本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

東京23区の歩き回り

2022-11-29 08:44:24 | Weblog
 東京で長く勤務していながら23区の一部の区域しか知らなかった。
 むろん電車などで通り過ぎたことはあったが、江戸川区、葛飾区、足立区、荒川区、北区、板橋区などには立ち入ったことがないのはもちろんだが、通り過ぎた記憶もない。
 墨田区は相撲見物で国技館に、江東区は友人の家に遊びに行った程度だが、とりあえずはずした。

 そこで、ヒマのときに探訪することにした。ただ、漫然と歩いてもしょうがないので神社仏閣巡りを基本とした。5年ぐらいかかったと思うが、冒頭に挙げた区域だけでなく23区すべてをまわった。

 冒頭の区域はいずれ話すことがあると思うが、本日は世田谷区の豪徳寺に行った話。たまたま今日が命日である井伊直弼の碑があるからだ。

 なぜ豪徳寺が井伊家の菩提寺かといえば、ここ世田谷は彦根藩の領地だったとか。こんなところに彦根藩の飛び地があったのですね。

 神仏に関係ないが、世田谷にあった静嘉堂文庫が先月丸の内の明治生命館の1階に移転したとテレビで報じていた。ここには三菱財閥の二代目総師父子の厖大なコレクションがある。

 世田谷時代は常時開館していなかったので入館できなかったが、新移転先ではオープン展示するようだ。世界に二つしかないといわれる国宝「曜変天目」茶碗のひとつが観られる。ほかにも国宝が何点かあるようだ。
 上京の機会があれば行ってみたい。

PCR検査そして入院

2022-11-28 11:17:13 | Weblog
 急性胆管炎で十日余り入院し、さらに自宅療養でひと月半にもなる。
 この間、胆管に挿入した管(ドレーンチューブ)から胆汁を毎日体外に排出していたが、この2週間ほどは胆汁の排出はない。消化器官に流れる通常に戻ったことのようだ。

 それで、体内に差し込んだチューブを抜き取るため明日から入院することになった。今日はそのためにPCR検査に出向く。コロナ感染が増えているらしいのだ。
 検査は問題しで、入院手続きをしてきた。順調にいけば2泊3日で家に帰れる。課題は脇腹に開いた穴がふさがれるときはいつになるか。湯舟にどっぷり浸かりたいのだ。

安楽死

2022-11-27 08:28:46 | Weblog
『文藝春秋』12月号に、フランスの映画監督ゴダールの「安楽死」についての読み物がある。その中になるほどと思う話があった。次に引用する。

「満足のいく人生を送ってこなかったら、もう少し長生きしょうと思うかもしれない」、「これから先、私は苦しんで生きるだけ。幸福のまま逝かせてほしい」幸せの人生を送っているある老婦人の言葉という。この老婦人はためらうことなく安楽死を実行したとある。

 疾患で苦しんでいたり、管だらけの寝たきりになったりする終末期があるなら、人生にピリオドを打てる安楽死を認める国に行きたいものだ。
 なにしろ、致死薬の投入後わずか20秒で息を引き取るそうだ。

ロードサービス

2022-11-26 08:23:43 | Weblog
 通ったことのない枝道の側溝に脱輪した。車はトヨタ・アクアだから男性の4人もいれば引き上げられるだろうが、それは叶わぬ。本道からはずれた道では通る車はない。
 
 それで、損保会社のロードサービスに連絡した。やがて、業者のレッカー車がやってきて解決した。(ロードサービスがあるのでJAFはやめた)

 損保会社には事後その状況報告をすることになっていた。推測するに、業者から過大請求されないようにするためか。なにしろ、損保会社肝いりの指定業者がいるような地域ではない。
 
 後日、損保会社からハガキが届いた。それによると「23,650円」がかかっている。妥当な金額かどうかはわからん。

 このロードサービス利用結果の通知は初めてだ。
 以前、別の損保会社に加入していたとき、タイヤがパンクしてやはり業者の厄介になった。ところが何の通知ハガキも来ない。
 軽度の費用だったのか、損保会社によって扱いがちがうのか。

会葬礼状に一言

2022-11-25 08:34:51 | Weblog
 会葬の礼状の末尾に追而(追っての意味)として「香典返しの儀は御厚志に対し、当町自治会へ些少ではございますが寄付させていただきますので悪しからずご了承の程お願い申し上げます」とあった。
 
 わかりにくい文言だ。煎じ詰めれば「ご厚志に対する香典返しに替え、自治会に寄付いたしますのでご了承ください」となるか。
 
 一読して、その心がけはよいと思いながらも、焼香に行ったこちらとしては、寄付することを望んで香典をおいてきたわけではない。それが自治会はむろん、例えウクライナ難民や子供食堂の支援寄付でもだ。

 香典返しなんぞ期待していないから、遺族が香典を何に使おうか会葬者に報告する必要はない。

 もし、香典の全額を寄付するとあれば、遺族はそれを頂いても当てにしておりませんから寄付することにしたと思われるかもしれない。これ、嫌味になる。
 
 他方、冒頭の礼状文言(ひな型があるのだろう)のように「些少」という一部の寄付ならば香典返しをしない言い訳としては説得力に欠ける。
 
 つまり、こんな邪推をされるくらいなら、礼状には会葬の御礼だけにして、香典の使途に触れる追って書きをやたほうがよいのではないか。