熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

早稲田、ブラックかどうか分かりませんが

2013年08月24日 | 政治・経済・社会
   先日の私のブログ「高学歴軽視の日本と、必死に高等教育を推進するオバマ」に対して、古くからブログをお読み頂いているmacさんから、次のようなコメントを頂きました。
   

   早稲田、ブラックなんですか…。 (mac)2013-08-23 20:00:09

   この派遣法のこと、知っています。派遣が自由な働き方として持て囃された、あの頃のことを思うと、胸が痛みます。スーパーウーマンな派遣社員を題材にしたドラマまでありました。
環境が変わると一転、経営が保守的になり、新卒と既得の正社員保護のような行動にミスリードするような法律ばかり。一体どっち向いて作られているんだか。って経営者の方なんでしょうか…。
ところで日本の新卒ってお客様みたいに大事に大事に育てられるじゃないですか?
それと対照的にも映るのが、アメリカのスペシャリスト制度。日本では部署異動も日常茶飯事ですけど、アメリカでは考えにくく思います。
大学、大学院の課程そのものに根本的な違いがあるような気がします。
学生のマインドも違うのかもしれません。
卒業論文などの修めるポジションにも差があるような気がするんです。いかがでしょうか?

   お答えになるかどうかは、分かりませんが、私なりに、考えていることを補足的にお話ししたいと思います。
   今回のブログの趣旨は、あくまで、日本は、高学歴者に対して、十分にそれなりの働きの場を提供したり活躍の機会を与えずに、軽視し過ぎており、クリエイティブ時代へと大きく舵を切って破竹の勢いで驀進しているICT革命後のグローバリゼーションの潮流に逆行しており、国家の非常な損失であり、益々、日本の文化・文明度を凋落させ、国家の甚大な損失であると言うことです。

   したがいまして、 有期契約労働者、派遣労働者、パートタイム労働者と言った非正規雇用を継続ないし固定化するような傾向のある派遣法などの労働法規については、元より反対であり、出来るだけ雇用機会の平等を旨とすべきだと思っておりますが、
   ここでは、この問題の本質には触れずに、大学の非常勤講師や非正規研究員などのポスドクを含めた高学歴者の非常に多くが、非正規雇用で生活もままならないと言ったフリーター状態にあって、将来への夢も希望も摘んで悲惨な状態に追い込んでしまっている現実を、問題にしているのです。
   早稲田がブラック大学だと思ってはおりませんが、先日引用した池田信夫氏の「日本の大学は非常勤講師を使い捨てる「ブラック大学」」と言う記事が正しければ、これまでも無期限に勤務してきた非常勤講師が多く、早大の場合は、教員の6割、4000人が非常勤であり、年収が300万円前後だとするならば、まず、何か他のアルバイトをせねば生活はできませんし、知識をリシャッフルすべく最新の学説や最新の科学情報を得るにも専門書さえ買えない筈で、結局、大学トータルを劣化させる以外の何ものでもない筈です。
   そして、iPS細胞の山中伸弥京都大教授が、京大研究所のスタッフの90%が、非正規職員であるために、有期雇用であって先の保障がなく、一番頭を痛めて奔走しているのは、スタッフの生活の安定とその保障だと言うに至っては、悲惨の極みであり、悲しくて涙も出ませんが、実は、この惨状が、日本のトップ大学の現状のようなのです。

   ところが、アメリカでは、学位が高くなればなるほど、雇用機会に恵まれて、どんどん待遇も良くなり、知識教養の涵養と希求には、天井知らずの恩恵が約束されていると言う、正に、知識情報・クリエイティブ社会なのであり、ほぼ、これが、欧米先進国でも新興国でも、グローバリゼーションの趨勢だと言えましょう。
   日本だけ特殊な、この大学や研究機関等での高学歴者の冷遇と言う傾向が継続するようであれば、もう、日本の三等国への凋落は、片道チケットだと言っても間違いありません。
   そう、思っております。

   これは、何故か、私自身は、日本社会自体が、スーパーエリートを生まない大卒程度のスペアパーツで良しとして、政治経済社会構造が、それ以上の秀でた知的エリートを認めようとしない社会だからだと思っています。
   極めて短期間に、日本に冠たる国際教養大学を創設した中嶋嶺雄学長が、以前に、学位の問題に触れて、所謂日本のエリートが、現在の国際社会で殆ど通用しないのは、学位を持っていないからだと言ったことがあります。
   特に、外交官試験にパスしたので、大学を中退して外交官になるのがエリートだとした風潮など愚の骨頂だと言うことであり、ノーベル賞学者で、学位のない人などは殆ど居ませんが、今や、先進国は勿論、新興国でも、政財界や官界などのトップクラスは、殆ど、博士号か、少なくとも、MBAやMAなど修士号くらいの学位は持っていると言うのです。
  学位のない上に、リベラル・アーツの素養に欠け、語学力などの不足でコミュニケーション力に欠けるとなれば、日本の外交官や官僚、企業のエリート達が、グローバル競争に伍して行けないのは当然で、このあたりを見て、ピーター・ドラッカーは、日本人が、一番、グローバル性に欠けていると指摘したのかも知れないと思っております。

   問題の深堀をする余裕がありませんので、これで、置きますが、本当のエリート教育を行えなかった日本人のメンタリティに欠陥があり、日本の支配構造が、この程度の位置にあるので、日本社会が、更なる高みへは向かえない、昇れないとと言うのが現状だと思っております。

   さて、macさんの新卒優遇とスペシャリストの育成の問題への指摘ですが、仰るとおりに、日本と欧米先進国、特に、アメリカとは大きな違いがあります。
   まず、アメリカでは、その道の専門家やスペシャリストは、学校、特に、プロフェショナル・スクールなどの専門的な教育機関が教育訓練して育てますが、日本では、学校はあくまで新入社員の社員としてのレベルアップ程度としか考えておらず、専門家やスペシャリスト、一人前の社員や技術者に育てるのは、入社後の教育訓練、すなわち、OJTや経験だと考えていて、会社そのものが、プロフェショナル・スクールの役割を担っています。
   ところが、現在は、先輩が新人を丁寧に手取り足取りで教育訓練する余裕がなくて、OJTが劣化しているので、目も当てられないほど、下位者のプロが育っておりません。
   今や、OJTや徒弟奉公で教育訓練する悠長なことを言っているような時代でもありませんし、会社がプロの育成機関であることを止めざるを得ないのなら、高専など、あるいは、それより高度の専門学校の育成充実を図る以外に道はないと思っています。

   日本では、会計専攻の経営学部卒の新卒者を、営業や流通などと言った関係のない部署に何事も経験だと言って配属しますが、アメリカでは、一切そのような無駄は有り得ず、会計を専攻したMBAは、当然、会計に絡んだ仕事に就き、教育訓練を受けて磨いた技術知識最優先で、第一に、その資格経験がなければ、その仕事には就けません。
   欧米では、本来、大学は教養課程であって、どの学部を出ていてもプロ扱いはされず、プロフェショナル教育は、ビジネス・スクール、ロー・スクール、エンジニアリング・スクールなどと言った大学院のプロフェシャナル教育が担っているのです。
   日本では、企業の社員の殆どが大学が最終コースであり、プロとしては極めて不十分であり、専門教育は、入社後企業が担わなければならないので、非常に、非能率でもあり、前述したように、企業がプロ教育出来なければ、プロフェッショナル教育を充実させ、欧米流にプロを学校で教育訓練する以外にないのではと思います。
   大学院大学も、学者や研究者、教授などと言った学問や研究をさらに追及する分野の充実も勿論大切ですが、それ以外の大学院生は、将来殆どプロとして働くのでしょうから、中途半端な教育をせずに、欧米流に、特別な分野のプロフェシャナル教育訓練に集中した方が良いのではないかと思っております。

   
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