ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

オマーン国王夫人物語(13) 開明的なカーブース王

2017-11-10 07:38:04 | オマーン国王夫人物語

    サイード王からカーブース王へ

 今日は、すこし、「オマーン国王夫人物語(3)」の復習をします。

 ・・・前国王・サイード国王は、外国で教育を受けた知識人でした。

 が、国民に「金を与えず、教育をあたえず、外の世界をみせない」ことが権力を保つただひとつの方法だと信じていました。

 そして、自分に批判的な息子のカーブース皇太子まで軟禁状態にしてしまったのです。

 オマーン国民は次第に不満をつのらせてゆきました。

 19707月、サイード王の一人息子のカーブース皇太子はクーデターをおこし、父から王位を奪取しました。

      開明的なカーブース王

 こうして、オマーンの暗黒政治の時代は終止符を打つことになりました。

 新しく王位についたカーブースはブサイナ姫にとっては甥にあたります。

 その後、若いカーブース(現国王)は、国民の支持を得ながら、失われた時代を取り戻すべく、今全力を挙げて近代化をという課題に取り組んでおられます。

 王位を奪われた父・サイードは、その後ロンドンに亡命しましたが、2年後の1971年に病気で亡くなりました。

 

 カーブースは、父サイードの保守的な政策とは正反対開放的、進歩的な政策を打ち出しておられます。

 ブサイナ姫は、日本人にはもちろんオマーン人にとっても秘密のベールに包まれていました。

 時代は変わり、民主的になりつつとはいえオマーンは回教国です。男性の記者は、ブサイナ妃に直接会うことはできません。

 ブサイナ姫のことを知った朝日新聞社は、女性記者・下村満子さんをオマーンに派遣しました。

 幸い、オマーンの要人・ブサイナ姫の後見人であり、異母兄である元オーマン国首相のターリック殿下と連絡を取ることができ、ブサイナ姫との面会が可能となったのです。(no3778

 *写真:現国王のカーブース王

 ◇きのうの散歩:(4.476歩)‐お見舞いのため京都に出かける‐

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