態度でいたことを今は少し反省している。プレートの上の美味しい物を後回しにするとイザ食べる段になって満腹になって美味しさ半減する構造に似ている。若い時しかできない事も沢山あることは後に分った。

何処かに出掛ける予定もなく古い資料を整理していたら20ドル紙幣が出てきた。記念にとって置いたのだろう。多分当時は1ドル100円の時代。それが今2000円が3000円になった。ぼろ儲けである。10万ドル取っておいたなら1000万円が1500万円か、残念。中国人民元紙幣やタイBAHT紙幣も結構ある。コイン類は国名も忘れたが十数か国がある。残念、探して無いのは円だけだ。

昨日は一時1ドルが157円を超えた。外国人観光客にとっては万々歳のGWだろう。日銀はまだ動かない。金さえあれば金利差もあり米国にドル預金をするだろう。輸入品も当然値上がりする。オーバーツーリズム問題などで一時ほどインバウンド礼賛の声はしなくなったが観光客目当ての値上げで庶民も余波を被っている。かつ丼1杯3000円とかあり得ないだろう。ホテルも値上がりしている。もう10年位前北海道旅行をしたとき海鮮丼が3500円とかあってびっくりした。それくらい出せば新橋でも同じものが食える。同じ構造である。

家族そろってヨーロッパ1周旅行とかアウトバウンドこそ誇れるものだという意見はないのだろうか。一時期は爆買いがもてはやされ今は観光客の多さを自慢にしている。庶民にとって円安のメリットはどこにあるのか、メディアも伝えて欲しい。引き出しに有った20ドル紙幣の価値は分かる。


生活雑感

2024-04-26 08:45:34 | 日記

 よく手入れされた沿道のつつじが赤白ピンクの花をつけ出した。近所の整形外科医には贅沢にも駐車場の周りに何本も蘇鉄の大木を植えているが先端から薄緑の葉が出てきた。点在する丘の小山も桜が過ぎて鮮やかな新緑で、1年のうちで街が最も美しく見える季節である。なんとなく晴れ晴れとするのは小さい頃山猿だったせいだろうか。今日はブログの書き始めが少し遅れた。大谷選手の録画を観ていたせいである。残念ながらノーヒットに終わった。解説の人が言っていたが、ファンの人というのは毎回ホームランを期待するものです。その通りだがそうは問屋が卸すまい。

コンビ二はよく行く方である。必要なものはここで事足りる。パンや総菜、弁当から生活雑貨の小物まで。最近は曜日を決めて近隣の農家製だろうか安い野菜まで並べている。事足りるのは当たり前で置いてありそうな物を買いに行くからである。家具を買うのにコンビニには行かない。コンビニと言っても知恵の塊りである。どんな商品をどれだけ置くか、陳列はどうするか。照明の照度は場所によってどう変えるか、出入り口付近のエアコンは強めにとか。商品の入れ替えや補充の頻度はスーパーやデパートの比ではない。コンビニ各社は殆んど同じスタイルだから何処のコンビニに入っても迷いはない。差が出るとしたら駐車場への入り易さの違いくらいだろうか。大学生にコンビニの設計から経営までを論文にせよと言ったらどの程度できるだろうか。経験とノウハウの塊りとも言える。政治や行政には多くのエリートが集まるが果たしてそれほど難しい仕事だろうか。ゼロから始める仕事などごく僅かである。多くは先人に倣えである。

日常の中でいつの間に変わったのだろうと思う事はある。少し前まではTVで歯ブラシの宣伝がよくあった。毛先のカットが違うとか先端が撓るとかどれ程の違いがあるものかと思いつつ単価の安い商品をここまで宣伝するのは何か意味があるのかとか。最近はCMそのものをあまり見掛けない。メーカーは費用対効果に疑問を持ち始めたのだろうか。代って増えているのは高齢者向け商品である。サプリとか健康器具など知恵を絞っている。誰もが思い当たる症状に効果があるいうからそそられる。その内団塊世代あたりがこの世を去ると商品のトレンドは変わって行くのだろう。覚えていた事、出来た事を一つずつ失っていく年齢になってきた。勢いより安定した社会を望むのは無理のない所か。