太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

こんな日もあろうかと

2022-08-31 06:51:17 | 日記
 雲の合間に釣りに出掛けた。何時ものように砂浜で餌ガニを捕まえていたらタトゥーの兄ちゃんが二人近づいてきて「何を獲られているんですか」と聞く。この海岸では入れ墨をしたサーファーも多く、声を掛けられることは屡々である。中には「頑張って下さい。」と言い残す者も居る。こちらを年寄りとみているのか大抵は敬語である。入れ墨があまりに多いのでネットで見ると最近はシールも市販されており多くはファッションかも知れない。さあ何時もの場所へと向かったら先客が居た。同じような年恰好の人である。まず様子見に今日はどうですかと声を掛けた。藻屑が多くて大変です。でもこのあたりで結構釣っているんですという。今年も45㎝クラスを何枚か上げたとのこと。自分の定位置に別の人も入っているとは思わなかった。広い海でそこは私のフランチャイズですとも言えずさも平静を装って少し離れたところで釣る事にした。海は先着順である。ところが竿を見て驚いた。穂先が折れている。何時折れたか分からない。結構値段はしたのだが。穂先の修理は本体価格の半分くらいかかると聞いたことがある。諦めて自分で修理をすることにして一度も竿を出さずに納竿である。餌ガニは先ほどのオジサンにあげる事にした。丁重に礼を言われたが気分は残念そのものである。
 帰ってMLB録画を観たら大谷選手が29号を打っていた。その後ジャッジが50号を打ったからちょっと感激が薄らいだがそれでも連日のHRである。ツキが無かった釣りを大谷選手が慰めてくれた感じだ。幸不幸メーターは±ゼロの1日だった。修理の具合も見なければならないし晴れてもいるから今日も出掛けてみょう。連日釣りに出掛けたことは無いが昨日は釣っていないから連日には当たらない。もし釣れて帰ったら大谷選手がまたHRでも打っていたら完全にメーターはプラス側に。しかしそう上手くは行くまい。欲をこいたらろくなことにならない。まあ人生経験と確率からして再び修理箇所が折れて大谷選手も凡打で終わるといったところか。最悪シナリオを描いておくことも必要である。とは言っても人生大概のことは最悪と最善の間で起こる。踏ん張れ初老!

「習い性となる」

2022-08-30 07:51:24 | 日記
 昨日は少し肌寒いくらいだった。今朝も曇り空だが涼しい。カレンダーを知らなければ秋といってもおかしくない。真夏の服装をしているので余計そう感じたのかも知れない。このまま秋になっても別に文句はないが急に気候が変わるのは多少体に堪える。順応速度が頗る低下しているのは自覚している。順応というのは環境や境遇の変化に従って性質や行動がそれに合うように変わることだ。気温の変化対しても感覚器官が慣れていく。昨日はこれといった出来事は無かったけれど大谷選手が一昨日の快投に続き打でも大活躍したのでちょっとハッピーな気分になれた。片田舎の初老でこれだから彼の活躍は日本全国にどれだけ幸せを齎しているだろう。 殆ど毎日試合に出て、特に体を酷使するピッチャーもやるから凄い。普通ピッチャーは中5日か6日に一度投げる。間の日は軽いトレーニングか休養である。
 普段やらない軽い運動をしただけでも翌日か翌々日には必ず体の何処かが痛む初老。大谷選手は筋肉痛など無縁の強靭な肉体を持っているのだろう。しかしそれだけでは無いような気もする。二刀流も続けていればそれが 「習い性となる」。何度も同じことを繰り返すことで、それが習慣となり、しまいにはその人の生まれつきの性質のようになるということだ。周りが案ずるより彼にとってはごく普通のことかも知れない。多分少年野球の頃からピッチャーで四番という役割を果たし続けてきたのだろう。投にも打にも必要な筋肉がバランスよくついていると思われる。これが突然ピッチャーになったりバッターになったりあるいは二刀流を試みてもうまく行かない所以ではないだろうか。
 「習い性となる」という言葉を覚えているだけでも困難や苦労の克服には随分役に立つ。体の何処かが具合が悪くなっても、あるいは生活環境が困難な状況になっても辛抱強く耐えていればいつの間にかそれがさほど苦にならなくなる。始めはこれからどうしようと思ったことが懐かしくにさえ思える時が必ず来る。

オジサン達の新学期

2022-08-29 06:23:46 | 日記
 9月に入ると市民講座の後期が始まる。4回目のワクチン接種も終え丁度効き始めた頃で都合が良い。事務局から事前に講義資料が送られてくるが次は「頭脳立国イスラエルに学ぶ」で大手商社をリタイアした人が講師である。資料は事前に詳しく読むと新鮮味が失われるので目を通すくらいだがパワポで70枚もあり講演慣れしているようだ。プロフィールには多くの著書があり海外駐在も経験し優秀な方なのだろう。当時同じ商社の方々と仕事上のつきあいがあった。海外駐在はどのようにして選ばれるのですかと聞いたことがある。二通りです。一つはエリートコースで駐在先はほぼ決まっており何れ本社に帰ってくるのが通例です。これは本人も分かるので駐在を拒否する者は殆どいません。もう一つは今日本にいるとベラベラ喋って拙いと思われる者、役所やマスコミに睨まれるという奴です。我々は神隠しとか海外軟禁と呼んでいますが、要はほとぼりが冷めるまでの間です。これは行先がとんでもなく辺鄙なところが多く、勿論本人は拒否できませんとのこと。今回の講師の方は海外駐在されているがアメリカなので多分前者と思われる。  
 因みにお付き合いしていた人は滅多に聞かない国に突然行ってしまった。以前担当していた案件に関連してのことらしい。近所に海外駐在する方がおられたら、まあ優秀な方ですねと羨むのは少し早い。行先が問題である。メーカーの海外駐在は少し様子が異なる。多分何処のメーカーも同じだろうが大抵は人手が足りないからと駆り出される。本人の経験の為とかそんな教育コースはない(と思う)。挙句の果ては帰国したら自分のかってのポスト他の人が座っており居場所が無くなっていたというのがオチだ。傍目良くても実際はトホホという例はよくある。
 海外ついでに噴飯もの、脱糞もののニュースがあった。産地偽装があった。中国産のスルメイカを青森産と表示して販売したスーパーの言い訳が奮っている。「ラベル作成の際に産地のボタンを押し間違え、確認も怠っていた。」とのこと。どうせなら栃木、群馬、埼玉、山梨、長野、岐阜、滋賀奈良県産に間違えたらどうだ。 えっ海が無い!青森はスルメイカで有名過ぎるだろう。傍目には分からないところにつけ込んで。やるなら青森産を中国産と間違える程の豪気が欲しい。きみまろ風ぼやきになってしまった。

季節のマイルストーン

2022-08-28 07:45:51 | 日記
 昨日は土曜で週ルーチンである自転車散歩に出掛けた。大型店が集まり道路も整然と整理された区画を抜けると田圃の中のバイパス道路に出る。自転車も走れる幅広い歩道は風が心地よく爽快である。周りの田圃は稲刈りが終わったところが3割がたある。子供の頃の田舎の思い出より1ヵ月くらい早い。今住んでいるところより温暖な地方だったが品種が違うのだろうか。秋の中頃稲刈りが終わり初冬には田圃のあちこちにもみ殻の小山ができる。ガキ大将が今日は焼き芋をするから来いと言う。もみ殻の小山に火を点けてサツマイモを直に突っ込む。お前らは火が消えないように見とけと言われてもみ殻の周りにしゃがみ込む。火といっても煙だけで燻り、もみ殻が次第に黒くなるだけで焚火の焼き芋とは違う。頃合いを見てガキ大将が戻ってきてイモを掘り出す。大きいものはまず大将が食べ始める。よしよしと言いながら小さめの芋を我々下っ端に投げる。有難く頂戴してよしよしと真似して食べる。
 稲刈りは季節の変化を知るマイルストーンである。台風で稲が倒されると刈り取りが難しくなる。水に浸かってしまうともっと大変である。その前に刈り取るのが基本だろう。小さい頃住んでいた田舎は台風など何年もやって来ない安定した気候だった。思えば稲と小麦は人類の発展を支えた最も重要な食糧だろう。あんな小さな粒を搔き集めて食料にしようと思ったこと自体が不思議である。最初は食べ物が無かった時野生で群生していたものを見つけて食べてみたのだろうか。小麦はその後パンに加工されたり麺類となって世界の食を支えた。米はもっぱら茹でたり蒸したりで直食が主となった。小麦はウクライナからの輸出が細々と可能になり世界は安堵している。米はアジア中心に安定供給が続いている。
 主食といえば南太平洋ではタロイモの蒸したものが良く出てきた。これといった味はなく塩でもあればと思ったが腹は膨れた。小麦の加工食品と言えばモンゴルのザハで食べた月餅に似たお菓子を思い出す。外観は月餅そっくりだが異様に固く歯形すらつかない。イースト菌がまだ普及していなかった。諦めて石垣に投げ捨てたら跳ね返って転がって行った。旅先(と言っても出張だが)の食にまつわる思い出は沢山ある。しかし旅の目的は全く別なので記憶のなかにポツポツと残るだけでしかも突然思い出す。纏めておけばアンチグルメ本でも書いて老後を楽に過ごせたのに残念である。

爪を切るほどの

2022-08-27 07:55:32 | 日記
 昨日は豪雨とまでは行かないが激しい雨が降った。それでも30分くらいでピタリと止んだ。雨が止んで涼しくなるかと思ったが異常に湿度が高く蒸し暑い。何度か経験した南方のスコールのようである。今朝は一転涼しいと感じる。秋は近いのかも知れない。ふと指先をみると爪が少し伸びている。年が行ってこれといったオシャレもないが清潔感だけは気を付けている。服装は洗い立て感、ブランドである必要はない。最近まではユニクロが定番だったが結構ブランド化してきたのでワークマンに切り替えた。他人に不快感を与えないという意味で爪切りは散髪と同じくらい気を遣っている。爪を切りながらふと思ったが、この瞬間は身の周りに爪を切るのを忘れる程の大きな不幸、心配事が無いという証ではないだろうかと。多分女の人のマニキュアもそうだろうが塗っている間は一心不乱、それを上回る不幸など起こっていないのだろう。派手な色のマニキュアは好きではないが、本人にとっては塗るというプロセスが大事なことかなと思うようになった。
 些細なことであれ何かに夢中になる瞬間にはそれを上回る不幸などない、余裕の表れということもできる。会う事も語り合う事も極端に少なくなる初老の方々、習い事も貸農園も盆栽も釣りもペットも、周りから何であんなに夢中になれるのか、他にすることは無いのかと思われているかも知れない。気にすることはない。他人から見て些細な事でも裏返せばそれを上回る不幸などないということだ。コロナにでも感染していたら多少伸びた爪にも気付かない。
 ディズニーランドも近いが行く必要はない。すぐ身近にイッツ・ア・スモールワールド (It's a Small World) が広がっている。