熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立能楽堂・・・蝋燭の灯りによる狂言「弓矢太郎」・復曲能「碁」

2019年04月26日 | 能・狂言
   能楽堂では、松明が燃える薪能は無理なので、代わりに蝋燭、久しぶりの蝋燭の灯りによる舞台である。
   蝋燭は、正面に10本、脇に13本、橋掛かりに4本、開演前に、和紙で作られた燭台の蝋燭に、巫女宜しく、正面上手より、一本一本灯を灯す。
   蝋燭の灯りだけで、舞台が照明されているので、舞台は薄暗くて、演者の姿や表情が良く見えないのだが、その分、非常に幻想的な雰囲気を醸し出していて、中々、ムードがあって面白い。
   
   
   
   
   
   プログラムは、次の通り。
   異流派交流の興味深い演出であり、狂言45分、能100分と言う意欲的な舞台である。

   《特集・対決》◎蝋燭の灯りによる
    狂言 弓矢太郎 (ゆみやたろう) 三宅右近・野村萬斎(和泉流)
    復曲能  碁 (ご)  大槻文藏・狩野了一

   狂言「弓矢太郎」は、
   連歌の会「天神講」の当番の男何某(萬斎)が、集まった講中たちと一緒になって、いつも仮装束姿で弓矢を身に着けている臆病者だと噂さされている弓矢太郎(三宅右近)を天神の森に鬼が出ると言う怖い話で脅し上げて、目を回させる。それでも、怖くないと言うので、その証拠に、天神の森に行って、松の枝に扇を掛けてくることにする。太郎と男は、それぞれ怖いので鬼の面をつけて、森に行くのだが、鉢合わせてお互いに本当の鬼だと思って卒倒する。太郎が先に気がついて立ち去ろうとすると、連中が様子を見に来て、男を介抱して起こして聞くと、本当に鬼が出たと大仰に怖がるので、太郎は、元の鬼の姿に戻って皆の前に飛び出して脅し上げて追いかける。
   鬼の面は武悪、蝋燭の灯による薄暗い舞台であるから、タダでさえも恐ろしいと言うことであろうか。
   この二人に、太郎冠者と天神講の連中5人が加わるので、かなり、大掛かりの舞台となって面白い。
   
   能「碁」は、復曲能で、解説書などには載っていないのだが、「源氏物語」の空蝉を素材にした舞台で、何のことはない、帚木と空蝉の巻の、光源氏と空蝉との物語。
   しかし、舞台は、空蝉に振られた源氏のストーリーは取り入れられてはいるのだが、最後の方のシーンだけで、テーマは、空蝉と義理の娘軒端の荻との碁の勝負の話であり、詞章も碁の専門用語などが出てきて興味深いものの、私には、やや、肩透かし。
   碁に負けた空蝉の霊が、寝所に忍び込んできた源氏の気配に気づいて、蝉の抜け殻のように衣を残して逃げた昔を懐かしんで、舞いを舞う。
   源氏物語では、その後、源氏は、人違いとは知りながら、隣に寝ていた軒端の荻と契るのだが、その余韻であろうか、
   福与かな奇麗な衣装を纏った軒端の荻の登場で相舞となり、優雅で美しい。

   人間国宝大槻文蔵の前シテ/尼が登場した時、真っ白な頭巾に頭部を覆って、若女の面を覗かせた姿の神々しいまでの美しさ、
   シックな衣装が、微かに鈍色に淡い光を放って、王朝時代の雰囲気を醸し出していて、私には、碁と言うテーマは、とっくに頭から消えてしまっていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする