伊東家のデスク

オタクの備忘録など

10月末のあれこれで

2018-10-31 22:47:58 | 雑文

・「SSSS.GRIDMAN」はなるほどよくできているが、私の趣味からはだいぶ外れている。というより、私が古い人間というだけなのだが。そのため、見ていると寂しくてつらい。しかし評価すれば、よくできている、となる。この差が大きいほど、つらさも大きくなる。
 元が古い特撮作品なのだが、それを現代のアニメでどう否定的にならず表現するか。ここを間違えなければ上質な作品であり続けられるだろう。今のところ、この点に関して、特にアクション面では不満はないかな。怪獣の動かし方はもう少し昔に寄せても問題ないと思うが、どうか。

・「ジョジョ」楽しいけど原作の時点でとても楽しんでいるので今更あれこれ言う必要はないかな。こういうものに関しては、動かしてくれてありがとう、と両手を合わせて拝んで、あとは原作を読んだ時の記憶をよみがえらせるだけでいい。それで充分勝てる。

・「からくりサーカス」には注意しなければならない。私は原作をあまり高く評価していない。というのも、最終章が今までを台無しにするレベルのがっかり仕様だったのよね。「うしおととら」は各キャラの決戦をあれだけ見事に描けていたのに、なんで、どうして…と悲しくなってしまう。あそこまでちょこちょこいじりつつ、今度こそ完成形を見せていただきたい。
 あと、キャストが脳内キャストとだいたい同じだったのにはついガッツポーズをしてしまった。

・今期は古い作品のアニメ化しか見てないぞちっくしょう。やはり私は古い人間だ。

・「デュエル・マスターズ!」は主題歌が変わって、これがまぁグッとくるほど盛り上がる。ストーリーはこのまま一気にシリアス路線に行くのだろうか。ジョー君、デッキーからも兄貴分たちからもジョーカーズからも割かし過保護にされているので、押し潰されて全体が鬱展開っぽくなりそうで怖い。ジョニー帰ってくればまぁ違うかな……?
 メッサー・シュミットは中々にかっこいいのだが、実際の能力は、まぁ、スプリガンサポートが出ればなぁと思う。
 あと、でんでんの変態がとても良かった。いいマッチョである。

・「黒魔女さんが通る!!」と「若おかみは小学生!」を読んでいる。どちらも大変面白い。こういうとなんなのだが、児童文学なので肝心なところはしっかりお上品で安心できるよね。

・ふと気になったのだが、アルセーヌ・ルパンのイメージが統一されたのはいったいどのあたりなのだろう。私などは初期のルパンを読んで、若く意外と間の抜けた男であることに驚いたのだが、さて、大怪盗はどこで大衆の大怪盗なりえたのか。

・「ルパン三世」2ndの「ターゲットは555M」が好きで何度も見てしまう。お気に入りはルパンのために命をかける五ェ門でも、困難な任務をジョーク混じりに成し遂げた次元でもなく、楽しそうに獲物を盗むルパンの姿だったりする。
 あと、パート4の「もう一度、君の歌声」も繰り返し見るな。ルパンの車好きがよく分かるから。

・「ゆるキャン△」なでしこは本当に甘え方がうまい。自分が愛されていると分かっているあたりがとても愛らしい。

・「宝石の国」9巻、フォスにかけられた呪いがいよいよ深刻になっていて面白い。

10月半ばにあれこれ

2018-10-14 22:37:36 | 雑文

 今期は思ったよりもアニメ見ていない。アマゾンプライムで過去作漁るのが楽しくてねぇ。
 リアルの流れを追うことも大切だとは思うのだが、ね。
 そんな状況であれこれと。

・「ロックマン11」をクリアした。もうちょっとステージを多くするなり色々やれることを増やしても良かった気がする。
 内容そのものは特殊武器含め諸々満足かな。新世代のロックマン1といったところか。

・「スパイダーマン」もクリア。これはコミック読んだりしてスパイダーマン知っている人の方が楽しめるよね。知っていればピーターがどれだけ曇らせられるか分かる仕組みだから。

・「蒼青のミラージュ」はある事件を複数の視点から描いて謎を浮かび上がらせる方式で来たか。
 今のところ中々によくやっているのではないか。振り回され気味のクラウゼヴィッツが実に面白い。
 ブリュッヒャーはこちらでも愛らしく何より。

・「特捜部Qキジ殺し」、前作に続いて面白い。絶望を抱えて歩き続けるキミーが復讐完遂で持っていきかけるのだが、食らいついて食らいついての特捜部の良さは健在。

・「銀河旋風ブライガー」、キャラの掛け合いが全てとは言わないが、これがあるからこその一本ではあろう。なければつらい所も少なからずあるので。

・「伝説の勇者ダ・ガーン」、オーボス軍が強いのでどうしても前後作の勇者よりダ・ガーンたちが弱く感じられてしまう。この辺残念と言えるかもしれないが、「それほどまでにオーボス軍は、もう、ヤバいぐらい強大なのだ」という演出の方が強く出ている。

・「SDガンダムフォース」は本当に名作で、もう少し認知度と評価が上がってはくれないものかと常々思っていたのだが、実はもうかなり達成されているのかな。
 今は序盤を見ている。何度見ても思うのだが、序盤も楽しいっちゃ楽しいんだよ。

・「ケータイ捜査官7」も名作だと信じて疑わない。オープニングが大好きでねぇ。

・「アベンジャーズ インフィニティ・ウォー」で余裕をもって消えたドクターストレンジなのだが、はて現状どこまでが彼の見た勝ち筋なのだろうか。勿論、フューリーがキャプテン・マーベルに連絡をとる、は間違いなく必須だったであろう。アントマンはどうだろう。あの空間で正解なのか。ピム博士たちが消えたのは間違いではないのか。アイアンマンが置いてきぼりなのだが、あれはいいのか。

・「死霊のはらわたR」はニヤニヤする。演出も小道具も過去作の正統進化系。ちゃんと見たいものを見せてくれているのだ。このあたりの職人芸と、変なことをやらない新鮮味のなさが実にB級で素晴らしい。

・なんとなく「ハピレス」をちらっとだけ見ていた。面白くはない。ないのだが、あの時代の空気を感じられるあたりが気に入っている。嫌な楽しみ方だ。

・おかげさまで「紅の豚」の地位が私の中で格段に上がってしまっている。最初のポルコとジーナの会話とか、映画館でのフェラーリンとのやりとりとか、色々なものが心底突き刺さるようになった。

・そんな状況下での、例の「シスプリ」のニュースが飛び込んできて、ね。まぁ、私もちょっと泣いちゃった。

収集と組み立て式遊戯とオタクの傾向について

2018-10-07 23:29:47 | 雑文
 本稿は私のゲームに対する苦手意識、玩具などの収集=コレクションに関する執着の無さなどの諸問題について一つの解答を与えるべく考察されている。あくまで私個人の分析が第一に立つのであり、これをもって一般論とするつもりは毛頭ないので、そのあたりご了解いただきたい。

 オタクという存在が認知されるようになってかなりの年月が経った。この言葉の持つ意味は90年代あたりと比べると、もはや全くの別物になっていると考えていいだろう。また、文化が成熟すれば多様性が許容されるので、オタクの内実は分化していくことになる。そのため、各個人のスタンスの明示は必須であろう。
 私にとってオタクとはキャラクターへの偏愛、物語への執着からなる理解・分解・再構築――といった具合に、まずもって一つのストーリーやキャラクターがあり、それに対する態度で定義されるものである。
 つまり、本質的には物品のコレクションや遊戯における操作の快楽とは無関係であるのだ。これらは別の方向から定義しなければならない。
 思えば、私の混乱はここに起因している。全く別々の嗜好が同じ言葉の中で処理されていたのだ。もっとも、これらは両立不可能というわけではない。多くのオタクはしっかり兼ね備えているだろう。
 では、なぜ私は苦手なのか?

 少し話はそれるが、私はジグソーパズルが大の苦手である。面倒くさいというのもあるが、なぜ完成されていたはずの絵をチマチマ規定通りにピースを組み込んで作らなければならないのか、私にはこれがうまく処理できないのだ。
 つまり、私は未完成のものを要求される動作でもって完成させるという作業が苦手なのである。組み立て式遊戯がダメダメなのだ。とりあえず、この作業要求を「組み立て義務」としておこう。
 プラモデルもこれが主な理由でダメだし、「n種類でコンプリート!」という文句も全く惹かれない。最初から完成されたものをおくれ、揃ったものをおくれ、というわけだ。なんともありがたみのない消費者である。キャラクター収集ゲームも全くダメで、欲しい子が揃ったらそれでいい。名簿をうめるつもりは毛頭ないですよ、となる。
 私が収集において力を入れられるのは、完成系の提示されていないコレクションである。本棚に全く別のジャンルの本をざっと並べるとか。野田昌宏などこの方向の究極であろう。(だからか、私にとってはオタ向けの各ショップより、その辺の図書館とか本屋の方が遥かに魅力的である)
 また、収集の対象が物語のピースであった場合も力が入る。ノベル形式ギャルゲーの既読率はまぁ埋めるよね、ゲームブックは一冊必ず制覇するよね、アニメは全話見るよね、となる。物語の欠けは絶対に許されないのだ。物語のピースを埋めるという行為を「未完成のものを要求される動作でもって完成させる」と定めるべきではないだろう。この行為は「完成されたものをどの順番で見るか」というだけのものに過ぎない。物語は既に完成されており、分解されていないからだ。ここに組み立て義務は発生しない。
 ここで、少し捻ったパターンに対する私の態度を示してこう。
 プラモデルがダメといった。完成系をただ持つならともかく、正直なところガンプラで腕をつけることさえ私には苦手意識がある。ところが、ミキシングビルド的な作業にはかなり惹かれるものがある。大抵がゲテモノを考えるのだがな。戦車に腕をくっつけたりとか。(思えば、私がガンタンク好きなのは、あのヘンテコさが規定ラインから外れたものに見えるからかもしれない)
 このような、主体性をもって、異なるものを繋げることで生ずる組み立て義務については苦手意識は薄いかもしれない。というより、この作業には組み立て義務が生じないとさえ判断できる。
 この組み立て義務に対する態度こそが、私がゲームを苦手とする・収集に対する執着心の無さの最大の理由の一つではないか。規定的パズルが私の嗜好から外れており、そして、多くのゲームや収集はそのパズルを利用することで成り立っているのである。パズルの快楽が分からなければ、ここの魅力を見出すのは難しい。一方で、異なるものを繋げるパズルならばきっと私も楽しくやれるだろうが、それは異なるがゆえに規定的ではないのであり、組み立て義務がほとんど発生しないことが肝である。

 このような態度は、言ってしまえば自分勝手ともとれるだろう。それは否定しない。そうであることなしに私のオタクたる精神は満足を得ない。無論、溺れるのはごめんだが。
 なぜこのような態度を私は続けられたのだろうか。また、抜け出せなくなったのか。こちらについてはいまひとつ分からないのだが、もしかしたらオタクがまだアンダーグラウンド的地位にあった頃の、アウトロー芸に未だ固執しているのかもしれない。それはそれでみじめだ。
 いずれにせよ、この「組み立て」という観点から、私は自身の問題についてしばらく考察を続けようと思う。今まで色々考えてきたことではあるのだが、今回はいいところまで行けそうだ。