本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

戦争に負けてよかったこと

2022-01-30 08:42:38 | Weblog
 昨日に述べた『新選詳図』にある領域に、太平洋戦争によりフィリピンやインドネシアなどアジアの国も占領したため、領域の範囲はさらに膨張した。
 そして敗戦。拡大した領土は失って元の木阿弥になった。

 ただ、この敗戦は幸運だったとよくいわれる。軍国主義が潰えた、新憲法の下に民主化が進んだ等いろいろあるだろうが、大きな幸運はがむしゃらに増やした領土や占領地を失ったことだという説がある。私もなるほどと思った。ただ、固有の北方領土まで失ったままであるのは痛手だ。
 
 領土の維持管理にはコストがかかるからだ。固有の領土であればまだしも、拡張した領土や植民地にも財政負担がのしかかる。イギリスもフランスも海外領土の支出に苦労したという(日本も朝鮮半島のインフラ整備に莫大な投資をしたものだ)。

 それらの国では民族独立のため戦いをしかけ双方に犠牲がでる。あるいは平和的に独立させるにしても「熨斗を付けて」返さないといけない。

 ところが、日本は戦争に負けたため、それらの国はなんなく独立を手に入れた。のちに戦後賠償はあったが、敗戦で経済がガタガタの時期では、維持するカネもなければ、独立の熨斗代がままならなかっただろう。身軽になったから高度成長ができ、賠償も可能になったわけだ。

戦前の日本地図

2022-01-29 08:28:36 | Weblog
 昭和12年初版『新選詳図』「帝国之部」という日本地図(手元にあるのは13年度再販発行)がある。日本地理教科用地図で中等学校向けと述べている。物置にあったので、義父か義母が習ったものだろう。
 
 現在の日本領土のほか、当時は朝鮮(半島全体)、台湾、樺太、千島列島(その先はソ連領カムチャッカ半島)が我が国領土として赤い色に塗られている。それに赤く塗られていない南洋群島や関東州(地借祖)があった。さらに満州国は独立国の体裁だから、むろん赤色ではないが実質的には植民地であった。

 南洋群島は南洋庁の下にサイパン支庁、ヤップ支庁、トラック支庁、ポナベ支庁、ヤルート支庁が小分けされている。

 この地図から明治以降、欧米の帝国主義に倣って領土拡張を画策し、膨張してきたことがよくわかる。続きは明日に。

こむらがえり

2022-01-28 09:20:53 | Weblog
 10年以上も起こらなかった「こむらがえり」をやった。左脚のふくらはぎである。だいたい3分ほどで正常に戻るのだが、その間、耐えられないほどの激痛が伴う。
 
 ネットによる示唆では寝る前の水分補給が防止になるとある。それをすると二度も尿意で睡眠を妨げられた。それどころか、今度は右脚のふくらはぎの筋肉がけいれんを起こした。

 その右脚のふくらはぎには数日経っても鈍痛がある。左脚のこむらがえりの痛みはスーと消えたのに。
 
 たまたま、皮膚科の医院の待合室で『週刊新潮』を広げると、脊柱管狭窄症の記事があり「太ももからふくらはぎやすねにかけてしびれや痛みがある」の記述があった。そういえば、昔ドック検査でこの狭窄症の懸念ありと診断されていた。

 こむらがえりから脊柱管狭窄症に移ったかな。そんな心配はしていないが、普段読んだことがない週刊誌の記事で思いあたったりするものだ。

お国に言葉

2022-01-27 08:51:22 | Weblog
 私は北東北の出身だが、東京やその周縁に永く住んで、北九州に転居した。東北弁と九州弁とでは語彙に違いがある。

 ところ変われば品変わるどころか言葉の意味も変わることを実感した。そのひとつが「ねまる」なる語彙。九州北部(南部もそうなのか知らない)では「腐る」の意味である。それが北東北(東北六県すべてか)では「座る」、「くつろぐ」のことだ。したがって「ねまってください」とはおもてなしになる。

 九州で起こった事件が東北地方で語源となるのが「もんこ」だ。お化けのことだ。それも唐突にあらわれる。800年ほど前の文永、弘安の時代に来襲した「蒙古」のことだ。その恐ろしさが北にじわじわと伝わり、とてつもない化け物になって東北の地に根付いてしまった。泣きやまない子に「もんこが来るぞ」とおどすとピタッと泣きやんだものだ。

 殊に東北でユニークな方言は「おしょす」だろう。恥ずかしいという意味である。「笑止」が語源ではないかと思う。なにしろ東北弁は「し」と「す」が交換するので「おしょうし」が「おしょす」となったのだろう。
 若い時、東京の職場でうっかり口にすると、年配の女性から「お小水なの?」と言われたものだ。
 
 新聞に方言の話があったので、それにお国言葉をなぞらえた。

献血の状況

2022-01-25 08:54:02 | Weblog
 コロナ下で困っているのではないか。そう思ったのが街頭献血である。
 在京の時分は、献血バスに出会えばやってやろうという気になった。もらう身になるよりあげる身になるほうがいいという気持ちである。時に新宿献血ルームに足を運んだこともある。50回を区切りにやめたけれど。

 地方に転居して東京の状況はわからないが、コロナのため人の流れがセーブされているだろうし、三密回避の影響もあるだろう。献血の機会が減っているはずだ。
 ただ、不足すれば、その病院が直接に懇願するか、管理する日赤仲介か知らないが、他県から融通されることになるのだろう。
 
 もっともコロナ用の病床を確保するため、可能な限り外科手術を遅らせているとも聞く。その分献血の要はないわけだ。あまり献血の心配はいらないか。

 病院にとっては病床を空けておくと支援金が入るから困らないらしいが、いや、手術優先のほうが儲かるという話もある。