熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ロバート・B・ライシュ著「余震 そして中間層がいなくなる」

2012年06月05日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   数年前に、ライシュ教授は、「暴走する資本主義」の中で、今日の資本主義をSupercapitalism超資本主義と捉えて、資本主義の暴走が、社会的正義を犠牲にして国民生活ををどんどん窮地に追い込んで、民主主義の機能麻痺を引き起こしていると警鐘を鳴らした。
   この超資本主義が勝利すればするほど、それによる社会的な影の部分、すなわち、経済格差の拡大、雇用不安の増大、地域社会の不安定や消失、環境悪化、海外における人権侵害、人々の弱みに付け込んだ様々な商品やサービスの氾濫、etc.が拡大して人々の生活環境を益々悪化させる。
   企業のCEOは、高配当や企業価値のアップなど、厳しい投資家の要求を満たすべく、激烈な競争に勝つ為に社会的な価値の向上や外部不経済の排除などを犠牲にしながら、徹底的に情け容赦なく利益至上主義を貫かなければならないのだが、
   その典型はウォルマートで、安い商品をと言う消費者の期待に応える為に、タダでさえ労働条件が劣悪の上に、益々、従業員の雇用・福祉・環境を切り詰めてコストを削減しており、更に、ウォルマートが出店すると、その地域の賃金水準を引き下げて雇用条件を悪化させて地域住民の生活水準を下げている、と、企業の経営努力が、どんどん生活環境を悪化させて螺旋孤を描きながら窮乏化へと突き進んで行く、と「超資本主義」の悲劇を説いたのである。

   今回は、その理論を敷衍して、リーマン・ショックによる世界的な大不況後の、大鉈を奮っての経済政策の実施にも拘らず、景気回復が弱々しく、その経済不況の余波である「余震」の継続は、須らく、所得と富が富裕層トップに集中して中間層が没落したことにあるとして、そのために、問題の核心は、過小な貯蓄ではなく、一国の経済が生産する財とサービスに対して需要が少なすぎることにあると説く。
   2007年に始まった大不況は、新しい経済秩序を何ら創出することなく、代わりに政府は速やかに多額の資金を投入して、十中八九大恐慌の再現となりそうだった状況を乗り切り、景気の更なる下振れを防いだ。
   しかし、オバマ大統領は、皮肉にも、より重大な問題、格差拡大という根本的で積年の課題には殆ど対策を講じなかったので、景気刺激策と金融緩和策が徐々に消えた後に、景気は続かずに息切れし、中位の所得が横ばいもしくは低下傾向を辿り多くの家計が不安定なままに置かれたこの30年間の基調が今後も続き、不平等も更に拡大し、中間層の購買力が減退して順調な経済活動が維持できなくなる。
   このギャップは、国内の富裕層にも海外の消費者にも埋められず、こうしたことの総てが、世界経済危機の余震(After Shock)であり、その結果、貿易、移民、海外投資、ウォール街、あるいは、政府自体に対する政治的な反発が起こるか、そうでなければ、現在の基調を反転させるほどの大規模な改革を行うかしかなくなる、と言うのである。

   ライシュが、大繁栄時代として肯定している第二次世界大戦後、四半世紀には、政府は、「経済の基本取引」を強化、すなわち、完全雇用を目指してケインズ政策を採用し、労働者の交渉力を強化し、社会保障を提供し、公共事業を拡大した。
   その結果、総所得のうち中間層の取り分が増える一方、高所得層への分配は減少したのだが、経済自体が順調に拡大したために、高所得者も含めてほぼ総ての国民が恩恵を受けた。
   個人消費がGDPの70%を占めるアメリカ経済では、ボリュームゾーンの中間層が健全であることが必須で、中間層が、生産に応じて適正な所得を取得して、生産した財やサービスを十分に購買可能な「経済の基本取引」が成立した経済社会であったが故に、生産と需要が均衡して繁栄したのだと言うのである。

   ところが、その後、歯車が逆転して、政府は富裕層優遇の経済政策を推進し、賃金の中央値の上昇が止まり、国民総収入のうち中間層に流れる割合は、減少し続けて、大部分のアメリカ人にとって、賃金の伸びが止まっていないかのように生活を続ける唯一の方法は、借金であり、中間層の消費者は、最後の手段として借金漬けとなった。
   現実には、どんどん所得が下がっているにも拘らず、大繁栄の時代のように同じ割合で国民所得を持ち帰っているようなつもりで同じような水準を保って消費生活を続けるために、三つの対応メカニズムが働いたという。
   それが、すなわち、女性が労働市場に進出する、誰もがより長い時間働く、貯金を取り崩して限度一杯に借り入れる、であったのだが、サブプライム、リーマン・ショックで、借金バブルがはじけた時、殆どのアメリカ人が、衝撃的な現実に目覚めたのである。
   最近、ウォール街を占拠せよ(Occupy Wall Street)と全米に大規模なデモが展開され、We are 99%とのシュプレヒコールで、1%の富豪たちが富を収奪独占していると批難の嵐が巻き起こったのだが、ライシュは、富の偏在と収奪、経済格差の拡大が如何に凄まじいかを、克明に活写している。

   ライシュの指摘する米国経済の根本的な課題は、中間層の収入を増加させ、賃金を全体の伸びとリンクさせて「経済の基本取引」を再構築することで、米国経済が生み出した財とサービスをより多く購入出来るよう、中間層の経済的利益の取り分を多くして、成長による恩恵を「大繁栄時代」に近い規模で、幅広く国内に行き渡らせることである。
   さすれば、何をなすべきか。
   ライシュは、負の所得税、炭素税の導入、富裕層の最高税率の引き上げ、失業対策より再雇用制度を、と言った政策から、公共財の充実、政治とカネの決別等々、中間層のための新しいニューディール政策を提言している。

   今夜のNHKクローズアップ現代は、「“自由”か“公平”か アメリカの選択」のタイトルで、中間層に焦点を当てて、今秋の大統領選挙の戦いについて報じていた。
   格差是正を政府が主導して“平等”な社会を目指すのか、それとも徹底した“自由”競争の追求か。と言う争点で、両候補の政策の違いを浮き彫りにしていたが、ライシュにしてみれば、ロムニー候補の政策などは論外で、自由競争の行き過ぎが、「超資本主義」を惹起して、アメリカ社会を取り返しのつかないほど酷い格差社会にしてアメリカン・ドリームさえもズタズタ状態にしてしまったと言う思いであろう。
   私も、HNKの「失業率が8%を超え、国民の6人に1人が貧困レベルに達し、先の見えない壁に突き当たるアメリカ。」と言う文言を引くまでもなく、グローバリズムと世界の平和と安全のためにも、あるいは、アメリカ国民にとっても、今尚、競争優位の自由な市場主義を拠り所とする保守党とロムニーの選択は、避けるべきであろうと思う。

   この本で説くライシュの論点なり提言は、そっくりと、今日の日本にも、そのまま当てはまるもので、他山の石以上の価値があり、傾聴に値すると思っている。
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