太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

オレオレ詐欺

2015-08-31 09:55:23 | 日記

昨晩、金など無い我が家にもオレオレ詐欺の電話が掛ってきた。家内に言わせると相手は違うが2回目だとのこと。家内が電話を取ると「シュウだけど朝から喉の調子が悪くって」と始まったとのこと。咄嗟に家内が「家にはシュウという名前の子供は居ない」と言うとちょっと間を置いて電話が切られたとのこと。直後に「しまった、お父さんにシュウから電話、と言って代わって貰えばよかった。」と、もう遅い。最近、市の広報車が我が町にも詐欺電話があるから気をつけてと街宣しているのでもし掛ってきたら電話代わってくれ、暫く話を続けてみたいと言ってあったのに。もし詐欺電話ならずいぶん杜撰なやり方である。下調べ間違いかも知れないが固有名詞から始めるとは。最も我が家では自分を「俺」と呼ぶのは私だけだから「俺」も通用しないのだが。退役後、家の固定電話に出ることが結構あるが相手は悲惨である。

別の日【保険のカタログを送りたいのですがご主人ですか?】(そうだが)【住所の確認をしたいのですが】(電話を掛けてきたなら分かっているでしょう)【間違いがあるといけませんので】(カタログを間違って送付すると経費の無駄?)【そうではなく電話帳から電話差上げていますので××で宜しいですか】(いいよ)【ところで今病院に掛ったり薬を飲んだりしていますか】(何でそれ聞くの)【カタログが2種類ありますので間違うと】(両方送ればいいじゃないの、経費の無駄?)【いえそういうわけでは】(そもそも初めての人に個人情報を聴くというのは失礼では?)【すみません・・・・】(電話の相手を間違っている、こちらは暇で寂しいから電話を待っている、あなたのような若い人と話せて光栄です。でも世の中、些細な事にもクレーマーは食いつくから気をつけて)【プツン・・。】結局1週間経ってもカタログは来ない。多分私はこの勧誘会社のブラックリストに載った。

別の日【××結婚相談所ですが、お宅に結婚を控えた年頃のお子さんいらっしゃいますか、カタログお送りしたいのですが】(控えた年頃とは何時を指すのか分からないが子供は居るが)【お父さんでいらっしゃいますか】(子供が居るがと答える人は父以外は母しかいないが私は母ではない)【失礼しました。お子さんには周りや職場に良い人はいますか】(親でも聞きにくいことを良く聞くもんだがそれがプライバシーの類に該当しないというなら聞いて見るが)ちょっと間があり【プツン】これも2週間くらい経つがカタログは来ない。

別の日【×××】と若い女の人の長い商品説明がよどみなく続く。30~40秒くらいの間、こちらは一言も発せず聴く。【もしもし聞こえていらっしゃますか】(ええっ、テープかと思った)【プツン】

別の日【500円でマンションのオーナーになれる案内をしているのですが】(それが本当だったら私なら他人に言わずに自分でやるが)【いえいえ多くの人にこの幸運をと思い、本当は投資勧誘ですが】(正直で良いが、昨日親父の倒産で借金を背負い、私は車の盗難に会い、息子は交通事故を起こしその賠償、おまけに家が火事で半焼したのに投資話?)【プツン】

若い人が上司か親分の命令で電話を掛けており、彼らがそれを生業としていると思うと少し意地悪だが世間にはこのような厄介な相手が出た時もマニュアル作っておかないと団塊世代はうるさいよ。

本当に待っているのは裁判員制度にあたらないかと。2000年頃アメリカ映画で「12人の怒れる男」が面白かったし、高校時代の悪友が高裁の判事を最後に退官したが彼の仕事も垣間見てみたい。裁判官だった彼とは奇遇がある。高校時代は毎日のようにつるんで遊んでいた。大学は同じだったが彼は文系で法学部に、大学は学園紛争の真っただ中で唯物論やらマルクスについて何時も私が負ける議論を吹っかけていた。彼は学生時代に一発で司法試験に合格し、判事補として各地を転々、一時期は任地が私が住んでいた所となり、私のアパートに1カ月くらい転がり込んできた。サラリーマンになり立ての頃だったがアパートに帰ると何時も彼が待っていた(勿論食事の用意や掃除をするわけではない)。ただ司法修習生時代に電車の運転をしたとか死体の解剖をしたとかの話は面白かった。休みも外出しないので、何で?と聞くと、町で被告人とか関係者と顔を合わすと不味いとのこと。少々煩わしさが鼻につく頃彼は別の任地へ。それから暫く疎遠になったが、彼の結婚式に招待され、家内と出向くと家内がお嫁さんのお母さんは私の小学校の担任で、妹さんは私の同級生と言いだす。全く別のところで知り合い結婚の時期も違うのに何たる奇遇。其れから正月など家内の実家に行くと、小さな町のこと、彼も奥さんの実家に来ていることがあり町では先生呼ばわり、私は名もなきサラリーマン。彼と気が合ったのは彼の判決の多くが違憲判決であり徹底した反骨精神の持ち主であったことだろうか。それでも大きな高裁の判事まで行ったのは大したものである。裁判員制度で当たりたいのは他人の仕事を経験することなど思っても出来ないことであり、「先生」と一介のサラリーマンの比較ができるチャンスでもある。自分の能力の有無は分からないが時間だけはある。

 


正義とは

2015-08-29 13:40:41 | 社会観察

TVでも人気を集めた白熱教室、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授自身により「これからの『正義』の話をしよう(邦訳)」とういうタイトル本が出版されている。中々面白いTV番組だったので視ていたため古本屋でこれを見つけた時思わず買ってしまった。本の内容は難解ではあるが、教授は身近な誰もが知っている多くの事例を引き合いの出し、可能な限りの理解を求めている。ナチスや先住民問題のオーストラリア、第一次安部内閣の慰安婦問題対応まで引き合いに出し、謝罪っと補償を「先祖の罪を償うべきか」で論じ、自由と正義の問題に真っ向勝負している。最終章では正義と共通善について結論を述べる。アリストテレスからカント、近代米国の哲学者の主張を評し(中国の思想家が引き合いに無いのが不思議だが)、自らのコミュタリアンとしての立場を鮮明にすそが、多くの論旨は道徳との対比がなされている。教授の広大無辺な知識と洞察に驚嘆した感想文を書くつもりはないが、政治哲学として日本の政治家にも読んで貰いたい気は募る。安保法案に対する理解の仕方も深まり、国民の幸福とは何かとかも。GNPが政治の評価基準と思ったり、化粧に気を配ったり、デモを罵倒する一方で株に絡む余裕がある若い政治家が居るなら是非とも一読をお勧めする。私が生き方として「正義」に拘る理由は多分に努めていた会社が「正しいことを正しくやる」とか「個人と会社(コミュニティ)の関係」とか何故働くのかを懸命に説いてきた創業者の教えが少なからず影響しているのかも知れない。それは子供心に刷り込まれた正直が一番大事と言っていた田舎出の単純な母か、人の為とか義理を優先した(家庭も顧みず)没落武家の末裔だった父に影響された可能性もある。何れにせよ、 これまで判断基準として都度「正義」をよりどころにしてきた(と思う)自分の「正義」に対する考えの甘さ、狭さ、浅さを考えさせる本となったことは確かである。定価2300円を100円で買ったが蔵書にして何度も読み返す価値はある。雨の度に(読書で)多少知恵が深まるのは退役勤人の役得か。


親指の想い出

2015-08-26 08:55:56 | 思い出話

私の右手の親指は日常生活に支障は全くないが形が少し太めに変形し、爪は縦皺が入りでこぼこである。敢えて言うならボーリングの時親指の穴を合わせるとボールが重過ぎるし、適度な重さだと指が抜け難くなったことくらいか。この変形は多分2、3歳だったろう、母親がご飯茶椀を少し大きめに変えたと言ったので「どんな模様なんだろう」と思い糸底に小指を掛けて目の高さまで上げた時、焚きたてのご飯がそのまま親指の上に乗ったのと母親が危ないと言ったのは同時だった。まだ手も小さく柔らかい指はそのまま火傷をしてしまった。母親は水で冷やしたり口で吹いたりしながら「ご飯は熱いから危ないと言ったろう」とブツブツと言っていた。その後包帯を巻いた指が痛いと言う度に母親は私をおんぶした記憶があるから多分2,3歳だったと思う。それから20年余が過ぎ、入院している母の見舞いに行きリンゴを摩りおろす私の手を見て突然「その指形へんやなあ」と言うので子供の頃の話をすると「ごめんなあ」と言った。私は自分の好奇心で起こしたことで謝られる意味が分からなかった。若いころ小児科の看護婦(師)をやっていた母は既に自分の病名も分かっていただろうし全身の激痛に耐えていた頃である。後に姉にそのことを話すと「あんたは男の子だというだけで可愛がられた。私らが苦労している時もあんただけは別やった。」と言う。過保護にするほど余裕など無かったはずだが、今思うと男尊女卑がまだ残る百姓の5人兄弟の二女として周りからこれと言った期待もされず育った母には男の子は授かりものというより預かり者という気持ちがずっとあったのだろう。つい先日、外出した時横着に後ろ向きで手を添えて車のドアを閉めようとした時突風でドアが閉まり左手の親指を千切れるほどの勢いで挟んでしまった。痛っと指を見ると見る見る内に爪全体の下がマニュキュアをしたように真っ赤になった。あまりの痛さに何故か冷やそうと思い近くの水道で冷やしたら痛みは大分収まった。幸い爪が割れるでもなく、外傷があるわけでもなくタダ爪が赤くなった。病院に行くと大仰に爪を剥がされるのではと思いつつ痛みも和らいできたので様子を見ることにした。2,3日すると内出血は赤からどす黒く変色してきた。押してみると爪の根元からこのどす黒い血がブシュッと水滴のように出てくる。2,3日するとまた出てきて1週間くらい繰り返すと爪の下の地肌が少し見えるようになり、先のほうから固まった血が粉のように出てきたので治った、と思った。2週間くらい経つと爪の下が白濁してきた。どうも爪は地肌に張り付くより浮いてきたようである。浮いたところを少しづつ爪切りで切り落として行くとその下には角質化した爪らしきものがある。爪はスルスルと下の方から生えてくるものと思っていたが爪の下の肌が角質化して面として爪になるようである。今は9割方古い爪が無くなり、9割のうち7割くらいが角質化した幼い爪らしきものに覆われている。新しい爪はやはり縦皺ででこぼこになっている。これでやっと左右対称の本来になりそうである。

小指の想い出と親指の想い出はこれほど違うものと思い知った。


株大暴落

2015-08-25 09:10:31 | 社会観察

株を持っているわけではないので直接的に損得は無いのだが昨日、日経平均が895円、ダウも588ドル下げた。早速知り合いから「何が起こるか(起こすか)分からない中国市場頼りのツケが回ってきた。」とコメントメール来たが、事実でありかつ頼らざるを得なかったことも事実だろう。何故、中国では個人投資家が多いのか。20年くらい前中国人の社員と一緒に仕事をしたことがある。彼と一緒に出張に出たとき、上海株の動きをチェックするので、聞くと「中国では少し金に余裕が出来ても欲しいものは売っていないし、旅行とかも日本のようにツアーが商品化されていないので行くところも無い。皆金の使い道が無く手軽な株をやる。」と言っていた。多分今までにこうした連中の中から結構稼いだ者が出てきて話題となり個人投資家参入に拍車を掛けたのではと思う。経済が右肩上がりに成長しているときは当然株も連動するだろうが一旦踊り場や安定期(成長の飽和)に入ると株は全く別の要因で動き出すようだ。株が上昇している時、政治家は施策の反映として自慢するが、下がると個別市場のことにコメントすることは差し控えると言い、年内は2500円とか27000円とか予測していたアナリストは沈黙。「想定外」と言うつもりか、ちょっとずるいではないか。日本では個人消費が伸びないと嘆いているが、何故伸びないのかまでは踏み込まない。小人的には「今絶対これが欲しいとか、あそこに行ってみたい。」というものがもう無いのである。さらに、身近では高級な肉よりも旬の廉価な魚の方を選び、服は破れてもいないものを捨てる気にはなれない。仕方なく消費(浪費)するであろうものは今後控えている介護費くらいだろうか。若いときと今ではエネルギー消費も違っている。車で遠出などしないしちょっと動くのも厄介、節電は習慣となっている。老熟社会が伸び盛りの若い人(国)に期待するところも無理からぬ話ではないか。世界がグローバル化したと言って同一視することは間違いと思う。ただ一点同一なのは成長から成熟そして死へ向かう道筋上に居ると言うことである。今どのあたりに居るかは国、地域、コミュニティ、家庭、個人によっても異なる。何を書いているのかだんだん分からなくなってきたが、結局は良い時も悪い時も公平に発言し、その発言に責任を持つと言うこと。委員会の先生方、名士と思われている経営者、学者、権力者の方々、我々庶民を欺こうとする粗雑な仕掛けは止めて頂きたい。お里は既に知られています。


NHK日曜討論

2015-08-24 09:39:24 | 社会観察

8月23日の日曜討論を見た。内容が原発と再エネ問題という興味を惹くものであったし、何より司会も解説委員の島田敏夫氏の「仕切り」が痛快である。個人的には池上彰より優れていると思う。特徴は権力に媚び諂うところがない、反権力に簡単には同調しないという点である。以前NHKスペシャルで安全保障の討論会を仕切ったときも与党にも鋭く切り込む、あるいはズバッと切り捨てて進行させる手腕は大したものである。良く言えば本当に中立的、悪く言えば人の意を介さない冷酷(鈍感と映るかも)さが魅力でもある。討論は脱原発が3人、推進が2人というアレッと思うバランス、しかも推進派の一人が橘川(現理科大)教授、教授自身がちょっと愚痴っぽく「何故こちらの席にきたのか」というくらいでもう一人の推進派は美人でディベートには強そうだが世間には疎いシンクタンクの研究員。口癖は「2つの問題を混同すると話がわからなくなる。」そうでは無いでしょう。世間に起こる問題は必ず関連がある、国の各種委員会経過はよく勉強しているようで、コスト検証委ではこうだったとかいろいろ持ちだす。これら委員会は全て関連しており、分断して議論するところが権力の巧妙さであり強いところである。美人だから許すけど最終的には「国民負担」と「調整電源」を持ちだしたところは劣化したマスコミ並み。脱派も従来主張多く、討論にはなり得なかった。何故誰も買取期間終了後(システム)の発電原価に踏み込まぬ。既設原発を動かすことはある程度償却が終わっており原発が安い根拠になっている、と推進派が言うことと全く同じ土俵である。ちょっと内容的には白熱教室とはならなかったが、この種対立構成で討論を構成する場合「微熱」に収まるのは良いことかも知れない。エネルギー問題に二者択一的結論はないだろうし、そのようなドラスティックな選択に迫られる時は不幸である。これを見過ごすと駄目だとか許されないと批判されるかも知れないが平熱にはならない微熱だけは持ち続けて社会観察を続ける。