太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

雑言

2023-11-30 08:26:03 | 日記

 バリバリ雑言だ。昨日は風もなく快晴だったが寒い一日だった。仕事をしている頃北海道出身者が居た。きっと寒さに強いのだろうと思っていたが逆に寒がりだった。冬になると兎に角至る所暖房が効いており寒い外で過すことなど無かったと言う。そう言う事かと思いつつ暑さ寒さに耐性のないこちらは四季の豊かな地域で育ったからだと思った。極寒のヨーロッパを生き延びたネアンデルタール人の遺伝子は現生人類の我々も1~4%は受け継いでいる。多分自分は1%だろう。つい3ヶ月前はじっとしていても全身が汗にまみれる季節だったのが嘘のようである。

岸田さんの不人気ぶりが凄い。歴代総理の中で好きでも嫌いでもない初めての人だが不思議なことがある。何故党内に飛び切りの応援者がいないのだろう。まるで何か失敗をするのを待ってあわよくばポストが空くのを待っているのだろうか。こうなれば最後の手は冷酷な人事の強行である。更迭なんか早過ぎるくらいにやってしまう。恐れをなしてポチいや従順な応援団ができるだろう。要は党内で舐められてはいかんということだ。良い人だけではトップは務まらない。政界でも財界でもトップに共通しているのはクビを切ることに躊躇しないことである。たとえ一時期腹心であっても目的にそぐわないと思えば迷わず切る。あるカリスマ経営者は世間では経営は勿論人間性も高く評価されていた。しかし人事面においては容赦しなかった。そして去る者は追わずで傍目には何と冷たいと思った。自らが引き立てた人だろうに。

オスプレイが沖縄の海に墜落した。日本への配備が議論されていた頃某軍事ジャーナリストはとりわけ安全性を強調し危険だというのは誤解だと説いていた。今コメントが聞きたいところだ。万博の工事の遅れでよく分らないところがある。各パビリオンの建設で工期を守る責任は日本側にあるのか当該国にあるのか。契約上ではどうなっているのだろう。常識的には施主側に責任があると思うが。まだ申し込みだけで契約に至っていないのだろうか。もう維新の会がこじつけ川柳的に抗弁しているが馬場代表は拙老と同じ学区で近くの高校を出られている。ちょっと身近に感じている存在だ。29日維新の役員会で万博の費用は会場建設費にスポットが当たっているなかで、陰に隠れていたという言い方はおかしいかもしれないが、元々指摘のなかった項目だ。いかにもこの万博のお金がどんどん増えているかのような印象操作をしていると捉えたいと言っている。これは昔一流商社マンにODA不祥事の乗り越え方を聞いたときに教えられた、嘘はいけないただ聞かれてもいないのに都合の悪い事まで喋る必要はないとの教えに通じる。橋下さんも大阪だがこちらは離れた学区で知り合いも行っていない。年代が違う?もしどちらの学校も高校野球に出たとしたら馬場さんの方を応援すると言うくらいの身近さだ。時事テーマを入れて日記にした。タイトルは罵詈雑言ではない。


この時期になると

2023-11-29 08:46:33 | 日記

 年末が近づきこの時期になると年賀状の前に「喪中につき年末年始のご挨拶失礼させていただきます。」の葉書が何通か届く。故人となった方はほぼ同じ年代だ。また最近はタレントさんなどの有名人がよく亡くなる。少しだけ年上だがこちらが多感な時代に活躍していた人達なので随分大人(年上)に見えていたのだが。ちょっと早い感じもするが鬼籍に入り始める年代かも知れない。

もし自分の人生を振り返ることがあったなら誰しもあっという間に過ぎたと思うのではないだろうか。「人間(じんかん)五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」である。時間を長く感じるのは何かを待っている時である。春を待つのもインスタントラーメンが出来上がる3分間も兎に角長い。これからの人生を長くするのは何かを待つ事である。夢とか希望である必要はない。マラソンの君原健二さんは苦しい時「まず次の電柱まで走ろう」と念じながら走ったそうだ。人生立ち止まっては駄目。古いアルバムを捲って昔を懐かしんだりするのはもっと先で良い。ブログによくあるように何処かに出掛けて整理し切れないくらいスマホで写真を撮るのもよし、花を植えて咲くのを待つ、野菜を植えて収穫を待つ、それも必要だ。釣ったことのないヒラメに挑戦し続けるのも一興。100年生きても人生は短いと感じるのは分かっている。もう充分と思える人生など何処にもないのだから。


遊んで暮らす

2023-11-28 07:55:39 | 日記

 年金生活者を遊んで暮らす人と言うのは間違いである。正確には何もしないで暮らすである。遊ぶ金はないが生きては行ける、基礎代謝生活である。それでも恵まれた方なのだろう。無為に過ごしてはいるが感情は時々逆なでされる。特にコメンテーターや評論家の言では呆れる事屡々である。最近では政治評論家のT崎氏。野党は五輪招致で思い出アルバムを贈呈し官房機密費を使ったと発言した馳氏の国会への参考人招致を求めている。T崎氏は「与党は拒否すると思う。国と地方自治体はそれぞれ別。知事の発言について国会で呼んでやってもいいのかと。むしろ石川県議会が追及するのはやってもらいたい」と述べた。安倍さんほどには岸田さんに近づけていないのだろうか。懸命に政府擁護に勤しんでいる。県議会に対応を委ねるとは開いた口が塞がらない。馳氏は現職国会議員の時の問題であり、官房機密費は県議会の財布ではない。民間人の参考人招致は最近では森友問題の籠池さんの例があるではないか。迂闊に石川県を持ち出すと、森さんが黙っちゃいないよ。T埼さん、風見鶏の軸が錆びて向きが定まらない?

出るは出るはの万博経費。日本パビリオンにこうなれば巨大木造リング(釘を使わないと日本の伝統工法とH下さんは言っていたが昨日の夕方のTVニュースで補強金具は使うと言っていたが)は是非ともレガシーとして残して頂きたい。負の遺産として忘れない為にも。国会質疑で会場建設費の国費負担以外で日本館に360億円、その他途上国の出展支援や会場内セキュリティ、広報宣伝などを含めると837億円だそうだ。会場建設費2350億円の3分の一負担と合わせると1600億円強となる。東京都庁の総工費1569億円とほぼ同じ。しかし万博は撤去されるから比較にならない。日本一高い森JPタワーが1300億円らしいがこちらも長くテナントで稼ぐから比較にならない。最初にこんな数字が出ていたら多分国民は猛反対だったろう(国民投票で開催を決めた分けではないからカエルの面にションベンだが)。それでもH下氏は言うだろう。その額も経済効果に含まれていますと。普段ちょっとした無駄遣いにクヨクヨしている皆さん、万博を観に行こう。ちょっと気晴らしになるかも知れない。遊ぶ金は無くとも憂さは晴らせる、ブログで。


メリーゴーランドの時代へ

2023-11-27 08:11:18 | 日記

 昨日は最高気温が15℃に届かず寒い1日だった。炬燵に潜っていると何だか頭がボーッとしてきた。これはいかんと冷気に当たるため車で近くの工業団地に出掛けた。日曜なので人っ子一人いない。道路が碁盤の目のように走っており路肩の駐車スペースに車を止めて外に出た。道路の並木はすっかり紅葉をしトンネルのように覆いかぶさっている。街の子だから紅葉も綺麗なものだと感じる。冷気は野菜を塩で締めるように身が引き締まる感じがした。常夏の島ではこうはいくまい。ハワイに行くのは止めよう。宇宙を含めた自然界には「エントロピー増大の法則」というものがある。自然界では、常に乱雑になる方向に反応が進む(秩序→無秩序)。世界は、価値あるものから無価値なものにどんどん変わっていくのだ。身近な例で言うと「形あるもの(秩序)必ず壊れる(無秩序)」とも言える。無秩序の方がエネルギー的に安定している(高校で学ぶ熱力学第二法則)。形ある花瓶は結構無理をしている。壊れて土粒になった方が安定しているのである。

日々の生活、人生も然り。時々ギュッと閉めないとだらしなく低位エネルギーレベルの無為徒食に陥り安住(定)してしまう。市民講座はそういう意味で日々にアクセントをつける良い機会であった。今それが終了して釣りもオフシーズンである。アクセントとは行かないがブログは句読点にはなっている。これだけは少なくとも続けないといけないと思っている。人生もジェットコースターのような時代は過ぎ、緩やかな上下動で周回するメリーゴーランドの時代に入ったかも知れない。それでも油断していると落ちて怪我をする。


何とか修了式

2023-11-26 09:04:10 | 日記

 足掛け7カ月の市民講座の修了式があった。平均年齢70余歳で110人がコロナにもめげずこの日を迎えた。皆勤者も多く元気な高齢者達である(元気な者が来ているという見方もあるが)。来年度のカリキュラムも公表されたが知っている先生も混じっている。多様なテーマも面白そうだが事務局から来年編集委員をやってくれないかという話があった。勿論ボランティアだが主な仕事は講義録を作成することである。記録としても残すが講義をした先生にも渡すそうだ。簡単に言えばテープ起こしだが今はChatGPTで自動文字起こしをして校正までできるようである。昔のようにテープを何度も巻き戻して聞き取る時代ではなさそうだ。編集員が毎回分担して担当しているとのこと。編集員になると毎回講義は無料で聴講できるがQ&Aには参加できない。分担は3講義くらいになるという。何故誘われたのかと聞くと編集員の人手が足りなくて過去の提出レポートから出来そうな聴講生に声を掛けているとのこと。迷うところである。Q&Aも楽しみだったが編集員になるとボランティアと雖も義務が生じて必ず担当の講義日は出席しなければならない。来年も5月から開講されるがその時健康でいられるかどうかも分からない。

市民講座は5年通ったがなるべく役に当たらない様おとなしくして居ようと思っていたが、初年度は聴講生代表で謝辞を述べその後も会報の編集や班の代表と何故か前に出ざるを得なかった。思い起こせば子供の頃からそうである。何となくボーッと立っていたらいつの間にか一番前にせり出していて何かに当たる。頼まれたら断れない性格所以である。前垂れの前で手を擦り合わせアイツは指紋が無くなっていると揶揄われていた男を随分可愛がった記憶もある。まあ開講までに返事すれば良いからそれまでは考えないでおこう。