石の宝殿の伝承がない理由とは
石切り場の工人たちの多くは、蘇我氏の命令であったとしても、単に中央からの命令として、黙々と作業を続けるだけで「何を何のためにつくっていること」など考えなかったのでしょう。
当時、竜山では、この大石の製作だけではなく、多くの石棺を命ぜられるままにつくり、その多くは大和地方にも運ばれていました。
その延長で、石工は命じられるままに作業を進めていただけかもしれません。
「中央の政治上の都合で石の宝殿の工事が中止と決まっても、それについて深く考えなかった」と想像するのです。
中止になった理由を考えてしまいますが、当時の工人は案外製造の理由なんてどうでもよいことであったのかもしれません。
そう考えると、「伝承がない」ことも納得できます。
「石の宝殿」は、
永遠に語り継がれる謎(ロマン)
確実な伝承もないままに、「石の宝殿」は打ち捨てられたままに残されました。
時は過ぎます。
伝承がないだけに、よけいに人々は石の宝殿に「不思議さ」を感じたのではないでしょうか。
後の人は「こんなでっかい石塊は、人が作ることは不可能である。きっと神様がつくられたものであろう」と考えたのかもしれません。
記録によれば、平安時代にはこの「石の宝殿(大石)」は神となり、社殿「生石神社」が作られたようです。
歴史学者・真壁ご夫妻は、この不思議な石の宝殿を学問的に研究されています。
『石の宝殿‐古代史の謎を解く』(神戸新聞総合出版センター)で詳細を述べておられます。
詳しくは、その著書をお読みください。
でも、まだ「誰が・何のため」につくられたのかには、確実なことはわっかっていないようです。
「石の宝殿」は、おそらく永遠の謎(ロマン)として語り続けられることでしょう。(no3823)
*写真:石の宝殿「西遊旅譚(司馬江漢)」より
◇きのう(12/25)の散歩(12.466歩)