太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

丁度去年の今頃は

2019-07-31 08:02:03 | 思い出話

予想はしていたことだが覚悟ができていなかった。梅雨が明けるととんでもない猛暑である。確か去年も自分は果たしてこの夏を乗り切れるだろうかと思っていた。今年が来たので無事の理切ったのだが望みは1か月くらい経てば確実に朝夕は涼しくなるという思いだ。四季があるとういのはそういうことだ。インドネシアのフォーシーズンホテルは看板に偽りがないかとか勝手な想像をしながらこの暑さに耐える。体全体が隈なく薄っすらと汗に覆われている。蛙はきっとこんな気持ちだろう。いやひと月も待たず2週間くらいで救われるかも知れない。サマージャンボに当たる可能性がある。そうなれば即ヘミングウェイが過ごしたような海辺の白いウッドデッキのある別荘を買う予定だ。

それより現実的に部屋にクーラーをつけるか。いやこの年まで我慢したのに今更である。ちょっと車で走れば冷凍庫のように体を冷やすことだってできるのだから。熱中症対策でこまめに水分補給をというが、飲んだとたんにプッと汗が噴き出す。水は本当に内臓を経由しているのか。人間の体もこの時期はところてんのように水を押し出すのか。猛暑日のニュースは大概噴水の水辺で遊んでいる子供の姿である。あれっそこは遊んでも良いところ?結構噴水のノズルとかあって転ぶとケガすると思うが。夏のイベントでかき氷を子供の口に運んでいる様子も良く映る。あれっそんなに大きな子供にスプーンで口に運ぶ?過保護ではと思ってしまう。子供がまだ寝返りも出来ない頃、ベッドに寝たままで哺乳瓶を両手で抱えてミルクを飲んでいたのを思い出す。自分のものだと言わんばかりに。今まで行った中でネパールガンジが一番暑かったと書いたことがある。訂正しなければならない。日本である。今こそ地球温暖化キャンペーンに力を入れるタイミングである。真冬の寒さのなかで訴えるより数百倍の説得力がある。

高校野球の地方予選の決勝や準決勝がTV中継され結構夢中で視ていた。地元は野球の盛んな土地柄で高校数も多く甲子園でも相当活躍するだろうと思っていたが、その後の甲子園ではそれほどでもなかった。高校野球の地方予選を見ていて熱中症で亡くなったら、高校野球に熱中していて亡くなったとして欲しい。まさか宝くじを待って我慢していたなどとあらぬ噂が立つのも癪だ。最近の暑さで発見したことだが網戸は結構風を遮る。見た目から何の抵抗もなく風が吹き抜けると思うのは間違いである。完全開放すると意外に風が入る。多分網目の構造とか糸の断面形状を工夫すれば相当風の抵抗を抑えれれるのではないだろうか。ハイテク網戸が登場するかも知れない。昔アモルファス太陽電池でシースルータイプというのがあった。レーザーで太陽電池に細かい穴を開け向こうが見えるようにしたものだ。発電する窓などと言われたが向こうが見えるという意味では窓の機能はあるが、穴の部分は発電しないからただのガラス窓である。結局見た目は窓だが実態は窓の面積分ほどは発電はしていない。それなら穴など開けず壁に取り付けたらと思ったが。同じようなアイデアで温水器と太陽電池を積層したようなハイブリッド型のパネルがあった。こちらは太陽電池の温度上昇を抑制し効率を上げるとともに温水も得られるというキャッチであった。しかし構造上温水器としての最適構造に集熱効率は落ちる。施工工事も狭いところで水配管と電気工事をやらなければならず工事が難しい。余程電気も温水も欲しいが設置場所の面積が限られているところはどんなところだろう、別置きの方がニーズは多く、効率も最適化したものが搭載できるだろうと思った。世の中、交渉事も物もwin-winの関係は無いと思った方が無難だ。虫は通らないが風は通る網戸も難しいかも知れない。笑い話でこんなのがある。若い夫婦が暑さに耐えきれず念願のクーラーを買って早速試しに運転してみた。物凄く良く冷えて凍えるほどである。奥さんが、「寒いくらいね、これにストーブがついていたら申し分ないのにね」と。


ラヂオ体操

2019-07-30 08:01:05 | 思い出話

夏休みに入って孫が帰省してきた。毎朝境内の空き地ではラジオ体操が行われている。街の学校でもやっているとのこと。田舎に帰る子供たちにもそこで参加するようにと教えられたようだ。孫は毎朝参加証に判を貰うことを義務のように思っている。私は運動を兼ねて孫を連れて境内にやってきて一緒に体操をする。

ラヂオ体操を始めて知ったのは戦争の頃である。戦地で負傷し家に帰ってきていた父に連れられラヂオ体操に出掛けた。体操に出掛ける途中でも空襲警報が鳴ると慌てて防空壕に駆け込んだ。足が悪かった父は何時も最後に防空壕に入ってくる。子供心にのろのろしていたら爆弾にやられてしまうよと心配していた。警報が解除されるまで父と一緒に防空壕に居るのだが子供の恐怖心を取り除こうと思ったのか父は壕の中でラヂオ体操の練習をしようと言い出した。そこは肘をちゃんと伸ばしてとか、ここは背筋を曲げては駄目だとか結構本格的な練習だった。防空壕の中で異様な行動をする親子を見て、流石に元諜報部は違うな、あんな小さな子に何か教えようとしていると陰口が聞こえた。ただ父はラヂオ体操を教えようとしていただけである。ここは両手を大きく広げて胸を反らし大きな空を見上げるのだと教えてくれた。しかし目に見えるのは薄暗い防空壕の天井である。その父は天皇陛下の玉音放送を聞いてから1週間くらい経っただろうか。一人で中野に出掛けて帰らぬ人となった。もう校舎も何も無くなっていたのに。そこで何が起こったかを知ったのは随分経ってからだった。

孫と一緒にラジオ体操をしながら、ふとあの時父が遅れて防空壕に入ってきたのは足が悪いせいではなく、自分が一番最後に入ることで取り残されて人がいないか見回っていたのではないだろうかと思った。負傷して帰って来た父だったがラヂオ体操は父と過ごした幸せな時間であった。深呼吸~という掛け声に合わせてふと空を見上げると樹々の間に真っ青な夏の空が広がっていた。父が教えてくれたラヂオ体操は、必ず平和な空を見上げる時が来るよと教えてくれていたのかも知れない。孫が参加証にハンコを貰って走ってきた。

 

これは先日市民講座で紹介された短歌、

「新しい朝が来たけど僕たちは昨日と同じ体操をする」木下龍也

から連想した。新しい朝が来たというラヂオ体操の歌詞とダブルミーニングの妙があるが、昨日と同じ今日、そして明日もという何も変わらない諦念を歌っていると解説された。しかし私は、昨日と同じ平和な日が明日もやってくるという平和の有難さを歌っていると思えた。人から聞いた話を少し脚色してこれに加えたら上の短編になった。もうすぐ終戦記念日である。


やっぱり出て来た自衛隊派遣論

2019-07-29 07:43:12 | 社会観察

恐らく出て行くことになるのだろう。中谷元防衛相がホルムズ海峡での有志連合に自衛隊を派遣すべき、躊躇することは国益を損なうと発言した。ただ安保法制によるものではなく自衛隊法の海上警備行動で対応と言っている。果たしてALSOKのように警護だけで参加できるものだろうか。当然警備中に攻撃が加えられれば反撃することは覚悟してのことだろうが重火器を持たずALSOKが戦場に行くようなことになりはしないのか。後方支援に留まるかも知れないが、じゃあ何時までという期限の判断は難しいだろう。一方で元防衛相はイランとも敵対関係にならないように外交努力も必要だと言っている。しかしこの二つは同時進行はあり得ない。優先順位はまずアメリカの要請に従い有志連合に参加し、裏ではイランと仲良くというのは虫が良すぎる。期限は結局アメリカとイランが仲良くなるまで継続とならざるを得ない。大変難しい問題だが、これを防衛省だけに判断を委ねるのは無茶である。国益というのは中東産の石油や天然ガスの安定供給を指してのことだろうが、脱中東を長期戦略で立てる必要がある。当然経産省とも関係する。中東以外からの輸入となれば足許を見られ高い買い物をするかも知れないが将来的には絶対に必要なことである。脱石油のために原子力をという意見も当然出て来るが戦争並みの災害も当然考慮しなくてはならず痛し痒しである。これでは問題の本質議論が別のものになってしまう。

アメリカのシェールガス、オイルを長期契約で高値で買うとなればトランプさんは喜ぶだろう。バーターで有志連合参加を許してということが受け入れられるほど簡単ではないだろうがダメ元という言葉もある。ロシアの天然ガスを買うから北方四島を返してというバーターよりはハードルは低いだろう。ホルムズが揉めて儲かるのはアメリカ?真面目に水素社会を目指さねばこの問題は向こう50年は続く。不思議なのはホルムズが安全航行できなければ中東の産油国の大半はとんでもない収入減となるだろう。自らの首を絞めるような行動を起こすのはやはり反政府系のテロとしか思えないが、それならば中東諸国の有志連合ができるだろうに。

有志連合に参加するなら本格的に、完全にアメリカの指揮下に入るくらいの覚悟が必要である。自国の船は自国で護れというトランプさんの単純理論は簡単には崩せない。しかし有志連合に参加するなら離脱の条件も明確に定めておく必要がある。もしアメリカとイランが武力衝突したら有志連合がそのまま戦闘に横滑りする可能性は大いにある。日本はイランと戦おうとは思っていない筈だ。お茶を濁すこともズルズル問題を先送りすることも許されない。もし参院選前に有志連合に自衛隊を派遣すると決めていたら多分選挙結果は変わっている。日米の通商問題やら韓国との関係、棚上げ感のある領土や拉致問題、外交の安倍の真骨頂を見せる舞台は用意されている。


短歌の世界

2019-07-28 08:33:21 | 日記

昨日の市民講座は趣の変わった「現代を生きる短歌の世界」というテーマだった。政治や経済関係のテーマが続いたがさすがに短歌となると門外甚だしくきっと自己満足講師の独断場と思いきやそうでもなかった。最初は令和で話題になった万葉集あたりからの話と想像していたが現代短歌についてであった。アララギ派に代表される近代短歌の延長上にある現代短歌である。幾つかの作品を挙げて解説を行う。講師は40過ぎの若い歌人で短歌の世界の裏が垣間見えて面白かった。

芭蕉のような俳人のいで立ちで現れたらちょっと引いたが普通のシャツ姿でサラリーマンが昼休みに出てきたような親近感が持てる姿でちょっと親しみも感じた。フランス料理のコックが背の高い帽子、トックを被って汚らしい髭面で出てきたら如何に世界的に有名であっても、髭を隠せ、料理に落ちるではないかと言いたくなる。勿論そのようなコックが居る高級フランス料理店に行ったことはないが。芸術家気取りの人がベレー帽を被るのも、指揮者が長い髪を振り乱すのも、歌手が長い髪で殆ど顔を隠すのも、形の変わった帽子を斜めに被り出る番組ごとに変えるのも、ネクタイ代わりにクビに何か巻き付けるのも、一度真面目なサラリーマン風に7:3に分けた髪型で出てきて勝負してみろと言いたくなる。形から入るのは仕方がないがあまりに拘りがきついと中身がないように思えて辟易する。

講師は正直である。短歌だけでは食っていけない。多くの歌人が句集を出すがほぼ自費出版でそれだけで飯が食えるひとは限られている。自分も短歌が好きで30頃から同人誌などに投稿してきて句集も出したが食えるまでには行かない。今も会社員としても普通の会社で働いている。創作活動は夜か休日に限られる。好きでなければ続かないと言っていた。芸術家ぶって上から目線の講義かと思っていたが普通の人で好感が持てる。

俳句は五七五で必ず季語が入るが短歌にあるのは五七五七七という字数制限だけであり内容は自由であると。しかも字余り、字足らず、句またがりなどがあって本当にルールが少ないとのこと。作品の価値というのは、作者の意図を正確に読み取ることが正解ではない。その歌が一番輝くように読むことである。その意味では誤読(意図や描写を勘違いして読む)を含めて短歌の世界と言える。短歌は理屈をつけて読みたがるが主語は「私」で見たものを其のまま写す写実が現代短歌であり、何をそこから読み取るかは読む人任せである。ここまで言い切られると、抽象画を鑑賞するようにあらゆる解釈が成り立ち質問ネタもなかった。多分何を聞いてもすべてにそれらしい理屈があるだろうと思って質問はしなかった。紹介された句の中でちょっと気に入ったもの、

「サラリーマン向きではないと思ひをり みーんな思ひおり赤い月見て」 田村元

終電を目指して急ぎ足で新橋のSL広場を通り過ぎようとふと空を見上げると赤い月、いつまで続くこの生活、てな心情か。自作も必要だろう。

「故郷の 駅に近づき デッキにて 隠れて引いた ブランドの紅」拙老

始めてのお盆休みだろうか、田舎に帰る夜汽車で若い娘さんが、都会にも慣れたと親に見せたい一心か。

 

 


原因者負担か受益者負担か

2019-07-27 08:18:46 | 社会観察

朝、猛烈な雨音で目が覚めた。梅雨が明けると思ったら台風が来てしまった。予報どおり三重県に上陸し列島を縦断する。風が強い台風ではないが、雨の影響は広範囲である。今夜半には熱低に変わるとのことだが雨の脅威は続く。台風は何とか被害を最小限にとどめれば何れ過ぎ去る。出口の見えない国際問題がまた起こった。ホルムズ海峡である。

アメリカが有志連合を結成してホルムズを通過するタンカーを護衛しようというものである。当然日本にも有志連合参加へお打診があったとのこと。さてどうするか。この問題は確か安保法制の議論の時の練習問題にあったような気がする。当時は朝鮮半島有事の際の例題が多かったがホルムズも話題になったと思う。「重要影響事態」と「武力攻撃事態」の定義の中にそれぞれ「存立危機事態」が含まれ、これが集団的自衛権発動の根拠になる。中東からの石油、ガスが遮断されれば当然国民生活に多大な影響を及ぼし、経済的破綻は日本そのものの存立に関わると言えなくもない。また、自国が儲かるか否か、損はしないかというただ1点で政策決定をするアメリカに言わせれば、自国のタンカーは自国で護れといっても不思議はない。これが自社のタンカーは自社で護れと言い出したら大混乱である。

仮にホルムズが封鎖されれば誰が得をするか。世界の石油や天然ガスが値上がりすれば当然アメリカのシェールガスやオイルは大儲けである。その他の産油国も漁夫の利はあるだろう。勿論イランの核開発にも相当な制裁となる。アメリカにとってホルムズの安全は決して得ではないだろう。そこに護衛艦を派遣する必要性をどう自国民に説明するのか。世界のエネルギー安定供給にアメリカは貢献すなどと立派なことを言っても大統領選の票にはならない。応分の負担を関係国に求めると言えば票は上積みされる。まだ具体的武力攻撃事態にはなっていないが護衛の究極は戦闘覚悟である。国内法整備は済んでいるし、湾岸戦争の時のようにお金で済ませることもできないだろう。

民法では受益者負担の原則、原因者負担の原則というのがある。後者は公害問題が起こって確立された概念だ。太陽光発電でも指摘されたことがある。柱状トランス下に何軒か配電されているが、それらの家が太陽電池が搭載されると配電電圧が上昇して逆潮流(売電)できない状態が起こる場合がある。この場合トランスの変更をせざるを得ないが一番最後に連系したえ家が交換費用を負担せよというものだ。各家が連系を始めると徐々に配電電圧は上昇するが、最後の家が連系した時点でいよいよ電圧が規定を超えて各家売電できない状態になる。最後に連携したお前ん家さえなければこうはならない、お前が逆潮を抑制した原因者である、となる。受益者となれば太陽電池搭載すべての家が負担になるが電力に関しては原因者負担の原則が適応されると言われた。勿論さらに上位には地域独占と引き換えに配電の責任を負う電力会社の問題だという意見もあった。最近聞かないがどう解決したのだろう。蛇足だがトランス交換費用を拠出してもトランスの所有権はその人に移りはしない。

さてホルムズの原因者は誰だろう。日本はイランと揉めているわけでもなく受益者だが原因者ではないように思う。勿論核開発を容認する訳ではないが話し合いで何とかならないかと思っている。化石燃料はお天気以上に不安定なエネルギー源である。永劫に安定供給はないだろう。少なくともホルムズ海峡を迂回する石油ガスパイプラインを敷設する計画があれば援助も投資もすれば良い。輸送ルートが二つあれば、お天気任せの太陽光なんてと嘯くのを許す。