太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

間違っていた未来予測

2016-05-31 07:54:58 | 社会観察

インターネットが話題になり始めた1980年代、訳知り顔で “新聞配達に未来は無いが、牛乳配達は永遠に続く”と不遜にもほざいた事がある。1軒づつ早朝、夕方に配達する新聞はやがてインターネットの普及で無くなり、インターネットでサービスされるようになるだろう。牛乳配達はあの重い瓶を運びながらもネットで配信はできないから続かざるを得ない。ところが事実は逆だった。新聞は未だに健在で、牛乳は欲しくなれば近くのコンビニで簡単に手に入る。ネットで注文しても都度素早く配達して貰うことは可能だろう。

新聞は健在というのは続きうるのか。否である。何故続きえないか。やがて新聞を良識、常識と信奉してきた我々高齢者や田舎で郵便配達並みのサービスを受けていたところは次第に姿を消してゆく。

いやそれよりも気掛かりなのは紙面の独善と正義づらした上から目線の記事内容にある。社説や記者が書いたコラムに如実に表れる。都知事を擁護していたものが与党重鎮の発言で俄かに突き放したコラムに変わったり、消費税の再延期に何となく理解を示すようになったりである。その変位は巧妙でこれも昔私が喩えた“蛇の寝返り”の如くである。尻尾から少しづつ捩じりながら、頭が返ったとき初めて寝返りに気付く。素人は“蛙の寝返り”であいつ寝返ったなと直ぐ気付かれる(これはサラリーマンへの教訓で蛇の寝返りを薦めた時の話だが)

18歳に選挙権が引き下げられた今、新聞で如何に世論を喚起し、誘導しようとしても既に若者は多くの価値観を有し、SNSを通じて簡単に多種の意見に触れることもできる。次の参院選で明確に影響は出なくとも何れはSNS対策の方が重要となることは目に見えている。

昭和生まれが健在な時代は新聞も健在だろうが、猶予期間は少ない。新聞が何かを教えるという立場をとる限り。


後悔しないタフな心

2016-05-30 08:35:13 | 社会観察

消費税増税が延期されそうな雰囲気となってきた。普通の人なら、あの時 大見栄をきって次は必ず上げる、などと言わなければ良かったと後悔もし今度はどう言うべきかクヨクヨ考えてしまう。流石に大物政治家は違う。どう考えても増税とアベノミクスは同列には論じられないテーマである。アベノミクスが功を奏し税収が上がれば増税の必要性は薄らぐ。増税延期と言うのはアベノミクスの失敗ではないかと野党は攻めるがアベノミクスは成功しつつあるから増税は延期しても良いという方便も成り立ってしまう。

感心するのは次々と言葉を繰り出す首相(周りのスタッフ?)のタフさである。攻める方には言葉尻が捉えられない強敵とも言える。私が社長にも政治家にもなれなかったのは一に、あの時ああ言わなければとかああやらなければ良かったと後悔、クヨクヨしてしまう性格にある。

ただ一つ、周りのスタッフのミスがあった。リーマンショックを持ち出したことである。“アベノミクスは着々と手を打っている、しかし、結果が出るには時間も掛る。増税でこれが腰砕けになってはならない。2年半増税を延期することによって成果を着実なものにする。その時は増税の必要性も和らぐことも期待される。”と言えば言葉尻は捉えられない。世界の認識との違いが浮き彫りになり“リーマン”は言葉尻になってしまった。

秘書にはなれたかも知れない。


FITの一部改正国会承認

2016-05-26 08:53:35 | 仕事に関すること

FIT法の一部改正(改定と思うが)が国会で承認されH29.4.1より運用される。委員会等で内容は既知だったが、簡単に言えば太陽光発電の不良債権一掃である。確かに設備認定されても運転開始まで至る可能性の低い(所謂権利確保だけ)ものは系統を予約で埋めるて新規が入り難いという問題はあった。系統を予約で満席にするというのは原発も似たようなものだが、原発には悪徳事業者はいないという前提だろう。

それにしても改正の目的に「再生可能エネルギーの最大限の導入と国民負担の抑制を図り」と相変わらずと枕詞の如く掲げるのは頭の良い官僚とは思えない。素直に読むと二律背反のことを言っていると思うのはひねくれ者の私だけか。せめて「国民負担の抑制のため可能な限りの導入を図る」と入れ替えたほうがマシ。

例えば現在の日本と同じように系統問題や負担問題が3年前、既に顕在化していたEUでは、PV GRIDという国際プロジェクト(対策のための調査検討報告書づくり)の中で、how the integration of large amounts of PV and RES in the energy supply systemという表現が使われている。別のところではmore electiricty from RES という表現もあったように思う。導入目標量を掲げるのではなく、色々障害はあるが、少しでも沢山RESをいれるためにどうするかという姿勢である。

実現性の低い、権利だけを確保している業者を排除する目的なら改正と言えるかも知れないが、法には則ってはいたが(新参者のために)道義的責任を負わされた業者には改正ではなく、改定だろう。国民負担に上限を設け、その内で最大限導入するとい言うなら負担者にとっては改正だが事業者にとっては改定。生き過ぎたPVを抑制する(何のためかは分からない、バランスというなら問題点は過去ブログで述べた)ことが目的ならある種の者にとっては改正だが、PV関係者には改定。

買取価格据え置きや複数年提示を受ける他の再エネの皆さんは一見保護優遇されているように見えるが、まさかlame duck 扱いではないでしょうね。そんなことはプライドが許しません。


可也大きくなるまで知らなかった

2016-05-24 09:27:45 | 思い出話

小学校低学年まで小さな山村(というほど山奥でもないのだが)で育ったため、時代もあったろうが沢山の思い違いをしていた。唯一の知識人はガキ大将であり自然の中で経験することが全てであった。特に思い込みが激しく想像力豊かな子供であったがために一度こうだと思ったら中々考えを変えられない(今でもその癖はあるが)。多くの事を知るようになったのは町の小学校に転校し、家庭にTVが普及し始めた小学校高学年になってからである。勘違い、思い違いをしていた事で今でも鮮明に覚えていることは、

・チューリップは架空の花だと思っていた。

※自然の中でチューリップを目にする事は無いので幼稚園の絵本で見た時には、「きっと葉っぱを書くのが難しいので、花の下の茎を長くした絵本の中の花」と思っていた。初めて小学校の高学年で実際のチューリップを見た時はかなり感動した。キツツキも架空の鳥と思っていた、小学校高学年になって動物園で本物を見るまで。

・映画の接吻は薄いセロファン越し

※偶に村にやってくる移動映画(屋外で見ていた)で大人の接吻シーンを見た時、きっと唇の間に薄い透明のセロファンがあると勝手に思った。兎に角あんなことやってはいけないと幼稚園まで思っていた。いや今でもセロファンがあると信じる思う。

・魚は全て釣りで獲るものだと思っていた。

※村に時々自転車の荷台にトロ箱を乗せて魚の行商がやってきた。池や川で見たことの無い大きな魚を見る度に「この魚はどうやって釣るのか」と幼稚園に上がる前は何時も訪ねていた。海で網で獲ると知ったのは小学校に上がってからである。

・太陽が西に沈んだら月の姿に変わって西から上がってくる同じモノだと思っていた。

※幼稚園に上がる前一生懸命母親に説明したがとりあってくれなかったような気がする。

・バナナは薬

※父親が町からバナナを土産に買ってきて「これは病気にでもならなければ食べられない貴重なものだ」と言われた。幼稚園に上げる前だから4,5歳だったろうか。一口食べるとやはり薬の味がした。もう要らないと言って小学校高学年になるまでバナナは嫌いだった。

・幼稚園の前までツララはおやつ

※温暖な地域であり氷は張らなかったが、偶にガキ大将が秘密の湧水のところにツララを取りに連れて行ってくれた。小さめのものを「ほれ」と手渡してくれるのだが、掌でどんどん融けて行く。急いで口に入れたが、ガキ大将しか知らないおやつだと思っていた。

・オタマジャクシの尻尾はトカゲのようにキレてしまう

※オタマジャクシの後ろ足が生えるころ尻尾はトカゲのように切れて沈んでしまう、と4、5歳頃まで頑なに信じていた。

・落下傘の誤訳

※絵本に出てくる落下傘の別の呼び方はパラットシュー(パラッと開いてシューと降りてくる)と思っていた。英名でパラシュートと知ったのは恥ずかしながら小学校高学年になってからである。順風満帆も中学生くらいまでジュンプウマンポと読んでいた間違いもある。

つい最近までの勘違いは、マイレージやTポイント、割引など諸々の特典は会社が損をしてまでサービスしていると信じていた。違った。予めそれに掛る費用は別の料金に上乗せしており会社は損などしていないのだと。しかし、まだまだあるだろうな今も勘違いしている事は。


サーファーを助けた話

2016-05-23 17:31:26 | 日記

原稿書きがちょっと落ち着いたので天気も良いし釣りに出掛けた。去年はかなり釣れた堤防だ。堤防の護岸にテトラポットが積まれており、このテトラの上に腰をおろしひたすらあたりを待つ釣だ。平日ということもあってサーファーもまばら。堤防の上に駆け上がると沖合50mくらいのところにサーファーが二人居て、一人が【助けて、助けて】と叫んでいる。【足がつった、痛いイタイ】とも叫んでいる。そばに居るもう一人は髪の薄いオジさん風だが若い男の方を何とか曳航して岸に辿り着こうとしているように見える。二人ともボードに腹ばいになっており、手は動いているので何とか砂浜の方へ辿りつくかと思ったが、ちっとも前へ進んでいない。若い方は諦めたのか助けてと繰り返す。近くに居た釣り人が【これは無理だな、だんなさん電話もっているなら海上保安庁118番に連絡してくれる。】というので電話をしたら、位置を聞かれ、河口近くの海岸と平行している堤防と答えると通じない。港の航路の傍と言っても要領を得ない。再び釣り人が【中央堤防】と教えてくれる。

保安庁の人はこちらの氏名を尋ねた後、【何分後になるか分からないが救急車と保安庁が行きます。この電話で状況を逐次確認させて貰っていいですか。】というので【勿論構いません。】と答える。何分後か分からないが兎に角、彼らがボードから落ちたり、動かなくなったら即連絡しなければならない。大声を上げて【今救助を頼んでこちらに向かっているから頑張れ】と声を掛ける。しかし、砂浜には近づかず、徐々にこちらのテトラに向かって流れてくる。波が荒い時は時々サーファーがぶち当たってケガをすることもある危険な所だ。

偶然にも波が穏やかになり、近くまで流されてきていた若者は自力でテトラにしがみ付き何とか上がって来た。顔面は蒼白で擦り傷に血が滲んでいる。友達もやってきて大丈夫かと声を掛けるが堤防の上からテトラに移って来ない。私が立っているテトラまでも来れない様子。手を貸してやりなよと言うと【怖くて行けない】と言う。仕方がないので私の方から【暫くそこで休め、保安庁と救急車が来るから。】と言うと、【救急車って金掛るんですか、僕はもう大丈夫ですから】と何度も繰り返す。保安庁に電話して【助けてと言った者が何とか自力で岸に着いたもう助けは不要です。】と伝えた。

彼も顔面蒼白ながら堤防まで這い上がって来た。まだ海の中に居る助けに来たサーファーのオジさんを見ると自分のボードに乗って、彼のボードを引っ張って砂浜に行こうともがいている。【あの人は知り合いか】と聞くと、【自分を助けに来てくれた知らない人】とのこと。しかし今度はそのオジさんの方が砂浜に近づくどころか、どんどん沖に流され始めた。若者が、【これは危ない、もう一度救助を要請して貰えますか】、と言うので再度電話し、【先ほどの若者を助けようとした人が今度は疲れて流され始めた。もう一度保安庁お願いします。】と言うと【またこの電話で様子を知らせて下さい。】とのこと。15分くらい経っても救助は来ず、オジさんは声も届かないほど沖に流されて行く。今度は遠くでサーフィンをしていた若い男女が救助に向かう。可也のスピードで近づきオジさんに辿りつき、潮流を利用して遠回りだが無事オジさんを連れて岸まで着いた。オジさんは【サーフボードは大切だろうから何とか引っ張って持ってこようと思ったが重くて流されてしまった。本当に皆さんありがとうございました。】と照れくさそうに丁寧なお礼。一度も【助けて】と叫ばなかった中年おじさんの気持ちは分からないでもないが、助けを呼ぶ方は困ってしまう。

私が堤防についてから小一時間、電話係だったが皆無事で良かった。その頃、救急隊と保安庁、警察がやってきた。若者は照れくさそうに事情聴取を受けている。連れだって帰る際、私の方に向かって小声で【ありがとうございました。】とぺこりと頭を下げて行った。後ろ姿に【これで懲りるようだったらサーファーじゃないぞ。】と声を掛けると、もう一度振り返り小さく頭を下げた。因みにこの日の釣りはボウズだった。