太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

凡戦

2018-05-31 08:15:43 | 社会観察

久し振りに党首討論んのTV中継があった。殆ど絶望的な凡戦と言わざるを得ない。勿論野党質問側にである。新しい事実や質問をする訳でもなく御用新聞が報じる通り何ら新鮮味が無い。結果安倍さんも相変わらずの答弁となる。手慣れたものよと言う感じか。凡戦に終わるのは野党側の最終目標が安倍内閣打倒であるからだ。その先の政権奪取の展望は感じられない。まずは内閣退陣で、じゃあその先はどうする。政権交代を目指した選挙対策があるかというと真逆の動きで少数野党の乱立のその可能性はほとんど無い。小言幸兵衛が幾ら殿に言っても聞く耳持つ筈が無い。

かって民主政権の野田さんと当時野党の安倍さんがやり合ったような緊迫感は無い。これだけ不祥事が続きながら何一つ変わらないのは言いかえれば安倍さんが安定した大宰相とという事も出来る。党首討論ではないが、何より自民党内から政権交代の声が出ないのは自民党内でも代わる人はいないと認めている証拠だろう。

最近の不祥事で最大のものはやはり財務省の問題だろう。文書改竄や虚偽答弁など、もっと些細なことで多くの大臣が更迭されたことを思えば麻生さんの続投は異様である。勿論更迭してライバル陣営に廻られたら3選などあり得ないからだろうが、麻生グループの人達もどちらに就こうが勢力は維持できると割り切っているから敢えてグループ内で領袖に異を唱える人は出て来ない。勿論それ以外に普段の言動とは違う麻生さん自身の人間的魅力がグループの求心力になっているのかも知れないが。ちょっと穿った見方をすれば安倍さんにとって麻生さんは最後の切り札(本切り)かも知れない。切るタイミングによっては難局の打破になると読んでいるのか。少なくとも今ではない。

国民の多くは森友も加計も安倍さんが主役だとは思っていない。取り巻きによる忖度である。野党は何とか安倍さんを主役にして内閣打倒を言うのだろうが、忖度を生み出す体制が悪いと言っても具体的に忖度される側がどうすれば良かったという解答はない。云わば生活スタイルのようなもので改めるには相当時間が掛る。遡るなら政治家になった頃からの宰相教育まで行くかも知れない。

これまでの政権運営では異次元の金融緩和くらいしか具体的政策は思いあたらないが、多くの海外首脳と面談したという実績は過去の誰も居なかったという点は評価できる。ただその成果が、強固な日米同盟を軸に関係諸国と連携を密にし問題解決に当っていくというキメ科白は食傷気味である。ここぞとリーダーシップを発揮し何かを成し遂げたという記憶があまりない。北方領土にしても拉致問題にしても憲法改正にしてもたった一人の在任中に成果を出す事は相当難しいとは思う。どうしても受け入れがたいことがあるとしたらやはり拉致問題である。その解決糸口まで米韓に依存するのは如何だろう。ここはリーダーシップを発揮し、拉致問題を解決してくれれば金体制の存続を友達のトランプさんにお願いしてあげるとでも裏交渉をしていたなら大したものだがありそうもない。北朝鮮の核・ミサイル問題についてもあくまで圧力をと言い続けてきたが、以前北朝鮮の真の目的要望は何だと探ることはしてきたのだろうか。インテリジェンスの問題で公にはできないと言うだろうが、結局米朝会談を控えて韓国が金体制の安全保障と経済支援が目的であると明かした。そんなことくらい分かっていたと言うなら何故北朝鮮がどちらを選ぶか迷ってしまうような交換条件を突き付けて交渉すべきだと書いたブログを読んで呉れなかった。読む訳ないか。代わるべき人がいないなら長期政権どころか永久政権になるだろう。プーチンさんの例もあるしまんざら夢ではない。ちょっとは変化が有る方が政治は緊張感があって良いと思うが、残念ながら与野党から俺がと言う人は出て来ない。言いかえれば(政治家は)皆安倍さんの続投を容認(黙認)していると言って良い。3選どころかその次も有り得る。凡選にならないことを願って。


その先を何故描かぬ

2018-05-30 08:05:53 | 社会観察

社会保障費が膨らみ、財政再建が危うい。年寄りが増えることは人口動態から見れば何十年も前から分かっていた筈である。何を今更ジタバタと。右肩上がりの経済成長を前提としていたことも不思議だ。明らかに人口減少社会で高度経済成長を遂げるなど先進国では前例がないだろう。どうやって成長するかの現実的ロードマップではなく夢幻を描いていいたのか。

人口動態からその先を見るのはビジネス界の方が長けている。若かりし頃は駅前にお城のような豪華結婚式場、玉姫殿がデンと構えていたが今はやたら葬儀屋のビルと老人の体操教室、リハビリ施設が漏れなく建っている。どう見てもトラバサミのように逃げ切れないトラップが待ち構えている。人口の推移を見て居れば素人にも分かる経営戦略ということもできる。もうこうなったら団塊の世代がすっかり居なくなった世界を描いて貰ってもう少しの辛抱だと世の中を納得させるしかない。今から10年余りが喉元である。

太陽光のFIT制度による国民負担が増大しており問題だと指摘されてからも久しい。国民負担が幾らまで膨れ上がると危機感を煽るなら、その後つまり買取期間が終了したシステムについても言及すべきである。買取期間が終了しても相当量が稼働し続けることは容易に想像できる。しかもそれらは新たな設備投資を殆ど必要としない。これらシステムから系統に何円の電気が供給されるか、極端にはタダという意見もあるが、確実に料金押し下げる効果があるだろう。原発で言えば設備投資も償却も殆ど終わり、買いつけてある核燃料がやたら有る状態に近い。つまり高い(新増設)原発もあれば寿命末期まで稼働すれば安い原発もあることに似ている。それぞれの特徴を正確の把握し、この先それらがどうなるかを描かなければ本当の問題は浮かび上がって来ない。

生産においても消費の面でも高度経済成長を支えて来た団塊世代であるが、殆ど償却も終わり設備投資も望めない。今や諸悪の根源、お荷物扱いだが介護は受けていなくても年金天引きで介護保険は収めているし、仮に介護を受けるようになっても雇用には貢献するだろう。そして最後には葬儀という消費も漏れなく待っている。FITにより一気に増えた太陽光発電も今や悪者、制度が果たしてきた効果はなかなか取り上げられない。似ているような気もする。


見た目の夫婦

2018-05-29 07:43:00 | 社会観察

籠池夫婦が長い拘留生活から出て来た。短い記者会見をしたが相変わらずである。変わらずというのは見た目の夫婦仲である。拘留前大騒ぎになっていた頃、夫婦でTVの前に出て来ると一心同体、夫唱婦随の仲の良さは際立っていた。勿論しでかした事の善悪ではなく夫婦の関係だけを言っている。拘留後の会見ではおのろけとも取れる旦那さんの言葉に奥さんが泣いていた。あの歳で公衆の面前に曝す態度としては余程世間知らずか本当に仲が良いかどちらかである。多分後者だろう。

対極にある夫婦と言えば安倍夫妻だろう。未だに夫婦が二人で会話する姿が報じられた事は無い。海外に出掛けた時、飛行機のタラップから手を繋いで降りて来る姿はしばしば映し出されるが、階段に気を付けるような互いの思いやりには見えない。多分海外要人の真似をして睦まじさをアッピールしているのだろう。

片方は補助金不正受給という犯罪、強引な小学校建設に伴う財務局との交渉が問題となって長期拘留、片方は1国のリーダーとファーストレディ、社会的地位からは雲泥の差がある。しかし夫婦の仲として見た場合、どちらが幸せそうに見えるかと言うと皮肉にも籠池氏側である。勿論、本人達がどう思っているかは想像の外であるが、ほとぼりが冷めた頃夫婦による、「あの時私たちはこうだった」とかの対談集を出せばベストセラー間違いない。指南書にもなるだろう。

釣り場にも二組か夫唱婦随と思われる夫婦がやって来る。一組は奥さんは椅子に座って文句も言わず長い間旦那の釣りを眺めている。もう一組は奥さんも釣りがすきなようである。どちらとも話す機会はあるが共通しているのは小さく纏まった幸せの中に居る事だ。少なくとも釣り場では互いの不満は一切ないように見える。

世の中には逆に夫婦が敵同士とは言わないがライバルのようなところがある。社会的な地位や名誉、金を手にした人達はこの部類に属する。ただ、大失敗した者もこの中に含まれることが多い。どちらの夫婦が良いとか悪いという類の話ではないが幸せなのは多分夫唱婦随の方だろう。もし対談集が出たら1500円以内なら購入して確かめてみたい。


馬の思い出

2018-05-28 08:46:39 | 社会観察

昨日は日本ダービーで大いに盛り上がった。特に競馬に興味がある訳では無いがダービーとか天皇賞はTVで見る事が多い。どの時代にも周りに競馬好きが一人は居た。共通しているのはやたら血統に詳しいことである。サラブレッドは野生には存在しない、競争用として作り上げられたものであるとも聞いたことがある。確かに無駄な筋肉が一切なく如何にも速そうな体つきである。誘われもしたが実際に競馬を見に行ったのは一度きりである。競馬好きの友は盛んに馬体の美しさを褒める。ところがパドックだったか馬が目の前で大きいやつをブリブリとしたのでどうしても美しいとは思えなかった。友は鳥だって飛び立つ前は大小をするだろう、軽くなってあの馬はきっと走るぞと言う。メインレースはゴール近くで見ることになったがドドドッとなだれ込み一体どれが勝ったかサッパリ分からない。友は動体視力が良いのかちゃんと分かっていた。競馬の話で盛り上がるには血統を知らなくてはならない。しかし歴史が大の苦手だったから毎年のように入れ替わる、人相いや馬相もほとんど区別のつかない彼ら彼女らを覚えることはとても無理だし、両親の行方もあまり報じららないからショートヒストリーでも覚えきらない。

それでもダービーとかの重賞レースは中継を良く見る。勿論素晴らしい追い込みで勝つ馬など居たら陸上競技と同じ様な爽快感はある。さらに面白いのは解説やらゲストが訳知り顔でどの馬が勝つとか予想するのが大概外れるところだ。先生と呼ばれる解説者が居たり、元騎手だかの女性解説者も興味深い。最近は少し化粧が上達したが最初の頃はパレットガールと言ってもよいくらい派手だった。入れ込んでいるからこの馬は良いとか,本馬場での返し馬(ウォーミングアップ)の軽い走りを見て感覚的、抽象的表現で評価するが、分からない上に当たらない。永くTVに出ているので通には受けるのだろう。

競馬の思い出は何と言ってもモンゴルの祭りナーダムである。ウランバートルで開催されるメインは見たことがない(その時期はホテル満杯)が、地方で開催されるナーダムで競馬は見たことがある。子供が乗って何十キロものレースをする。スタートとゴールは同じ会場だから見ることができるがレース途中は遠くの丘に隠れたりあまりの遠景で殆ど見えない。ゴールする時は歩いて来る馬もあるし、子供の騎手も疲れきっている。それでも大人は大興奮である。相撲とか弓射も行われるからナーダムは地方の人にとっては最大のお祭りである。この大草原の何処にこれだけの人が居たのかと思うほど賑やかである。賑やかであると言うことは酔っ払いも大勢居る。同行したモンゴル人から危ないから、見に行かない方が無難とも言われたがやはり一目と出掛けた。

競馬で使われる馬は放牧で育てると言うより特別扱いされている。あるゲルを尋ねた時数頭の馬が繋がれており、爺さんがあの馬は今年のナーダムに出す特別の奴だ、見てくれと自慢する。多分特別な食事とトレーニングをするのだろう。子供がその裸馬に飛び乗り草原の彼方に駈けて行くデモンストレーションまでしてくれた。あの馬は乗せられないけど客人も馬に乗って見るかいと言う。落ちて怪我でもすると仕事にならないので遠慮すると長いロープで馬を繋ぎ、この馬は大人しいしワシがロープの端を掴んでいるから大丈夫という。そこまで言われてと思い乗ったがロープの端を掴んだ爺さんの周りをぐるぐる回って歩くだけの乗馬だった。帰国後聞かれると、ああ馬には乗ったよと答えていた。釣り場に行く途中の海岸沿いに乗馬クラブがある。そのクラブが先日脱税で捕まった。馬は悪くない。同僚に学生時分馬術部だったと自慢する男が居た。180センチで100キロは超えるだろう巨漢の男である。口の悪い奴が、旦那さん勘弁して下さいよと馬が言わなかったかと訊ねた。確かに馬には言う権利はある。

小咄、

フランスの名馬「エピナール」号が、今日は英米の駿馬と覇を争おうと言うので大人気。競馬狂のパリっ子3人がこの勝負のがしてはならじと思ったが、さて金がない。入場券売り場まで来た3人、何を思ったか1列に並び、まず先頭の男が何食わぬ顔で改札係の前を押し通る。

「もしもし、どこへ行きます」

先頭の男振り向きもせず、

「俺はエピナール号の調教師だ」

改札は黙って通す。こんどは2番目の男、

「俺はエピナール号の持ち主だ」

改札係は一歩下がって敬礼をする。さてしんがりの男、勇気を出して通り抜けようとする。

「もしもし!」ととがめたら

「俺がそのエピナール号だ」と言って入って行った。

こんな面白い小咄本が昭和43年、480円だった。当時ならきっと河盛好蔵先生にフランス語を習っている。


多過ぎる登場人物

2018-05-27 07:26:44 | 社会観察

B級読書ではちょっとした教養本と小説をほぼ交互に読んでいる。小説はサスペンスや推理小説が多いがこれぞB級本というののが結構ある。なるべく何たら賞を受賞したものを選んではいるのだが。B級に共通しているのはやはり登場人物がやたら多いことに尽きる。半分以上読み終えた時点でも新しい人物が姓名まで名乗って出てくるのは呆れてしまう。小説の中でA氏とかB君は匿名の必要がある場合以外は使えないから姓名を付けざるを得ないのだろう。この人が最後はとんでもない役割を果たすのかと読み進んでも何も起こさない。消えて行く場合さえある。通行人に名前をつけたようなものである。登場人物の多さによって全体像が見え難くする手法のサスペンスかなと思ったりする。

登場人物が多過ぎて全体構造が見え難くなるのは現実事件(役所風なら事案か)でも有る。例えば加計問題で時々出てくる前愛媛県知事だ。国会にも出たが何時もマフラーをしているから相当の寒がり屋と思われるがであることは想像がつく。ただ事案の中での役割が今一つ分からない。主役が舞台に登場しないで脇役や通行人ばかり仔細に描写しても全体像を見破るのは相当困難である。日大の記者会見も次々名脇役が出て来て場を賑わしている。しかしこちらは事案の登場人物は明確だから全体像は直ぐ掴めそうに思うが、刑事ドラマのように犯人像を絞り込んで行く作業とは逆に脇役が増え過ぎて焦点が絞り難い。理路整然と物事が進まないのは世の常である。小咄は違う。

理路整然、病院にて

「先生、覚悟をしています。本当のことを言って下さい。」

「安心しなさい。大丈夫治りますよ。統計によるとこの病気は百人に一人の割で助かっています・・・」

「それで?」

「あなたは丁度百人目で・・・・そして今まで私はこの病気で誰も治していませんから」

理路整然、弁護士事務所にて

ジョゼフは弁護士事務所に出掛けた。

「もうとても我慢できないんです。離婚したいと思いますが・・・・」

「離婚だなんて、なぜまた?」

「何故ですって?勿論わたしが結婚しているからですよ。」

本文に関係ないが、「然」の後に読点を打つと脚(漢字の下部)の部分、部首名で「れっか」と呼ぶようだが点が5つに見える。「点」もそうだ。