NHKの大河ドラマで家康をやっているが家康について論語の大家がつぎのようなことを書いている。
家康の家訓で「己を責めて人を責めず」「及ばざるは過ぎたるにまされり」というのがある。これは家康が将来将軍になるであろう子孫に向かって言った言葉である。兎角威張りたがるのが将軍であり、何か悪い事があった場合、すべて家来たちが悪いと言う考え方をしがちだがまずは将軍である自分はどうであったかと反省すべきである。家来にやり足りないと思う事があったら、それは見よう考えようでやり足らないほうが良い場合もあるということも考えよと言っている。孔子の「過ぎたるは猶ほ及ばざるがごとし」は学問をしてもなおかつ自分の癖が直せないようではいけないというのが本当の意味だがこれに真向反対しているように見える。しかし、物事というのは全てその時代、立場を考えてやらねばならない。馬鹿の一つ覚えでは困るのである。言葉だけを暗記してその意味を深く考えないのは分かっていないことになる。家康が一見違ったことを言っていると見えても子孫の将軍に向かって、やたら威張るでない、間違いごとがあった場合、家来が皆悪いと考える前に自分はどうかと考えよと言っているのである。孔子の言葉は大原則であるが個々に応用する場合には立場や経験に照らして言う、そこでは深く考えるということこそ大事である。この家訓を残した家康はやはり日本が生んだ世界的人物であると評している。
何でも早合点して分ったつもりになる性分、耳が痛い。ここは痛いより一つ耳順ふ(耳したがう)とならねば。孔子が言った六十にして耳順ふである。これは60になると人が自分の悪口や欠点についていい加減なことを言っても耳が逆らわない、どこ吹く風かと心を乱さないという意味とのこと。60は疾うに過ぎたがなかなかそうは成れない。人生100年でも無理だろう。