近所に空き地が減ったせいもあるが今年の秋は虫が鳴くのを聞かなかった。少なくとも我が家の雑草にコオロギでも居そうなものだがそれも聞かなかった。そういえば夏にセミの声も聞いた記憶がない。まさかこれまでコロナウィルスの影響ではあるまいが何とも物足りない、こんな秋は長く生きて初めてである。庭の山茶花の紅い花に蜜に蜜を求めてやってくる名も知らない小鳥くらいが秋らし。高層マンションに住んでいるわけでもないのに季節を感じるのは暑さ寒さの気温くらいになってしまった。何とも寂しい限りである。山の中で育った私には季節の変化が生活の変化そのものであった。もうあの頃を知る人も減ってしまった。どんな思い出も昔話になって気に留める人もいないだろう。身の回りの僅かな自然の中に思い出を見つけても何れそれも失われて行く。
月並みだがコロナに明けてコロナに暮れていく年になりそうだ。誰もがこんなに長引くとは想像もしていなかっただろう。どんなに上手く行ってもこれから最低1年くらい経たないと元の生活には戻らないだろう。いや元と同じには戻らないと言った方が正確だろう。パンデミックで一番大きく変わった、これからも変わり続けるのは働き方だ。リモートワークが増えて満員電車に揺られて通勤する意味は失われつつある。当然田舎への移住も加速されるだろう。政財界があれほど働き方改革というスローガン(と言ってもよいだろう)を掲げてやってきたがいとも簡単に小さなウィルスが実現してしまった。人間がやることなど些細なことであると思い知らされた。
それでは今後どうなって行くのだろうか。10年後くらいには人との接触の必要性が再び叫ばれて幾つかの会社では復古主義を掲げて大躍進するところが現れてくる。しかしそれも主流になることはなくあらゆる場面でリモート、バーチャルの世界が広がって行く。懐かしいと思う事は個々の記憶の中に閉じ込められ現実世界では再現することはない。
てな晩秋らしい寂しい文章になったがそうは行かない。流れに逆らう事こそ生きている証である。批判(皮肉か)不満に満ち満ちたブログはまだまだ続く。えっ、未だにそんな人がいたのと驚くような古めかしい年寄になってみせる。
月並みだがコロナに明けてコロナに暮れていく年になりそうだ。誰もがこんなに長引くとは想像もしていなかっただろう。どんなに上手く行ってもこれから最低1年くらい経たないと元の生活には戻らないだろう。いや元と同じには戻らないと言った方が正確だろう。パンデミックで一番大きく変わった、これからも変わり続けるのは働き方だ。リモートワークが増えて満員電車に揺られて通勤する意味は失われつつある。当然田舎への移住も加速されるだろう。政財界があれほど働き方改革というスローガン(と言ってもよいだろう)を掲げてやってきたがいとも簡単に小さなウィルスが実現してしまった。人間がやることなど些細なことであると思い知らされた。
それでは今後どうなって行くのだろうか。10年後くらいには人との接触の必要性が再び叫ばれて幾つかの会社では復古主義を掲げて大躍進するところが現れてくる。しかしそれも主流になることはなくあらゆる場面でリモート、バーチャルの世界が広がって行く。懐かしいと思う事は個々の記憶の中に閉じ込められ現実世界では再現することはない。
てな晩秋らしい寂しい文章になったがそうは行かない。流れに逆らう事こそ生きている証である。批判(皮肉か)不満に満ち満ちたブログはまだまだ続く。えっ、未だにそんな人がいたのと驚くような古めかしい年寄になってみせる。