太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

とんでもない確率だった

2022-01-31 08:38:42 | 日記
 こちらが悪いから何とも言いようがないが昨年の一番大きな失敗はスピード違反で捕まった(いわゆるネズミ捕り)ことだ。ネット記事にあったが我が県では昨年可搬式オービスを3台運用し5316件の摘発をしたとのこと。その内の1件が私だ。多分コロナの感染確率より低い。車など殆ど走っていない直線の田舎道で突然物陰から警察が出て来て停められた。何時も走っている道で締まりなど遭遇したことがない場所である。やたら大勢の警官が隠れていたのでやはり装置の試運転だったのだろう。40キロ制限のところを61キロとのこと。多少の勾配がある道では50キロ超は出る機会があるが20キロを超えると検出精度からしても申し開きなどできないそうだ(後で知人に聞いた)。流石に70キロくらいになるとスピードが出ていると自覚できるが61は巡航速度だと感じてしまう。事故が無かっただけラッキーと思うべきだが僅か3台の試運転の装置に捕まったとは。半世紀くらい運転しているが違反で捕まったのは2度目である。一度目は田舎駅のだだっ広い駅のロータリーで車を離れて足の悪い先輩を改札まで迎えに行った隙に物陰に隠れていた指導員に摘発された。運転席に乗っていれば摘発されないと後で聞いた。どう見ても他車の邪魔になるような場所では無いのだが駐禁は駐禁である。僅か10分足らずの犯行と言える。これでもゴールド免許は失効し、更新の講習は長い上に任意保険料も上がってしまう。喪が明けて今はゴールドに戻ったが次は再びブルーになる。去年は家内が入院して手術までしたこともありとんでもない1年だった。  
 嬉しかったこと?大きなクロダイを何枚か釣った事か。何と小さな幸不幸かと思うだろうがいいんです。周りの世界そのものが委縮しているからそうなる。世界を駆け巡っていた頃なら気にも留めないことばかりだが。自然の成り行きです。風呂掃除だって疎かにできない。スーパーの折込チラシだって結構熱心に眺める。取り巻く世界は縮みつつある。そのうち今日はオナラガ出たとかコンビニの店員の早口が聞き取れなかったとかの話題になるかも知れない。

保険に頼る、頼らない生活

2022-01-30 09:12:13 | 日記
 余談だが朝TVを点けると電気自動車(EV)の蓄電池生産分野において日本の遅れが議論されていた。大臣とHモト氏がゲストである。その中でHモト氏が、電気自動車に必要な電気が大元では化石燃料に頼っていては脱炭素効果には疑問が残るとか言っていた。勉強不足も甚だしい。氏は化石燃料を使う内燃機関を動力として使う場合とモーターが動力源になる場合のエネルギー効率の違いが分っているのだろうか。当然効率の高いモーターは(化石)燃料自体の消費が少なくて済む。半分以下になるだろう。燃料消費が少なければその分化石燃料消費は減らせる。TVに出過ぎて勉強する時間は無いのだろう。この分野でゲストに呼ぶTV局もどうかしている。消費の電力化の効果は他の分野でも効果がある。
 本題に戻る。若い頃は各種保険は掛け捨てのようで何だか損をしているように思っていた。また医療制度についてもあまり頼りにはしていなかったが昨年家内が大きな手術をして有難みが少し分かった。特に国民健康保険の高額医療費支給は助かった。一定額以上の医療費には負担の上限があり約1割の負担で済んだことだ。ただこの制度は月単位の精算であり、入院が月を跨ぐとそれぞれの月で負担は生じる。10月の入院で1回目の手術、11月に2回目の手術をしたんがそれぞれの月で負担金が発生した。入院期間は1ヵ月弱だったのでもし11月だけで終わっていたら負担金は1回で済んだ筈だ。それでも負担の都合で入院期間をこちらで定めることなど出来ない。病院と患者の都合に任せるしかない。介護保険については今までは夫婦ともに健康であったのでこれも何だか勿体ない気がしていた。今回家内が要介護認定されたので玄関に手摺を設置するが補助が出ると言う。また別の団体保険では入院給付がありこれも助かる。掛け捨て損と思っていた各種保険も有難いと思うようになった。今更子供を頼って金を借りるなど恥ずかしい思いをしなくて良さそうだ。保険を信用しなくなったのは以前海岸に停めてあった(勿論駐禁の場所ではない)車のフロントガラスにサーフボードを当てられて割られた(多分風に煽られて当たった)ことがあり車輛保険で修理したら翌年保険料が馬鹿に高くなって保険給付に近い額が増額されたことがあってからだ。民間の損害保険はやはりセコイ。コロナの医療体制が散々批判されているが国は法の範囲内で出来る限りの努力はしていると思う。厚生年金保険料だって天引きの頃はバカ高いと思っていた。いざ年金暮らしになると贅沢さえしなければ何とかやっていける。もし給付が無ければ今頃餓死していた。公的な保険は使ったからといってその後個人的に保険料が高くなることは無い。皆で支えるから。また民間のように保険料に利潤の上乗せなどない。保険は頼らない生活に越したことはないがいざと言う時は頼りになる。何だか厚労省の回し者のようになってきたがOBではない。
 接種券が届いた。今度は24時間予約受付とのことで早速ネット予約を試みた。1,2回目と同じく集団接種会場にしたら何と1ヵ月あまり予約は埋まっていた。郵送で接種券が届いて3時間後である。3月初旬に接種なのでまたその日まで健康に留意しなければならない。体調が悪くなると接種自体を当日できないだろうから。1,2回目がファイザーだったが今度はモデルナである。特に拘りはないのでどちらでも構わない、2種混合でも構わない。多分ひと月後はオミクロンも峠を越えているであろう。だからと言って感染リスクが大幅に減っている訳ではないだろう。ここは国のやることを素直に信頼して打つ。

 

至極真っ当な意見

2022-01-29 09:26:57 | 日記
 スウェーデン政府が「核のゴミ」の最終処分場の建設計画を承認した。フィンランドにつぎ世界2例目である。気候・環境相が「(最終処分場の)決断をせずに、廃棄物をタンクにため続けるのが無責任。電力供給を支える長期的な条件でもある。」と。先例のフィンランドの施設がTVで紹介されたことがあるが地下深くに坑道を掘って埋める。これくらいやらないとダメかなと思う。大臣の意見は至極真っ当である。
 日本はどうか。候補地の調査に手を挙げる自治体が僅かにあるがその後調査に18年程度かかり、決定しても施設建設に10年程度はかかると言われている。この間にも住民の反対運動は続くだろう。気の遠くなるほどの長期計画では自分の任期の間は黙っていても何とか過ぎるだろうと
地元選出議員は旗幟を鮮明にはしない。それより前に敷地内の保管場所が溢れニッチもサッチモ行かなくなり選択肢も無くなって強権で候補地が決められてしまうのだろう。昔通勤の満員電車で足が床から浮き上がる程混み合っていた時、隣のサラリーマンが、何とかならないものかと呟いた。無理ですよ、一人や二人零れ落ちてしまうまでは便数は増えませんよ。便数を増やしても客数は変わりませんからと返しておいた。
 この件ばかりは政治家のダンマリは無責任だろう。また常に後出しジャンケンしかやらない人も同じ罪だ。少なくとも不安定な再エネ電源より安定供給とゼロエミッションのために原発は必要と言っている(認めている)議員さん。次の選挙で全員地元を処分場候補(調査)に立候補させるという公約が欲しい。切羽詰まって有無を言わせぬ(言えない)ようになってからの選択だけは御免蒙りたい。社説でコメントも欲しいところだ。

何故これほどまで拡大

2022-01-28 09:53:45 | 日記
 オミクロン株感染拡大のスピードが驚異的である。特に最近は芸能人の感染者が目立ってきた。彼らは喋ることが商売でありそういう場面に出くわす機会も多いだろう。TV番組などでは仕切り板が常識になっている。板子1枚下は地獄ならぬアクリル1枚隣は地獄状態で大丈夫かなあと思ってしまう。諭吉1枚無い地獄は別問題だ。
 拡大は全国津々浦々にとはこのことだ。アベノミクスの果実やアベノマスクは全国津々浦々にが懐かしい。ウィルスは比較的感染者の少なかった地域にも例外なく侵攻している。初期では対策も試行錯誤だったが今では誰もがマスク、手洗い、3密回避などの対策をしている。ウィルスの伝播経路にどこか見落としがあるのではないだろうか。動物が媒介する訳でもなく人から人への伝染だからそろそろルートの特定ができてもよさそなものだが。それともその辺の空気に長時間漂っているのだろうか。それなら科学的に再現できている筈だが。殆どの人はもうどう対策すれば良いのか分からない状態である。感染しても自覚症状が現れない人は何が違うのか。対策がとれない幼児は果たして無事なのか。それとも幼児は自覚症状が出ないだけで媒体になっているのだろうか。疫学調査を広範囲にやってみる必要があるのではないだろうか。隠れ家が何処かにある筈である。
 楽しみはMLBの開幕で大谷選手の活躍がまた見れるのではという期待である。殺伐とした事件がコロナニュースの合間を埋めるのではなく日本全体が待ち望んでいるのではないだろうか。個人的には格闘技ファンとしては那須川天心と武尊の一戦である。自ら掴み取るような明るいニュースはないだろうが受け身でも良い。先に何かないと。確定申告の季節がやってきた。毎年臨時収入がある訳ではなく保険貧乏故の還付である。諭吉1枚でもちょっと得した気分になる。今年は家内の入院などで医療控除が多少あるだろう。医療控除など受けなくて済む方が幸せだろうが起こってしまったことは仕方ない。マイナスを少しでも補えたら消極的幸せを感じることができる。目指すべきは喫水線、プラマイゼロの世界である。欲の深い者は、欲のために目がくらんで損を招きやすく、結局無欲と同じ結果になる。大欲は無欲に似たりの2番目の意味である。

口上

2022-01-27 09:04:20 | 日記
 御嶽海が大関に昇進した。このところ相撲人気に翳りが見受けられたがお目出度いことである。御嶽海は強い時は滅法強いが肝心の所で負けるということを繰返していた。大関候補と言われて長いがこれで次の目標ははっきり固まった。頑張って貰いたい。
 注目を浴びたのは大関伝達式での口上である。「大関の地位を汚さぬよう、感謝の気持ちを大切にし、自分の持ち味を生かし、相撲道にまい進してまいります。」実に素直に気持ちを表しているのではないだろうか。横綱や大関推挙の伝達式で難しい4文字熟語で応えることがちょっとしたブームとなりマスコミも囃し立てた頃がある。代表的なのがあの兄弟横綱だろう。今は道を外れて、いや離れてタレントで活躍しているのだが。当時は辞書を引かないと意味が分からず、成程位を極める者は言う事からして違うなと感心していたが我が身を振り返るとマスコミに踊らされていたことが分る。口上を述べる方は皆30歳前後、右も左も分からない若者である。もし自分がその頃、サラリーマン道に邁進するなどと言っていたら周りはドン引きしていただろう。勿論一意専心、不惜身命、堅忍不抜とか万里一空などは広辞苑片手に舌を噛むのが関の山だったろう。背伸びをしたい気持ちも分からぬではないが長く記録や記憶に留まる場面である。親方襲名の口上にとって置くべきだろう。
 若い頃に天辺に立つとその後の長い人生大変だろう。サラリーマン道はどうだったか?これといった登るべき高い山もなく、道が終わった今も時々小石に躓くことはあっても山など何処にも見えてはいない。ただ黙々と平原を歩んでいる。山が無いから落ちるかも知れない深い谷もない。凡人の歩いてきた道はまた「平々凡々」である。30歳のころ心意気を聞かれてこの熟語を使っていたらそれも引かれてしまっただろうが。