太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

いつの時代にもあるある

2022-03-31 07:53:07 | 日記
 どんな時代にも、組織にも飛ぶ鳥を落とす勢いのある者はいる。庶民は飛ぶ鳥を落としたいとは思ってもできない。それでも落ちた鳥を焼き鳥にして食べるくらいの逞しさは欲しいところだ。しかしちょっと待て。落ちた鳥の所有権は誰にあるのか。それより鳥獣保護管理法によって野鳥は捕獲しても飼ってもいけない筈。鳥を落とした者はこの法に触れる。いや落ちた鳥でも勝手に焼き鳥にしたら遺失物法違反ではないか、などと雑念が巡る。世の中には曖昧な方が庶民にとって有難いこともある。勤めていた頃の話。出張で飛行機に乗った者がたまたま機内で抽選があり当たった。土産だと喜んでいたら、それは仕事上で偶然得た物であり個人のものにはならない。会社に拠出せよと先輩に言われたとのこと。海外出張の多い者はマイレージが貯まってかなり優遇措置がある。仕事上で得たマイレージは誰のものかと問題になった。昔JRにオレンジカードというものがあった。10000円で700がプレミアとして附与されるプリペイドカードである。経理がオレンジカードで切符を購入したものはプレミアの比率で精算すべきと言い出した。流石に小数点がつくので実施されなかったが思いついた経理マンはその後原理主義者と呼ばれた。昔は法や規則には個人の裁量に委ねるグレーゾーンが結構あった。今はネットによる監視の目が煩く、数が多いだけに対応は厄介である。白黒の境界線を引きたい人で溢れている。庶民にとってはこのグレーゾーンに意味がある。全てが決められていることの息苦しさは耐え難い。これくらいはいいのではないかと思える瞬間は人生の長い階段の踊り場で次のやる気を引き出す。それにしてもコロナの階段は長い。またまた感染拡大の兆しである。屋上階は雲を突き抜けたその上である。それでも目の前の階段を一歩づつひたすら登るしかない。こんなに慎重居士でも時として非常階段から転げ落ちる。それも人生のオチというものか。もう少し踊り場で休んで行こう。

やっぱり白紙か

2022-03-30 07:38:57 | 日記
 年金生活者への5000円支給案が与党内で白紙撤回となった。目くじら立てるほどの話ではないが提案者側の反論が聞けるわけでもなく世論の風向きを読んでのことだろう。勿論この件で年金生活が大声を挙げて騒ぐこともない。彼らは大声をあげて纏まる術を持たない。現役の頃
比較的海外出張が多い方だったが出張手当はドルで規定されていた。一番ひどかったのは1ドルが80円くらになった時だ。50ドル/日とすると4000円/日である(精算は帰国後$も円換算して行う)。これでは宿泊費の差額と出張手当で潤う国内出張より少ない(国内宿泊費は定額、海外は実費だった)。総務に文句を言ったら「海外出張手当は出張中の食事などの経費を補填するものであり海外で使う分にはレートは関係ないでしょう。」と言われ撃沈した。その後組合内でもあまりにも酷い、海外出張で赤字になる人も続出しているということで組合員の賛否を問う事になった。結果はこれも撃沈。凡そ海外出張に行くことなどあり得ない地方の工場のラインマンも一票である。会社のお金で海外まで行きながら何を贅沢なというのが普通の感覚だろう。こちらは海外出張と言っても途上国の僻地ばかり。食費は大したことはないが危険手当くらいに思っていた。
 議員さんで年金生活者はいないだろうから撤回に至って冷静である。冷たいと言うべきか。今月も多分お小遣いは5000円くらい不足する。大好きなコンビニの100円コーヒーも控えめにしよう。

車の点検

2022-03-29 09:00:39 | 日記
 映画ドライブマイカーがアカデミー賞を受賞した。おめでたことである。何の関係もないが今日は車の12ヵ月点検に行く。罰則規定はないが法定点検である。点検を受けなかって後悔するより万全を尽くしておく方が何かの時に後悔することはない。車検、点検、保険と何かと車は費用がかかる。目に見えないところでは毎年残存価格が目減り(償却)してこれの費用の一部である。田舎では1家で3台も珍しくない。よく維持できるものだと感心する。
 車ではやはりソーラーカーがブームだった頃を思い出す。1000万を超える費用を負担しながら海外のレースにも参加していた。こちらはその頃途上国の僻地を駆け回りODAのプロジェクトファインディングをやっていた。社内の雰囲気もマスコミもソーラーカーに明るい未来があるかのように囃し立てた。仕掛け人は社内に居たが大ぼら吹きで大嫌いな男だった。ある時見かねて知り合いの重役に、ソーラーカーに随分お金を使っていますが一部でも途上国援助に回して貰えますか。第一太陽電池で車を走らせることには無理があります。車など完全に隠れてしまうほど太陽電池を搭載しても動力には足りません。計算すれば分かることです。精々蓄電池の補充電(自己放電によるバッテリーあがりの防止)くらいでしょうと言ったら一喝された。何を言っとるか、これはオーナーの肝いりのプロジェクトだ。君も彼(仕掛け人)を見習ったらどうだ。目の色からして真剣さの度合いが違う、と。忸怩たる思いだったがオーナーの肝いりとは知らなかった。それから各社が参入してきて華やかなソーラーカー時代となった。ところが1年も経たないうちにオーナーがソーラーカーはアフター5にやることで仕事ではないと言い出した。途端に熱は冷めて行った。他のメーカーでは飛行機(グライダー)までソーラーで飛ばして如何にも飛行機も実現するかのように自慢した。車と同じようにソーラーを大きくすると重くなりさらにソーラーを大きくする必要がある。飛行機の次は地下鉄ですかと皮肉を言ったらその会社の知り合いは宣伝ですよと冷たかった。車も飛行機もソーラーで動力をと聞いたら特殊な設計で実用機ではありませんと講演会などで説明するようにした。精一杯の抵抗も遅かった。

映画とダブって

2022-03-28 08:40:56 | 日記
 戦果を報告するプーチン大統領の最新映像が流れた。内容は着々と侵攻の目的は果たせているとのことだったが何処か違和感があった。何時もは身振り手振りで大袈裟なジェスチャーを交えて話をするがこの日はテーブルの上で指を絡ませて微動だにしない。固い決意の表れなのか震えかなにか体の不調を隠そうとしているのか。体調の心配ではない。思うように行かない戦況にストレスが精神状態を不安定にして思考回路に異常をきたしていないかということだ。思い出すのは「ヒトラー最後の12日間」という映画である。敗色濃紺な戦争末期。ヒトラーは地下要塞に身を隠していた。すでに正常な感覚を失っていたヒトラーは部下に実現不可能と思える作戦を熱く語る。精神が壊れて行く様を追いかけたドキュメンタリータッチの名映画である。まさか1945年の出来事が2022に同じように起こるとは思えないが歴史は繰り返すということもある。どのような形で停戦になってもロシアが失った国際社会での信用は何十年も回復しないだろう。当然それは市民生活にも多大な影響を与える。代償を支払う時に初めて国民は戦争の意味を知ることになる。
 TVを見ていたら著名な学者で評論家でもあるT嶋氏が「全員参加型秩序」の話をしていた。氏は数年前からITの進化が世界に新しい秩序を齎すと主張されていた。ロシアのウクライナ侵攻に対して冷戦後の世界の新しい秩序としてこれを持ち出されていた。安保理の常任理事国がことを起こした場合国連は機能しないことやミサイルなどの重火器がドローンの発達により威力が損なわれる新しい形の戦争、そして戦争を止めるのは「全員参加型の秩序」であると。従来の強国が権威主義で世界を席巻することはできないと解説した。
 2月25日の弊ブログで国連の無力を見て「巨人の暴走を食い止めるあるいは抑止力となるのは巨人以外が一つに纏まることしかないように思う。そういう仕組みが考えられたとき始めて人間も進歩し知恵をつけてきたと言える。」と書いた。まさに全員参加型の秩序である。今は経済制裁と言う形で世界は纏まりつつある。ロシアが今後北朝鮮のように固く国を閉ざして生きていくのか、何処かで総括をして国際社会に復帰しようとするのか、選択権は国民にある。74%の国民が侵攻を支持しているという世論調査は信じ難い。もし、あなたの夫や息子が戦場で命を落としても、無防備な民間人を殺戮しても支持しますかと聞けば数字は逆転するだろう。

散らない桜

2022-03-27 08:13:54 | 日記
 もう何十回も見て来たが毎年春の桜は美しい。我が街では蕾は弾けそうなくらい膨らんでいるがまだ開花はしていない。多分今週には咲き始め、来週には満開になるだろう。近所には千鳥ヶ淵クラスの桜は随所にあり、東京にあれば名所となっていると思う。樹齢300年を超える一本桜もある。勤めていた工業団地では桜並木が見事なトンネルを作る。定年の時、これといった思い出は無いが桜のトンネルの下で記念写真を撮った。城址公園も桜の名所でコロナ前は多くの人で賑わった。シートを広げて宴会をする家族連れや、敬老会、職場仲間なども多く陣取っている。刈り込まれ手入れされた芝生のだだっ広いスペースは至る所にあり場所取りなど必要ない。どこも自転車で行ける距離である。
 車で30分も走れば競争馬の練習場となっている牧場公園があり桜の名所になっている。ここは口コミで有名になり今では遠くからも人が来るので大変な混雑である。ただ桜は見頃が短く、蕾や散ったとでやって来る人も多い。ここは屋台まで出て賑やか過ぎて最近は行かない。奈良に居た頃は吉野にも出掛けた。若い頃は折々の桜に思い出が詰まっているが最近はどうだろう。あと10回は見れるだろうかなどと寂しい気持ちにもなる。
 しかし実際はこれが最後の桜などと思う時はやって来ない。次の桜が咲く頃までは頑張る。次の年もしかり。1の次は0.9、0.8・・・次は0.09、0.08・・・とカウントダウンは続く。齢90を超えた我が師にも最後の桜などありえない。来年もその次も季節はやってくる。如何に長く生きようとも人生の桜は永遠に散らない。さすがに300年とは行かないだろうが元気でいて欲しい。