太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

何度も言うよ

2021-02-28 09:03:32 | 社会観察
 何度も書くから何度も言うよ。我が購読紙は相当再エネに怨みがあるとしか思えない。エネルギー基本計画の議論が始まり、福島原発の事故から10年が経とうとしている今何とか原発を推進したいがための再エネネガティブキャンペーンである。記事の一つは「再エネ国民負担年4.9兆円」副題ー経産省試算30年度、最大1.6倍にーである。FITで普及が急拡大した再エネによる国民負担にスポットを当てている。当然次のエネルギー基本計画は2050年(脱炭素年)まで言及することになるだろうがどうするのか。我が家の小さな太陽電池も設置が早かったので一番高い買取48円を享受してきた。2009 年から起算した買取期間も終了し、今は8.5円である。この8.5円で余剰買取した電気を東電は隣の家に低圧単価24円で売っている。送電網まで流れることはなく(送電線への負担なく)低圧(600V以下)内で処理されている。余剰買取終了後は電力単価低減に寄与している筈である。2009年に始まったFITの買取期間は10KW未満で10年、以上で20年である。我が家は最も早い買取期間終了の部類だが設置後20年以上経過したが未だにバリバリ発電している。当然2029年11月から10KW以上の20年買取組も期間満了のものが出て来る。まだその時の買取価格は出てきていないが家庭用と同じく相当下げられて電気料金値下げの貢献する筈である。2030年までは国民負担に焦点を当てネガティブキャンペーンも良いが2050年となるとFIT買取満了システムの再エネの国民貢献度もシミュレーションすべきである。
 さらにご丁寧に別欄記事で「再エネ依存危うさ露呈」と題し、風力の比率の高いテキサス州で今年2月寒波で400万所帯が停電したとのこと。ガスパイプラインの凍結、風力タービンの凍結、送電網の他州との連携不備など様々は要因が重なったとのことだが「風力に過度に依存し、火力や原子力によるベースロード(基幹)電源が十分でなかった」とのWSJの記事を引用している。アメリカの送配電網の未熟さを紹介するよりも日本で2018年9月に起こった苫東厚真火力発電所が地震で停止した時北海道全土がブラックアウトした事故を紹介すべきだろう。大型の集中発電所に過度に依存する危険性を改めて認識すべきである。
 さらに別記事欄で「福島第一3号機燃料撤去完了」副題はー炉心溶融で初ーとある。これはあくまで使用済み核燃料棒が貯蔵プールに保管されていたものを取り出したのである。副題からすると融け落ちた燃料デブリと思ってしまうがそうではない。デブリは依然そのままである。全ての保管燃料棒の取り出しは当初予定は10年以内と想定していたが全6基の完了予定は31年にずれ込む。もう何とか原発を支えようとしている涙ぐましい努力は分かるが再エネを敵役として持ち出すのは将来禍根を残すだろう。我が購読(愛読)紙もそろそろヘビの寝返りのようにゆっくり論調変更をする時期に来ている。

スタコラ姉さん何処へ行く

2021-02-28 09:03:32 | 日記
 仕事の関係でJR新橋駅をよく使っていたが朝の通勤時にはSL広場から虎の門方面に向かうサラリーマンの群れに出会う。新宿南口、品川駅と似たような光景だがよくまあこれだけの人が製造もしないで食っていけるものだ、さすが東京は凄いと思っていた。その中に一人目立った女性を見掛けることがあった。同じ方向にゾロゾロ歩いている群れの中で肘をやや曲げて左右に思い切り振りながら速足で歩く。並みの早さではない、小走りに近い。当然どんどん人を追い抜いて行くので追いついて顔を拝見することなどできない。後姿であるが未だ若いようだ。あまりに目立つのでこの女性を「スタコラ姉さん」と呼ぶ事にした。残念ながら顔を見る機会はなかったが他人に迷惑をかけている訳でも無く、最近問題になっているあだ名禁止の流れに触れるものでもない。何せこのあだ名は私一人の中にある。
 何故スタコラ姉さんを思い出したか。自転車で近所を走っている時ジョギングの人に良く出会うが特に女性(蔑視ではないよ)の方で腕を幼稚園児の運動会のように前後に大きく振りながら大股で歩く人がいる。そういう歩き方が健康に良いとTVか何かで教わったのだろう。勿論何を信じて実行するかは個人の自由であるが、もしその歩き方がBESTであるならもっと普及し、新橋はスタコラ姉さん兄さんに溢れているだろう。
 年が行くと多かれ少なかれ何かを信じて頑なに守るようになる。頑固者と呼ばれる。それは信じていて裏切られたものばかりの人生で僅かに残った信じられるものがあるからだろう。ジョギングの中年のオバサンの気持ちも分からぬでもない。しかしスタコラ姉さんは若かった。あまり若い内から頑なに信じるものがあったらこれから先が相当シンドイのではないかと思う。自身も頑固者にだけはなりたくないと思いつつ、先日釣り場で会った同い年の人が趣味がどんどん変わって広がってしまうとぼやいていたのを思い出す。何時までも若者のように柔軟性を持つことも重要である。ちょっと噛み諦めるの繰り返しの方が人間らしいような気がしてきた。

ロンリー・チャップリン

2021-02-27 08:33:09 | 日記
 行くまいと決めていた中華屋に行ってしまった。ラーメンが50円引きであまり魅力は無いが対象商品が大好きな鶏白湯ラーメンだったからである。さらに先着100名にはティッシュ一箱がついてくる。総合すると100円引き相当の価値はある。行ってみて驚いた。大手チェーン店の田舎の店だがそう大きくはない。ところが注文は回転寿司のように目の前のタッチパネルで行う。さらに料理はロボットが運んでくる。狭い店内をロボットが縦横に動きながら来店の御礼とお土産もどうぞと宣伝もする。これまでと様子が違い人件費の削減とコロナ対策を兼ねているのだろう。これで無人レジを導入し、調理を自動化すれば完成だ。何となくチャップリンのモダン・タイムスを思い出した。さらに自動化すれば映画の自動給食マシ―ンもできそうだ。そのせいでもないだろうが以前ほど鶏白湯が旨くない。アクリル板で仕切られたカウンターでロンリー・チャップリン状態である。もうこうなったら職人の贅を尽くした牛ステーキと海鮮を食べるしかない。何時かはである。見果てぬ夢が ある限り。
 最近NHKBSでチャップリンの映画をよく放映する。モダンタイムスは1936年の映画だから84年も前のものである。ところが現在の実体験と近いのには感動を覚えずには居られない。キッドや街の灯り、独裁者などチャップリンの才能は驚嘆すべき時代認識と先見の明がある。勿論喜劇役者としても超一流で細かな仕草まで計算し尽くされている。動きを真似たのは志村けんさんぐらいだろうか。何れ彼が映画でも撮ったらどんな作品ができただろうと思っていたらコロナで亡くなってしまった。惜しいとか残念という言葉では表せない喪失である。幸いにしてティッシュ箱は貰う事ができたので自転車の前籠に入れて充実した気分で帰ってきた。書いていてもセコイ生活が殆ど自虐ネタになっている。一度でいいから贅を尽くした日々をネタにしてみたい。広報官は7万円の接待で70万円の給与自主返納をするようだ。10倍、贅がある。総務省に続き農水省も高級官僚が利害関係者から接待を受けていた。今の時代隠し通せる筈がない。頭の良い(とは言えないが)連中にやってはいけない事が分からぬ筈がない。上司に誘われてとなると断れないのか。断る上手い方法も弁えていても良さそうだが。なめとんのか、いえ食べて飲んでます。お後のお土産も宜しいようで。

エネルギー基本計画の見方

2021-02-26 08:23:14 | 社会観察
 ほぼ3年毎に見直されるエネルギー基本計画の見直し議論が委員会で始まった。現在の(第5次)計画は30年(2018)7月に策定された。今度は第6次になる。新聞の社説などでは第6次について幾つかの問題点や主張が繰り広げられつつある。5次の現計画をレビューすると30年度電源構成を再エネ22~24%、原子力20~22%、火力を56%としている。計画の策定では有識者会議と称される専門家による各種検討委員会の議論を経て国の方針として決定される。一般の人は国が定める計画だから如何にも中立で理想的なものと勝手に思ってしまう。しかし、第5次の原子力の比率では30年には約30基の原発を稼働しなければならない。2018年策定と言えば福島事故から相当年数は経っており専門家諸氏はそれが2030年に可能か否か明確に分かっていた筈である。事務局(官側)のストーリーを追認しただけで何の専門性も発揮していない。今回6次は通過点としての2030年、最終2050年までの見通し(計画は今後20年程度の中長期に言及する)が盛り込まれる筈だが計画自体の位置づけに注意を払わなければならない。
 国が定める計画であるが、社会主義国の5ヵ年計画や経営者が発表する経営計画とは明らかに違う。これらは未達の場合誰かが責任を負うことになるがエネルギー基本計画でそれはない。第5次で原子力の問題を先送りし黙ってしまった専門家の責任を問う声はない。当然国が責任を負う事もない。そもそも電源比率自体が利害関係者の綱引きで決まっており、結果は(官も容認する)力関係で決まる。特に2050年温暖化ガス排出ネットゼロの国の方針が先に宣言されているから原発推進派はここぞとばかりCO2を排出しないということを前面に打ち出す。本来同時に議論すべき核廃棄物の最終処分をどうするか、安全基準だけで地元(本来は国民全ての)理解が得られるのかなどは別議論とされる。
 それでは基本計画は全く無意味で絵に描いた餅あるいは無視しうるものかとなるとそうではない。一度国の方針として計画が定められるとあらゆる政策がその実現に向けて動き出す。結果として未達に終わろうと政策は動くのである。第5次の計画策定の時に専門家として発言された幾つかは覚えている。ご本人が責任を取らなくても、反省をしていなくても2030年は大きく計画がズレることは確かである。その修正が今回の6次かと言われても第5次で無理を承知で追認した大先生方は少なくとも肩書程は大したことは無かったと初老諸氏は思っている。

何故急ぐ緊急事態宣言解除

2021-02-25 08:11:16 | 日記
 経済の回復や市民の日常生活を取り戻すため、あるいは補償予算の限界など一刻も早く宣言解除をしたい気持ちは分かるが果たして大丈夫か。医療体制の逼迫度合いの緩和、ワクチンへの期待もあるだろう。しかし1週間くらい早めるようだが正念場の1週間ではないか。より感染拡大防止効果を確認する期間だと思う。解除すればリモートワークにも当然緩みは出て来る。人流の制限により感染拡大の勢いが衰えたとはいえコロナウィルスは何処かに存在する。再び感染が拡大するのは目に見えている。ウィルスはゼロにはならないし、解除の目安となる様々な指標の中に感染経路不明がある限り何処かに漏れて行く。指標の中にこの感染経路を入れるべきだ。感染の最先端を止めることによって初めて漏れは無くなる。国や自治体は現在の感染減少を施策が功を奏したと宣伝するのはよした方が良い。第4波が来ると言い訳が無くなり、4波は国や自治体の責任となってしまう。拡大が民間のせいで減少は施策のおかげというのだったら虫が良すぎる。
 政治が小ネタすぎてブログのネタにもならない。気分を変えて、変化を求めて旅にでもといってもコロナ禍で動きが取れない。折込で例の中華店の割引券が入っていた。しかし今までは100円引きが多かったが今回は50円引き、ちょっとケチ臭くて行く気にならない。これはこっちがケチと言うべきか。ちなみにケチは吝嗇家ともいう。当然自腹で和牛ステーキと海鮮料理を食べることなどしない。奢られるなら別だが。驕る平家は久しからずで何時までもチヤホヤされはしない。使い道が無くなれば使い捨てである。それでも使い走りくらいには使えそうなので首の皮1枚で繋がる。首にも皺が増えてきて結構皮は伸びる。伸びた皮は簡単には切れない。やがて再生する。役人ならそれくらいの再生能力はある。1食7万4千円の私が今更その辺の主婦に混じってスーパーの安売りに走ることなどできない。ましてや50円引きのラーメン屋の優待券などに目が眩む筈がない。幸い今は女性理事は求人が多いだろう。何処かにポストは用意される筈だ。森友問題の時の首相夫人職員谷査子氏の例もあるだろう。悪くても社外取締役くらいはあるだろう。懲戒を受けた総務官僚の皆さんは気の毒だが一般の会社では懲戒処分など受けたら一生梲は上がらない、勿論再就職も困難を極める。しかし役人の我慢の先には災害からの復興復活より遥かに早い特権が待っている。中央省庁の役人が安月給で夜を日に継いで働いていることを庶民は知らない。見返りではないが情状酌量があっても良いだろう。良いでしょう、でも国会での無様な姿を庶民は忘れない。