日本とオマーン交渉史(2)
志賀重昻、オマーンへ入る
志賀重昻(しがしげたか)は、大正13(1924)年 2月28 日、インド、イラン経由で日本人で初めてオマーンに入りました。
首都マスカットは、ギラギラとしタ太陽の直下にありました。
マスカットを訪れる人は、誰もが焼けつくような暑さと、人の入国を拒むようなあの峩々たる岩山に圧倒されるといいます。
国王(タイム―ル)との出会い
前号で国王と志賀の出会いを少し紹介しましたが、彼の著書『知られざる国々』から国王との話し合いに至る経緯を付け加えておきます。
・・・志賀は、ダメとは思いながら、王様に遭うために王宮に出かけました。
志賀は、衛兵に名刺を差し出しました。
しばらくして、地位のありそうな人が現れました。後でわかったのですが、その人は、市内の有名な商人でした。
彼に、片言の英語で、「私は日本人で、せっかくオマーンに来たので一度国王殿下にお会いしたい・・・」と告げました。
2・3分が経ちました。
彼は、こういうのでした。
「国王に、志賀の訪問を告げましたが、喜んで会う・・・」というのです。
さすがの志賀も話の成り行きに驚きました。
王宮に案内されました。奥まったところに普通のアラビア人よりは色の白い、髭を蓄えた人物が純白の絹布をかぶり、素足のまま悠然と西洋婦人のように座っておられたのです。
『ヒズ・マジェスティー』と紹介されました。
まさに、オマーン国王(タイム―ル王)が彼の前におられるのです。
私は敬礼すると、王は微笑むように、手招きしてソファーに坐せよ、といわれたので座りました。
王は、『(遠い日本から)よくここまで来てくれました・・・』と志賀をねぎらうのでした。
これが、オマーン人(国王)と日本人の最初の出会いの風景でした。(no3770)
*写真:オマーンの首都・マスカットの旧市街地と背後の山
◇きのう(11/2)の散歩(12.500歩 )