昨晩、金など無い我が家にもオレオレ詐欺の電話が掛ってきた。家内に言わせると相手は違うが2回目だとのこと。家内が電話を取ると「シュウだけど朝から喉の調子が悪くって」と始まったとのこと。咄嗟に家内が「家にはシュウという名前の子供は居ない」と言うとちょっと間を置いて電話が切られたとのこと。直後に「しまった、お父さんにシュウから電話、と言って代わって貰えばよかった。」と、もう遅い。最近、市の広報車が我が町にも詐欺電話があるから気をつけてと街宣しているのでもし掛ってきたら電話代わってくれ、暫く話を続けてみたいと言ってあったのに。もし詐欺電話ならずいぶん杜撰なやり方である。下調べ間違いかも知れないが固有名詞から始めるとは。最も我が家では自分を「俺」と呼ぶのは私だけだから「俺」も通用しないのだが。退役後、家の固定電話に出ることが結構あるが相手は悲惨である。
別の日【保険のカタログを送りたいのですがご主人ですか?】(そうだが)【住所の確認をしたいのですが】(電話を掛けてきたなら分かっているでしょう)【間違いがあるといけませんので】(カタログを間違って送付すると経費の無駄?)【そうではなく電話帳から電話差上げていますので××で宜しいですか】(いいよ)【ところで今病院に掛ったり薬を飲んだりしていますか】(何でそれ聞くの)【カタログが2種類ありますので間違うと】(両方送ればいいじゃないの、経費の無駄?)【いえそういうわけでは】(そもそも初めての人に個人情報を聴くというのは失礼では?)【すみません・・・・】(電話の相手を間違っている、こちらは暇で寂しいから電話を待っている、あなたのような若い人と話せて光栄です。でも世の中、些細な事にもクレーマーは食いつくから気をつけて)【プツン・・。】結局1週間経ってもカタログは来ない。多分私はこの勧誘会社のブラックリストに載った。
別の日【××結婚相談所ですが、お宅に結婚を控えた年頃のお子さんいらっしゃいますか、カタログお送りしたいのですが】(控えた年頃とは何時を指すのか分からないが子供は居るが)【お父さんでいらっしゃいますか】(子供が居るがと答える人は父以外は母しかいないが私は母ではない)【失礼しました。お子さんには周りや職場に良い人はいますか】(親でも聞きにくいことを良く聞くもんだがそれがプライバシーの類に該当しないというなら聞いて見るが)ちょっと間があり【プツン】これも2週間くらい経つがカタログは来ない。
別の日【×××】と若い女の人の長い商品説明がよどみなく続く。30~40秒くらいの間、こちらは一言も発せず聴く。【もしもし聞こえていらっしゃますか】(ええっ、テープかと思った)【プツン】
別の日【500円でマンションのオーナーになれる案内をしているのですが】(それが本当だったら私なら他人に言わずに自分でやるが)【いえいえ多くの人にこの幸運をと思い、本当は投資勧誘ですが】(正直で良いが、昨日親父の倒産で借金を背負い、私は車の盗難に会い、息子は交通事故を起こしその賠償、おまけに家が火事で半焼したのに投資話?)【プツン】
若い人が上司か親分の命令で電話を掛けており、彼らがそれを生業としていると思うと少し意地悪だが世間にはこのような厄介な相手が出た時もマニュアル作っておかないと団塊世代はうるさいよ。
本当に待っているのは裁判員制度にあたらないかと。2000年頃アメリカ映画で「12人の怒れる男」が面白かったし、高校時代の悪友が高裁の判事を最後に退官したが彼の仕事も垣間見てみたい。裁判官だった彼とは奇遇がある。高校時代は毎日のようにつるんで遊んでいた。大学は同じだったが彼は文系で法学部に、大学は学園紛争の真っただ中で唯物論やらマルクスについて何時も私が負ける議論を吹っかけていた。彼は学生時代に一発で司法試験に合格し、判事補として各地を転々、一時期は任地が私が住んでいた所となり、私のアパートに1カ月くらい転がり込んできた。サラリーマンになり立ての頃だったがアパートに帰ると何時も彼が待っていた(勿論食事の用意や掃除をするわけではない)。ただ司法修習生時代に電車の運転をしたとか死体の解剖をしたとかの話は面白かった。休みも外出しないので、何で?と聞くと、町で被告人とか関係者と顔を合わすと不味いとのこと。少々煩わしさが鼻につく頃彼は別の任地へ。それから暫く疎遠になったが、彼の結婚式に招待され、家内と出向くと家内がお嫁さんのお母さんは私の小学校の担任で、妹さんは私の同級生と言いだす。全く別のところで知り合い結婚の時期も違うのに何たる奇遇。其れから正月など家内の実家に行くと、小さな町のこと、彼も奥さんの実家に来ていることがあり町では先生呼ばわり、私は名もなきサラリーマン。彼と気が合ったのは彼の判決の多くが違憲判決であり徹底した反骨精神の持ち主であったことだろうか。それでも大きな高裁の判事まで行ったのは大したものである。裁判員制度で当たりたいのは他人の仕事を経験することなど思っても出来ないことであり、「先生」と一介のサラリーマンの比較ができるチャンスでもある。自分の能力の有無は分からないが時間だけはある。