熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ドナルド・キーンのオペラへようこそ! われらが人生の歓び (1)

2019年04月27日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   WOWOWの「METオペラビューイング」で、ドナルド・キーンがしばしば登場して、冒頭解説を行っていたので、故郷ニューヨーク人であるから、当然、かなりのオペラ通だと思っていたが、この本を読む限り、並みのオペラ好きと言う次元ではなく、途轍もないオペラ中毒だと言うことが分かって、感激して読んだ。
   とにかく、オペラの解説書などと言うジャンルの本ではなく、ハイティーンから、オペラにのめり込んで、三四半期オペラ漬けであった稀代の大学者のオペラ行脚を開陳したユニークなオペラ論、「 われらが人生の歓び 」であるから、オペラファンには、たまらない魅力である。

   キーンが、オペラを始めて観たのは、15歳の時、
   高校生の同級生がオペラに通うのは、上流社会に籍を置く自分を誇示したいためだと信じていたのが間違いで、一番安い席の入場券を買って、METのオペラ公演に出かけて、「カルメン」や「アイーダ」など2~3本観た後、コンサートや芝居などのほかの舞台芸術より、オペラの方が感動的であることを実感したのだと言う。
   この本の冒頭に、”「連隊の娘」を観ると踊らずにはいられない”と言うキーンのスナップが掲載されていて、大きなディスプレィの画面を観ながら踊っていて両手がぶれた写真が、その成れの果てを示していて面白い。
   先日、始めて観たMETライブビューイングの「連隊の娘」をレビューしたが、非常に素晴らしいオペラであった。

   オペラの魅力は、ひとえにその歌声にあると言っても過言ではない、姿が、演技がどんなに見栄えがするものであっても、声が悪ければ、聴衆の気持ちは途端に癒えてしまう、と言う。
   美声に感激した歌手たちなのであろう、キルンステン・フラグスタートを筆頭にして、シュヴァルツコップ、ニルソン、カバリエ、カラス、ドミンゴ、ピンツィア、メルヒオール8人を、「思い出の歌手たち」として、詳細に論じている。
   終章で、稿を改めて、「マリア・カラスを忍ぶ」を書いており、余程、マリア・カラスとの出会いが衝撃的であったのであろう。
   あの伝説的なカラスのロイヤル・オペラでの「ノルマ」をダメもとで数時間キャンセル待ちで並んで高額のチケットを手にして、既に開演中の劇場に入って、自席には行けなかったが、第1幕の冒頭から観て、「清らかな女神よ」を聴いて感激した思い出から書き始めていて、非常に興味深い。
   私もキャンセル待ちで並んで、ウィーン国立歌劇場の大晦日の「こうもり」のチケットを手に入れたり、マドリードなどでも経験があるが、千載一遇のチャンスは、絶対に見逃すべきではないと思っている。
   マリア・カラスは、フィラデルフィアでのジュゼッペ・ステファーノとの「フェアウェル・コンサート」だけしか、観て聴く機会しか得られなかったが、それでも、幸せであった。

   私が、実際にオペラやコンサートの実演で観て聴いたのは、年代の古いフラグスタート、ピンツィア、メルヒオール以外の5人だけだが、確かに、シュヴァルツコップやマリア・カラスは美しかったが、ニルソンはまずまずで、カバリエは重量級であって、細身のホセ・カレーラスとの共演は面白かったのを思い出す。

   キーンのクラシック音楽に関する一番古い記憶は、幼い頃家にあった蓄音機で流れるエンリーコ・カルーゾの歌曲であったと言うから、オペラ好きの下地はあったのであろう。
   大学時代に初めて入手したのは、グラインドボーンの「フィガロの結婚」で、高かったので、誕生日に第1巻、クリスマスに第2巻、翌年誕生日に第3巻を買ってもらったと言っており、最初に精通したオペラなので、リブレットはすべて暗記し、そのためか、老年になってからも、これが、最高傑作だと言う信念から抜けきれないと言う。

   私の場合には、京都での大学生活が始まって凄い世界を体験し始めた時で、大げさに言えば、とにかく、時空を超えて世界の人々が、価値を認めて心酔しているクラシック音楽に背を向けていては、この人生は暗いと思って、交響曲名曲全集のレコードを買って、聞き込んだのが最初で、
   オペラも、丁度、大阪のフェスティバル・ホールで、バイロイト祝祭劇場のワーグナーの引っ越し公演が行われたので、当時の月給とほとんど同額のチケットを買って、「トリスタンとイゾルデ」を鑑賞した。
   その前に、カール・ベーム指揮の同じキャストのビルギット・ニルソンとヴォルフガング・ヴィントガッセンが歌う極め付きの名盤レコードが出ていたので、何度も聴いて予習をして出かけたのだが、ヴィーラント・ワーグナー演出の殆ど見えない暗い舞台で歌うニルソンとヴィントガッセンを目の当たりにして、感激して聴いたのである。
   ファンであったカール・ベームの指揮は、幸い、ずっと後になって、出張時に、METで、「ばらの騎士」を感激して観る機会を得た。
   念のため、この演出について、ウィキペディアを引用すると、
   1962年の『トリスタンとイゾルデ』でヴィーラントは、深層心理の側面からこの作品を解釈しようとする手法を試み、ユングの心理学を援用した演出を行なう。例えば第1幕では船の船首を暗示するオブジェが置いてあるのみで、あとは照明のみに語らしめるという極めて観念的な解釈を提示した。

   それから、しばらくして、大阪万博が始まって、クラシック音楽のトップ奏者たちが大挙して大阪を訪れてきた。
   カラヤン指揮のベルリン・フィル、レナード・バーンスタイン指揮のニューヨーク・フィルを初めて聴いたのもこの時で、
   オペラは、ベルリン・ドイツ・オペラの「ローエングリン」、ボリショイ・オペラの「イーゴリ公」、曲は忘れたが、ピッコロ・スカラ、を家内ともども鑑賞した。
   お陰で、ボーナスも月給もふっ飛んでしまって貧乏生活の連続であったが、それでも、高槻に住んでいたので、万博会場にも何回も訪れたし、最先端の世界に触れて幸せであった。
 
   この若気の至りが、功を奏したのか、そのしばらく後、アメリカ留学でフィラデルフィア、その後赴任で、サンパウロ、アムステルダム、ロンドンと14年海外生活が続いたので、METを皮切りにして、コヴェントガーデンのロイヤル・オペラを筆頭に、ウィーンやミラノなどヨーロッパのオペラ・ハウスでの観劇などクラシック音楽行脚が続いた。
   
   ドナルド・キーン先生とは桁違いではあるのだが、それでも、いくらか、話題に重なるところがあって、先生のオペラへの蘊蓄を楽しみながら、読ませてもらっている。
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする