太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

穿った見方

2016-06-25 07:48:47 | 社会観察

昨日は英のEU離脱是非を問う国民投票が世界中の関心となった。結果は僅差で離脱派が勝利した。まさに国を二等分する結果である。たちまち世界中の株価が大暴落し、円高は進み、報道は経済的ダメージを挙って取り上げる。まるで、英国民が最悪の判断をしたかのようである。しかし、少し考えて見ると投票というのは国民一人一人の民意(価値観)を問うものであってその結果が世界経済にどのような影響を及ぼすかを問うているわけでは無い。個々が問題に優先順位をつけて判断するものであってそれをとやかく言う権利は誰にも無い。

INとOUTが拮抗するというのは穿った見方をすればどちらに転んでも良いということになる。確かに経済的にはダメージが大きいだろうが、だからといって移民や雇用、社会保障に不満を持つ人々の感情を無視できるかというとそうはならない。2大政党が政権交代可能な状態になると、マスコミの多くは不安定さを煽る。政権奪取のために反対だけが目的という見苦しい争いも起こるだろう。しかし、より良い政策で政権を維持しようという競争も可能性はある。そうなればどちらの政権に転んでも選んだ方に損は無い。勉強もスポーツも出来ておまけに男前でクラスのことを真剣に考えるA君と札付きのワルB君が学級委員の選挙に出たとする。結果は圧倒的なものとなるだろう。結果が拮抗するのはA君と似たようなA'君のどちらかを選ぶ場合、B君と似たB'君のどちらかを選ぶ、これはクラスが2分されるがどちらに転んでも結果は似たようなものとなる。

重要な事はどちらか勝利した方が、半分は反対の人が居るという事実を重く受け止め政策を打つ(次期政権)ことだろう。これが片方に偏重するような政策を過度に急激に進めてしまうことが最も危険である。まさか常識ある大英帝国の国民がそんなことをするはずはは無いと思うが。

英国に進出している日本企業が1000社、ダメージが大きいと評論家や経営者が言う。まさか国に何らかの救済措置を求めているんでは無いでしょうね。国が強制的に進出させた訳でもなく、国民投票があることも分かっていたはず。まさか離脱は無いだろうという経営判断でしょう。経営判断の結果を国が日本経済のためと尻拭いしたのでは国民は納得が行かない。少なくとも、超低金利の金を借りてでも新しい拠点を探すこと。しかし、英国も今後海外企業を留めるあるいは誘致する手を次々打ってくるだろうからそれを期待して待つのが賢明な選択なんだろう。

やっぱりマスコミはメリットデメリット、果実とリスクをバランスよく報じることは無い。成果を強調する、不安を煽るどちらかに偏る。見えないパラレルワールドを何処まで想像できるか、物事を見る個々のリテラシーが問われる。


久し振りのシャープ

2016-06-24 10:03:58 | 仕事に関すること

総会が終わり正式に鴻海の傘下となったシャープだが、報道では予想通りリストラ問題が再燃している。契約書で歯止めなど利かないのだろう。自社の中で事業をどう再編するかはある意味勝手である。交渉の早い段階から太陽光発電事業は要らないと言っていた鴻海だがここ数カ月の間に事業継続を決断した。誰が説得したかは知らないがその説得力は大したものである。日本の国内事情だけを見ると将来性に疑問を持つかも知れないが、世界は太陽光発電の成長を予測し、大きな期待を寄せてている。COPがらみの環境対策として、あるいは個別地域、国のエネルギー対策として投資面からのメリット分析など優れた調査報告が沢山出ている。

太陽光発電事業の継続は市場に変化をもたらすか?大きな潮目となる可能性は十分にある。薄膜シリコン太陽電池が再び注目されるとかの技術の問題ではない。もし鴻海が世界市場を狙うとしたら現在の中国メーカーにどう対抗するかがポイントとなる。決断の速さ、資金力からすれば大手中国太陽電池メーカーを買収することはあり得ないことでは無い。その時は経営判断、資金力、モノづくり、信頼性、ブランドで群を抜く可能性がある。世界を席巻しようと思えば国の縛り(関係性や村的忠誠)は却って枷となる。ビジネスのためだけを判断基準にできるこのドライ性は多国籍軍にしか発揮できない。潮目は業界の再編の可能性があるということである。かってシャープ自身もEU市場を狙ってイタリアの会社と合弁会社を作った。しかし、これは技術の見通しが甘かったためそれほど成功はしなかった。

日本メーカーはどのように戦うのか。まだその戦略は見えない。多くの中国メーカーが日本法人を設立し日本国内市場を狙ってきた。かっては中国メーカーが日本のメーカーを買収して日本法人を設立したが、これも大成功とは言えなかった。立ちはだかった壁は国の縛りである。国との関係性やブランドの浸透はあまり上手く行かなかった。閉鎖的市場であった日本では守旧勢力が強かった時代である。

そこに何処の国のメーカー(ブランド)か分からない多国籍メーカーが現れたら、守旧メーカーはどう戦えば良いのか途方に暮れるはずである。日本国内で、「中国製でしょ」と言われれば「いえいえシャープの技術がベースで信頼性も確保している」と言い、中国市場で「海外製品でしょ」と言われれば「いえいえ主力工場は中国です」と言って国の支援にも乗っかり、欧米市場では「日、中、台の良いとこどりをしたグローバル製品です」とい言い、コストの厳しい中南米、アフリカではコスト競争に挑む。そして素早い経営判断で市場の規模と成長に合わせてそれぞれの地域の拠点を大きくしたり縮小したりする。

中々の脅威である。日本のメーカーの皆さん、最早昔のシャープ太陽電池ではないライバルが出現しますよ。さてどう戦うか。これ以上書くと有償だな。


雨の想い出

2016-06-23 08:37:32 | 思い出話

九州地方が地震に続いて豪雨の被害に見舞われた。その雨は東に移り、今日は関東地方でも雨となった。最近は天気予報が相当の確率であたるようになった。衛星画像など観測機器とコンピュータによるデータ解析の進歩によるものだろう。昔は気圧配置と前線の様子から予測し、何か知識人ぶった予報士が気圧配置図を前に解説(今も出ているが大人しくなっている)していた。今は風と雲の動きによるシミュレーションが放映される。このシミュレーションは雲が発生したり消えたりする様まで予測する。多分このシミュレーションがよく出来ているのだろう。晴れるか、曇るか、雨かは、変化しない太陽と地面の間にある障害物である雲によって決まるのだからあたり前だろう。

夏空を流れる雲を眺めていると雲は形を変えながら何処から流れて来て、何処かに流れて行くと(子供の頃は)思っていたが、大人になってからは突然中空に湧きだし、突然消滅することも分かってきた。気圧や温度、大気の水蒸気量の関係を分析し風の流れが分かれば出たり消えたりすることは予測可能なのだろう。ここまで天気予報が当たるようになれば太陽光発電を電源として制御するために必須となる短時間の日射予測もそう難しいとは思えない。

太陽電池をやっていると自然と天気(日射や曇り、雨)には気を払うようになる。今のように太陽電池が世の中に知られる前、1970年代終わりから80年代初頭、何とか製品化して市場に送り出せないかと苦闘した時代があった。アイデア検討会を度々開催した。

夏に海岸に寝そべる若い娘たちに資生堂が日焼け止めを兼ねた“夏の厚化粧セット”を売り出してくれれば“おまけ”として太陽電池セルをセンサーとしてコンデンサーに日射量の応じた電気を溜め、その量を針で示し、針がレッドゾーンに掛ると“もうあなたは紫外線量を浴び過ぎています”という警告にしたら売れるぞ、とか日照りの夏に川から田んぼに水を引くソーラーポンプを“我田引水ポンプ”と銘打って売り出したらどうかとか、洗濯屋の物干し(当時は天日干し)に太陽電池をセンサーと動力にして、日射がある値以下になるとガラガラとモーターで巻き上げる装置を作れば天気を気にする必要がなくなるぞとか、実りの秋に田んぼに立つ案山子の手を太陽電池を動力にして動かせば案山子に慣れた雀もびっくりする“電動かかし”をつくったらどうだとか(これはネーミングが危ないと言う理由で失笑を買ったが)いずれも商品化には至らなかったが今生意気に評論家ぶってモノを書いている私のアイデアである。

雨に戻る。まだ学校に上がる前だったろうか。梅雨時、大雨が降ると少し離れた川に釣りに出掛ける。と言っても小さい私は連れて行って貰ったのだが。ガキ大将の親父さんは元海軍だとかで何時も厳しい顔で子供の頃は「怖いおじさん」のイメージで話す事も無かったが向こうは孫くらいに思っていたのか。雨の日にその川まで自転車の荷台に乗せて連れて行ってくれる。川は普段は10メートルくらいの幅だが雨で何倍にも増水し、川岸の藪の竹も先が水に浸かり今にも押し流されんばかりである。子供には少し恐ろしい光景だが、私は頭から大人の合羽の上着を被せられう背丈ほどの草に蹲っておじさんの釣を眺める。時々“ギギ”という背中に刺のある黄色っぽいナマズのような魚が掛る。これを釣りに来たらしいが、その恐ろしい姿を見ているとオジさんが触るなよ危ない、と言う。とても小さい自分には釣れる魚ではないし、ただ雨の中でしゃがんで見ているだけでも連れて来て貰ったのは何だか自分が特別な存在のような気がして小さな高揚感があった。

梅雨時には時々近くの大きなため池が氾濫して周りの、田植えが終わったばかりの田んぼが浸かった。苗の先も見えなくなり当たり一面は平らな大きな湖のようになる。やがて水が引き始めると、ため池から流れ出たフナやコイがあちこちで水を撥ねるのが見える。これをガキ大将が網を持って追い掛け回す。苗を踏みつぶすので大人に叱られるのは覚悟でのことだが、あぜ道でこれを見ている自分は魚を捕まえられるだろうか、大人に見つかってしまわないかとドキドキしている。

10年くらい前の大雨のとき、今住んでいる近くの大きな沼の用水路が堤防を越えて氾濫し、見たことも無い巨大な池となった。子供の頃の田んぼと似ている。中年も越えようとしていたが、その池の中に取り残された1本の農道を自転車で、さもお百姓さんが見回っているかのような素振りで走ってみた。本当は魚が跳ねるのを見たかったのだが。今ではそこは造成され立派な住宅地になってしまった。もう魚を見ることは無い。


面白かった党首討論

2016-06-22 08:27:52 | 日記

日本記者クラブでの党首討論がTV放映された。一番感心したのは質問者がそれなりに厳しい質問をしていたことである。国会中継よりレベルが高かった。一番分からなかったのは“政党を分かつものは一体何”だろうと言うこと。イデオロギー無き時代の政党を分かつものという疑問をブログに書いたことがあるが、やはり良く分からない。与党対野党という構図なら納得できることはあるが、与党でも自公の違い、野党でも政党間の違いは聞き取れない。政策ごとに与野党の組み換えがあってもおかしくないくらいの差である。一度新聞で政党の綱領で違いを解説して欲しいものだ。

それにしても安倍総理のディベート力はたいしたものである。ああ言えばこういう総理に質問者も詰め切れない。考える間もなく答えられるのは自信の表れか。アベノミクスに関する質問で、成果ばかり強調するよりリスクもちゃんと発信するべきとあったが、何時かブログに書いたとおりの質問もあった。総理も全てに自身があってやっているわけではない、という本音もあってこれはこれで良かった。

質問者が小沢さんに、本来中央に座るべきだが、何故今そのような端の席に座らざるを得ないと思うか、という質問は実に味があった。返答は当たり障りの無いものだったが剛腕小沢の時代を見ているから今の元気の無さは心配でもある。この人と口喧嘩したら負けるなと思うのはやはり安倍さんと志位さんだろう。

流石に各党の代表であって地元の利益代表、団体の利益代表という印象はない。それなりに国というものをベースに考えていることは伝わる。かって何人もの政治家に会う機会はあったが皆、おらが村のガキ大将的な雰囲気ばかりで失望をしたことは多々有った(そう言う人にしか会えなかったこちらの分際の問題か)。議員会館には虎の威を借る狐か狸で溢れかえっているイメージだった。何様こいつと思うTVで顔馴染みの女性議員(重鎮と本人は思っている)とかやたら低姿勢の新人議員とか。

ちょっと討論会を褒めすぎたかも知れない。政治家は好きではないが期待をせざるを得ない。野合と批判するのは得策ではない。連立政権と野合はスタート時点に返れば同じである。政治は結果責任だと言っていることと整合しない。因みに私は人物本位で投票する予定。

 


涙が出るニュース

2016-06-21 08:44:17 | 社会観察

昨年の秋だったろうか。親子3人が無理心中を図り娘だけが助かり親が二人とも無くなったニュースがあった。今日はその公判があったというニュースである。高齢の母親が認知症に罹り、父親は新聞配達をしながら生活を支えていた。その父親も病気になり、生活も苦しくなり母親の介護をしていた40代の三女に死にたいと漏らし、介護疲れもあった三女は軽自動車に両親を乗せ、利根川の河原から水の中に入って行ったが車が進まなくなり母親の手を引いてさらに深みに入って行った。父親も車から出たが少し離れたところで死んでいるのが発見された。公判の被告人はこの行き残った三女である。

無理心中を図る前の苦闘の生活が想像される。父親は世間に迷惑は掛けたくないとの一心で生活保護も受けずに新聞配達をしていたのだろう。実情は知らないが、三女はおそらく上が独立した後、母親が認知症に掛り、家に残っていたため自然に面倒をみなければならない立場になったのではないだろうか。我が親戚にも三姉妹の家があり、長女と次女がそれなりに幸せな結婚の道をさっさと選び、子供だった三女が自然と家を継ぎ、両親の面倒を見た例がある。10年前に母親が認知症になったという。

10年前、あるいはさらに遡って、家族の誰がこの末路を想像できただろうか。必死で働き、夢を見る少女が居たに違い無い。その少女は最後は母親の手を引いて深みに入って行った。河原から車で深みに入って行って親子3人で死のうと思った幼稚とも思える方法を中年になった三女が思いついたとしたらさらに切ない。行き場の無い、考える余裕も無い絶望的な状況であったに違いない。この三女の人生を想像するだけで涙が出る。そして世間に迷惑を掛けたく無いと思って高齢になっても新聞配達の仕事をしていた父親に、もし自分が傍に居たら何か言葉が掛けられただろうか。これが先進国日本で起こる事件なんだろうか。もし私が想像するような事が事実であるなら何とか寛大な措置が取られればと思う。

この記事は片隅でトップは原発20年稼働延長のニュースである。電力会社は厳しい安全基準をパスした、規制委は稼働の審査ではなく安全基準に照らして審査しただけと言わなければならない事態が起こらないことだけを願う。私のような小心者はもし明日何か起こったらどうしようと枕を高くして眠れないだろう。関係者の勇気ある心中を思うと涙が出る。いや歯ぎしりと同時に出た涙かもしれない。