太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

早く目覚めた朝には

2022-06-30 07:27:40 | 日記
 このところ5時過ぎには目が覚めてしまう。若い頃なら2度寝をするところだが完全に覚醒している。暑くて寝苦しいわけではない。寧ろひんやりとした部屋は快適である。早く起きた朝はという中年(?)女性タレント3人が他愛のない井戸端会議風のおしゃべりする人気のTV番組があるがこちらは話す相手などいない。近所に迷惑が掛からないよう静かに雨戸を開ける。太陽は既に東の空に昇っているが爽やかな冷気が吹き込む。部屋の片隅に何かが動いたので見るとヤモリだ。10年位前に1度見掛けたときには追い出そうと慌てたが素早い。調べてみるとヤモリはこれと言った害はなく虫などを食べてくれるから益の方が多い。だから家守りというのだそうだ。何処かに隠れるまで放っておく。
 そういえば昔先輩とネパールに行った時、ホテルの部屋の中で目が覚めると天井や壁に何匹もヤモリが居た。先輩から蚊などを食べてくれるからマラリア予防になると言われた。それでも寝ている時に口を開けていたら水飲みにやってくるのではないか、宮本輝の小説「春の夢」に出て来る壁の中で釘に刺しぬかれたトカゲのようなヤモリもいるのではないか、井伏鱒二の岩屋のなかで身動きがとれなくなった山椒魚のようなやつもいるという似た者同士の想像的連想恐怖に襲われた。
 小さな庭に目をやるとこの時期は腹の膨らんだ尻尾の切れたトカゲがウロチョロする。食べ物を探しているのだろうが何かを捕まえて食べているところは見たことがない。似たものと言えば子供の頃に池で釣り上げたイモリだ。腹が真っ赤で気味が悪くガキ大将からは毒があるから触るなと言われた。泣く泣く貴重な針を切って放してやった。
 梅雨明けで暑くなると時々大きな蝶々が飛来する。母親が梅雨の大雨の時亡くなったので蝶々は亡くなった母親が元気でやってるかと訪ねてきているのではないかと思っている。相変わらずだよと答える。そういえば今朝のヤモリは先輩が訪ねてきたのではと思った。平均寿命を少し過ぎた頃だろうか。平和に暮らしていればと願う。ヤモリ、イモリ、山椒魚、トカゲと似たもので連想したが若い頃母親は小児科医で看護師をしていたとのこと。医院の先生のところに時々井伏鱒二が遊びにきていたと聞いたことがある。真偽のほどは知らないがこれも何だか関連している。話し相手はいないと言うがブログの独り言は3人のオバちゃんの雑談を遥かに超えているのではないかと言われてしまいそうだ。連想はここでストップ。

斑焼け

2022-06-29 06:42:20 | 日記
 あまりに暑いので釣りに出掛けた。期待通り潮風が心地よく暑さは感じなかった。これこそ貧者の避暑地である。水筒に氷を入れた水とコンビニで買ったスポーツドリンクをクーラーBOXに。水分補給もおさおさ怠りなし。ところが南向きになって釣るものだから太陽に向き合う。勿論防波堤でブナ林などの陽射しを遮るものは何もない。3時間ばかりで諦めたが帽子は被っていたがボウズである。帰って鏡を見て驚いた。物凄く日焼けが進んでいる。元々は色白の方だが今は顔だけは黄色人種と黒人の間くらいになってしまった。若い頃は健康的と言われ中年の頃はゴルフですかと聞かれたものだが今はどう見ても5歳くらい老け顔になっただけ。しかも全体がこんがりやけているわけではなく皺のある所はグラディエーション。額の上部は帽子があるので黄色人種のまま。このままプールに行ったら異様な姿に見えるだろう。全身が斑模様の日焼けである。サーファーなら顔だけ焼けるのだろうからサーファーとは思われない。全身がパンダのように白黒はっきりしていればそれも愛らしいのかも知れないがこちらは露出していないところは白人、腕や顔は黒人、部位によっては黄色人種といったハイブリッドである。この文様は冬頃まで消えない。頭に描く健康的な小麦色になる時代はとっくに過ぎてしまったようだ。夜も顔が火照って寝苦しい。人生斑模様が今人体斑模様である。

夢ぐらい見させて

2022-06-28 06:31:32 | 日記
さすがにこの暑さは堪える。早々に梅雨は明けてしまった。昨日部屋の温度は36°を超えた。今朝も6時から29.5°である。家の中で自分の居場所にエアコンがない。若い頃は寒いとか暑いと言っても体に変調を来すなどとは考えなかった。この歳になると熱中症で亡くなることが他人事とは思えない。こんな日は避暑地に建てた別荘で過ごすに限る。物置ほどの小さな別荘だが退職金を叩いて買ってしまった。一人なら長期に過ごすのに問題はない。誰にも邪魔されず、誰の邪魔にもならない辿り着いた最上の自由空間だ。近くには清流が流れていて朝早くからヤマメ釣りに出掛ける。あまり知られていない渓流なので30㎝くらいも期待できる。別荘のすぐ下の流れに小振りだが甘いスイカを冷やして出掛ける。帰ってくる頃には適度に冷えているだろう。ヤマメは5尾も釣れたら終わりだ。3尾は冬用の暖炉に火を熾し塩焼きにして今晩食べる。2尾は燻製にして貯めておこう。午後は風通しの良いデッキでB級読書。ブナの葉が揺れながら適度に日陰を提供してくれる。デッキチェアでいつの間にか眠ってしまい、目が覚めると林の向うで日が沈みかけている。夕暮時は少し肌寒いくらいが避暑地というものだ。夕飯は朝方釣ったヤマメの塩焼きにガーリックトーストと洒落こんでみる。おろしニンニク、塩、オリーブオイル、バゲット、バジル、刻みパセリと庭で採れたミニトマト、材料は揃っている。頂き物の高級ハムを1cmくらいの厚さに切って薪ストーブの上でフライパンで焼く。赤ワインも半分くらい残っていた筈だ。夕食後は今度フライ釣りに挑戦するために毛ばりを作る。世間と関わりがなく、関わる必要もないのでTVは観ない。てな生活をリタイア後は考えていた。実現しているのは小さな庭で育ったミニトマトだけだ。実現度は1%くらいか。
 暑い暑いと口に出して言うのは貧乏人の特権である。口に出すと体温が0.01°くらい下がる気がする。避暑地に別荘なんて持っていたらこんな体感はできない。小まめに水をといわれるのだが飲むと直ぐ汗で噴き出すからもったいない。何時かは水道水に切り替えよう。もったいないからと汗を出さなければ胃腸を壊すからそこまで徹底はしない。晩の献立を考える為冷蔵庫を開ける。特売の肉か魚、野菜は残り物、みそ汁の具は大根と冷凍の刻んだ油揚げ。ヤマメではないがちりめんじゃこがあったから大根おろしも添えるか。インスタントでつくりおきの漬物もある。希望はないけど夢くらい見させて欲しい梅雨明けである。

色眼鏡で見る癖

2022-06-27 07:33:08 | 日記
 昨日の市民講座は勝手に思い込んで聴講に出掛けたがとんだ間違いをしていた。講義は「展覧会プロデューサーのお仕事」だったがこれを「展示会」だと思って昨日のブログに書いたが明らかに違う。講師の方には思い込み、早とちりで失礼なことを書いてしまった。帰ってネットで確認したら、展覧会は主に、絵画や写真といった芸術作品を一般に公開展示する、展示会はメーカーや問屋が顧客を集めた上で新製品の発表を行い、注文を取るために行うイベントであるとなっていた。明らかに自分が経験したのは展示会である。どちらも赤字を出してはならないために集客のために企画に工夫をするところは似ているが販促としての展示会はデパート等の催事として行われる展覧会とは目的からして違う。後者は展示品を売りたいわけではなく言うなればサブカルチャーに属する。親が県会議長だったというプロフィールも皮肉ってしまったが講義でそれに触れることはなく、淡々と今まで手掛けた展覧会の紹介を行った。決して「先生」ぶっているところはなくどちらかと言うと謙虚であった。人やものを色眼鏡で見てしまう性格は未だに治っていない。比較的予見は的を射ていた、学校のテストでもほとんどが山をかけてそれが当たってきたように思う。仕事では先見の明があるなどとチヤホヤされたこともあったが時としてとんだ勘違い、間違いを犯すことがある。これに懲りて思っていても口には出さないよう気を付けていたが文章に残すと口外より質が悪い。慎重にならなければフェイクのブロガーになってしまう。努力を積み重ねるより直感、閃きで勝負してきたツケが今ごろ回ってきた。今日は電力会社から節電要請が出る予定だ。こういう場合は外れることが望ましいが某社説ではだから原子力の稼働が必要と結んでいる。転んでもタダでは起きない。こじつけ川柳ではあるまいし、問題は別にある。国民は節電できないから原発をという選択はしないだろう。これは予見である。

ちょっと賢くなってしまった?

2022-06-26 07:18:45 | 日記
 今日は市民講座の日である。今年で4年(回)目だが最近講座の内容がつまらなくなってきている。1年目はこんなに面白い講座があったのかと感激し、2年、3年と続いたのだが1年目程の感激はない。コロナ禍で講師依頼も底をついたのか。いや良い方に取ろう。これは年毎にこちらが賢くなって物足りなさを感じているに違いない。今日のテーマは「展示会プロデューサーの仕事」である。講師は経験豊富で受賞歴もある方のようだ。こちらも全くの素人ではない。業界団体の催事で何度か展示会を指導したことがある。リタイア後は少々辛口に「展示会ビジネスの終焉」と題しブログを書いたこともある。まず最初に引っ掛かったのは事前に送られて来た講師プロフィールである。✖✖県議会議長の長男として生まれると書いてある。議長なら相当年が行ってからの子供だったのだろうか。履歴書だとしても親の職業が必要なのだろうか。最近では企業の面接でも聞くのが憚られる。それとも田舎の名士の家に生まれたという事を言いたいのか。
 参院選候補者の紹介欄に多くの人は〇〇大卒と最終学歴を書いているが「▽▽大中退」と書く人がいる。明らかに学歴ではないが履歴と思えば許せる。横並びに書くなら堂々と✖✖高卒で良いのではないかと思うが。大学以上の高校もあれば高校以下のレベルの大学もある。見栄を張る場所が少々違うように思う。しかし誰から生まれたというのは自叙伝以外に必要なものか。聴く前から突っかかってどうする。ここは虚心坦懐、初心に戻って良い所をみつけよう。
 因みに自分の場合は最終学歴を最も難しかった学校とするなら✖✖自動車学校卒だ。驚くほど補習授業を受けた。就職先に近い田舎の自動車学校だった。通う人は殆ど地元のオバちゃん。教官を含めて皆家族のような知り合い連中である。こちらの履歴書を見て最初に言われたのは、へえ立派な大学を出られてこんな田舎にと嫌味。仕事場が近いからと言い訳するのも癪。S字やクランクで脱輪しまくりのオバちゃんオジちゃんがさっさと卒業する中で人の倍くらい時間がかかってしまった。本来下手なのでは?いえいえ50年間運転し続け大きな事故もなく、違反と言えば昨年ネズミ捕りにかかってスピード違反したことぐらい。本当に最終学歴に書きたいくらいの難し自動車学校だった。