太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

家康の家訓

2023-04-30 06:51:29 | 日記

 NHKの大河ドラマで家康をやっているが家康について論語の大家がつぎのようなことを書いている。

家康の家訓で「己を責めて人を責めず」「及ばざるは過ぎたるにまされり」というのがある。これは家康が将来将軍になるであろう子孫に向かって言った言葉である。兎角威張りたがるのが将軍であり、何か悪い事があった場合、すべて家来たちが悪いと言う考え方をしがちだがまずは将軍である自分はどうであったかと反省すべきである。家来にやり足りないと思う事があったら、それは見よう考えようでやり足らないほうが良い場合もあるということも考えよと言っている。孔子の「過ぎたるは猶ほ及ばざるがごとし」は学問をしてもなおかつ自分の癖が直せないようではいけないというのが本当の意味だがこれに真向反対しているように見える。しかし、物事というのは全てその時代、立場を考えてやらねばならない。馬鹿の一つ覚えでは困るのである。言葉だけを暗記してその意味を深く考えないのは分かっていないことになる。家康が一見違ったことを言っていると見えても子孫の将軍に向かって、やたら威張るでない、間違いごとがあった場合、家来が皆悪いと考える前に自分はどうかと考えよと言っているのである。孔子の言葉は大原則であるが個々に応用する場合には立場や経験に照らして言う、そこでは深く考えるということこそ大事である。この家訓を残した家康はやはり日本が生んだ世界的人物であると評している。

何でも早合点して分ったつもりになる性分、耳が痛い。ここは痛いより一つ耳順ふ(耳したがう)とならねば。孔子が言った六十にして耳順ふである。これは60になると人が自分の悪口や欠点についていい加減なことを言っても耳が逆らわない、どこ吹く風かと心を乱さないという意味とのこと。60は疾うに過ぎたがなかなかそうは成れない。人生100年でも無理だろう。


誰にも文句は言えない

2023-04-29 07:55:53 | 日記

  釣りはやはりボウズだった。周りのご同輩も釣ってはいない。こうなると大平洋に魚はいないと思うしかない。帰り際牡蠣殻のくっついた浜で手を洗っていたら殻で指先を切ってしまった。指が血で染まるほどだったが痛みはあまりなかった。車にバンドエイドがあったのできつく巻いて帰ったら傷口は塞いでいた。ボウズだったのも指を切ったのも自分の責任である。思えば何かあった時にいつも気持ちの中で罪をなすりつける相手が何処かにいたような気がする。相手がいなければ会社とか社会に、次が神、仏である。それで気を紛らわしていたような気がするが今はそうはいかない。全てが身から出た錆びである。貰い錆びなどない。年とともに体も気持ちも錆びついてくることは覚悟しておかなければならない。

 今日から世間はゴールデンウィークである。コロナ余波か比較的静かなスタートである。TVニュースの製作者が何とかの一つ覚えのように空港と新幹線のホームでアホ面の子供、いや能天気な親、いや幸せそうな家族にインタビューするシーンも相当減ったように思う。ここは一つ過疎の村にでも出掛けて第一村人にGWはどうされますかとインタビューでもしたらどうだ。ヨーロッパ諸国でも空港で海外に出掛けることがニュースになるのだろうか。どうも島国故の遺伝子が未だに珍しいもの、憧れるものとして捉えられるのだろう。いやこれは正しく言うと観るほうのやっかみである。

 国内に目を転じれば旅先でのグルメ番組である。GWには美味しいモノを食べる旅にと誘う。自慢じゃないがカップラーメンを食べながらスーパーの折り込みチラシの美味しそうな総菜写真を見ても食が進む。粗食で育った世代故の特権だが今の人はどうだろう。普段それなりのものを食べているから旅先でグルメにあまり興味はないのではないだろうか。だから激辛や大食い番組制作に走ってしまう。言っておくけど海外で美味しいモノなど期待してはいけない、経験から。昔は休暇を取るのもままならずGWの価値は今の何倍もあったが時代は変わった。そのうち単なる大型連休と呼んでGWという言葉は死語になるだろう。TVで伝えるゴールデンは何がゴールデンか、価値観が多様化してぼやけてしまう。捻くれ者よ、じゃあGWはどうする。淡々と過ごすしかない。何もしない日でも子供は成長するように何もしなくても1日長生きする。


ノー大谷DAY

2023-04-28 07:51:03 | 日記

 大谷選手のことである。昨日は藤浪からヒットを打ち交代した次のピッチャーからは第6号のHRを打った。今日は先発である。朝早く起きて試合を観た。突然崩れて5失点となったが味方の援護もあり一応勝利投手の権利を持って交代した。ここで観戦中断、勝利の行方はニュースで見よう。

 大谷選手、何をやっても絵になるのは良いが何をやってもネタになるのは少ししんどいだろう。休日があるようにマスコミも日を決めて取り上げない日を作ったらどうだろうか。今日は大谷選手の試合以外は伝えませんと。これほど一挙手一投足が注目され伝えられるのは芸能人でもいない。全く無視されるのもしんどいが逆もしんどい。多分結婚となると世界中の女性を敵に回すだろう。今、日本人で一番忙しいのは総理と大谷選手ではないだろうか。

 ゴールデンウィーク直前、今日は朝から快晴で風もない。休日みは釣り場が混み合うので今日出掛けてみよう。誰にも気に留められない身は気楽である。金では買えない。ゴールデンウィークは何処かに出掛けるのではなく何処かに出掛けないウィークである。車もそうだが混み合った場所は正直疲れる。自由で良いではないかと言われるかも知れない。ドイツに自由と規律と言う言葉がある。野放図な自由などあり得ないと言う意味だが自分の場合は規律があまりないので逆に困ることがある。すべてを自分の意思で決めなければならない。毎日が日曜の生活は忙しく働いている時の理想だが現実はそう甘くはない。多少は縛りがあってこその生活である。理想はいつも現実の反対側にある。それで良いのかも知れない。


内面を拡げる

2023-04-27 07:36:26 | 日記

 昨日は1日雨だった。良い事もある。庭に植えた小さな野菜の苗はこれで完全に根が付いただろう。これからは添木をして倒れないよう注意しなければならない。何とはなしの1日だったが小さな本棚の整理でもしようかと思ったが捨てる価値も無い本が並んでいる。蔵書にとためたものは押し入れに入っている。目に付いたのは、1000語で書ける英文Eメール、手紙・はがき文例辞典、キャッシュフロー戦略入門、全図解戦略参謀マップ、新会社法、アメリカの電力革命、なぜ日本が太陽光発電で世界一になれたのか、75歳まで働き楽しむ方法、その他現役時代書き留めた技術文書など。これらは定年後も使うかと置いてあった実用書だが機会は無かった。よくTVで背景の書棚に膨大な量の本を並べてインタビューに応じる人を見掛ける。本当に全部読んだのだろうかと思う。B級読書で買った本をためて置いたら相当な量にはなっていただろう。これはいうのは20冊に1冊くらいだが読み返すかも知れないと思い一応保存している(返さないだろうが)。その他は買った古本屋に再び売る。大体買値の1割くらいになる。仕事や勉強関係以外で本をよく読んだのは中学までと定年後だろう。古本屋に行くと買い物かご一杯に買っている高齢者によく出会う。野良着の人など見掛けるとホームセンターで花の苗を買う人と同じで何だか微笑ましい。時間と多少の金ができた今、若い頃出来なかったことを存分に楽しんでいるのだろう。人間関係がだんだん希薄になって行く中、本だけが世界を拡げて行く。

 人口推計が公表された。2070年には現在の人口から約4000万人減って8700万人になる。必ず出て来るのが「人手不足」である。一体何を基準として不足というのか。多分現在の業態を維持するにはという条件がつくのだろう。人口は今日明日、今年来年と急激に変わるものではない。50年後の姿も精度よく推定できるゆっくりとした変化である。人口減に見合った産業構造を企業も国も想定して手を打つべきである。不足なら外国人の受け入れをというのは早計過ぎるのではないか。2070年には1割の外国人を見込んでいる。もし5割に達したらどうなるのか。2070年人口8700万人の日本社会の絵姿も示すべきではないか。撤退已む無しの事業もあるだろう。人手が足りないというのは基準を間違えており事業者側の怠慢と言わざるを得ない。リタイアしている団塊世代の社会復帰をなども考えてはいけない。彼らは復帰すると現役世代の3人分くらいを持って行ってしまう。ここは静かに待つべきである。何をかは言わない。


ヒヤリ

2023-04-26 07:15:34 | 日記

 思わずヒヤリとした。昨日のMLBで大谷選手が顔付近の危険球を仰け反って避けた。当たっていれば大惨事である。危うく500億円の商品を壊すところだった。当然互いに保険には入っているのだろうが保険で済む問題ではない。

ヒヤリと言えば車の運転で時々ある。信号の無い横断歩道を子供が渡ろうと待っているとき。当然徐行し止まらなければならないのだが、こちらが止まると親切に対し悪いと思うのだろうが子供が急に渡ろうと走り出す。ところが対向の反対車線の車は子供に気づかなかったのか急停車する。折角こちらは止まったのに親切(当然だが)が仇となってしまう。保険で済む問題ではない。車は横断歩道は徐行して人が居ないことを確認してと習うが子供の方にも両方の車が止まってから渡るようにと徹底的に教えるべきである。特に低学年の児童には。昔夜、幹線道路を走っていて信号で止まったとき大きな看板が目に付いた。「このあたり美人の産地、よそ見するべからず」と書いてあった。大型トラックが頻繁に通る危ない道である。慎重に走ったが美人は見掛けなかった。名文句に感心した。

昔は車で行く所を探していたが最近は無駄に車には乗らない、乗ろうとも思わない。ちょっとした所には自転車で行く。半世紀くらい運転していると行ける所は行ってしまった感もある。加害者になるのもかなわないし運転機会は減らしているつもりである。家の中ですることがあれば車に乗る機会は減る。高齢となった今は大谷選手のTV観戦か。大谷効果はこういうところにも出て来る。互いにけがをしないさせない。半世紀くらい運転しているが事故もなく違反はネズミ捕りに1回かかったくらいでこのまま終えればそれでよしだろう。運転している人に言いたいのは指示器はもっと早く出すこと、脇道から左折で入ってくる車、曲がるときに大きく膨らんでこちらの車線に飛び出さないこと、これも最近ヒヤリとしたことである。車間を詰めて来る人は減ったようだ。ドラレコが普及したせいかも知れない。

今読んでいるB級本は2cmくらいの結構厚い文庫本だ。サスペンスものであるが残り5分の一くらいからやたら新たな登場人物が出て来る。固有名詞だから何か役割があるものだとう思っていたが特段何もない。必然性は何処にも無く兎に角登場する人物には名前を付けないと次に出て来るとき呼び方に困るからだろう。サスペンスは後半に行くに従い焦点が定まっていくものだが発散している。ここがB級のB級たる所以である。偏見かも知れないがB級作者には早稲田出身者が多い。作家になる人自体が多いのだろうが第2,3の村上春樹はそうそう居ない。