本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

100キロ超柔道の明暗

2021-07-31 08:03:28 | Weblog
 やれやれやっと柔道の個人戦は終わった。残りは新種目の国別対抗戦のみ。

 個人戦最後の100キロ超で、素根は反則で勝ち、原沢は反則で負けた。対照的な明暗であった。
 言うまでもないが、反則といっても禁じ手を使ったわけではない。消極的な試合運びで指導を受け、その指導の札が3枚に達すると反則負けになる。
 
 反則負けは、柔道で最も恥辱といえる負け方だろう。素根の果敢な攻めで、進撃の巨人みたいな体格の相手を反則負けに追い込んだのから立派な勝ちだ。

 だらしないのは原沢である。もともと積極姿勢に切れがない。代表に選ばれるほうが不思議だった。勝てまいと予想していたので案の定の結果だ。

 正々堂々と闘って負けたのであれば仕方がない。2枚の指導をもらっていたのだから攻めの動きが必須であるにもかかわらずそれがなく、反則負けでは無様だろう。

「よしのぶ」とは俺のことかと「けいき」言う

2021-07-30 08:37:23 | Weblog
 28日のBSプレミアム番組の「英雄たちの選択」のテーマは徳川慶喜であった。
 出席者はその道の専門家だろうが、どなたも徳川「よしのぶ」を連呼していた。では音読みの「けいき」は間違いか。

 その前に幕末動乱期の音読み人物を見てみたい。
 高杉晋作、坂本龍馬、佐久間象山、木戸孝允、吉田松陰、勝海舟、山内容堂、松平春嶽等々切りなく挙げられる。
 
 さて、榊原喜佐子という慶喜の孫の著書に「祖父慶喜(けいき)様」とあるそうだ。私は読んでいないが、その著書は『徳川慶喜家の子ども部屋』という本とある。
 この孫の名前の「喜」はじいさんの一字でしょうね。「よしのぶ」が正しいならば「喜子」(のぶこ)としたかな。

 漢和辞典で「喜」を引くと、名乗として「のぶ、はる、ひさ、ゆき」などが挙げてある。名乗とは、人名に用いられる漢字の通常の音読み・訓読み以外の特別な読み方である。
 どうやら「よしのぶ」に限らず「よしひさ」ともいわれたとか。ややこしい。

 番組でひとりくらい「「けいき」の呼称はどう思うか」の問いかけがあってもよかった。
 私なら、孫の本にあるどおり「けいき」でもよいのではないかと言いたい。

「住めば都」のこと

2021-07-29 08:24:45 | Weblog
 読売新聞が「住めば都」をテーマで経験談を募集したことがある。
 
 小生、九州に転居して何度か「住めば都でしょう」と言われて苦笑いをしたものだ。この「住めば都」は田舎に転居した者本人が実感するもので、人から言われるものではないからだ。
 
 さて、冒頭の募集に投稿した文の最後は「住まば都ということもある」と締めくくった。「住まば都」とはどうせ住むならば機能的な都会がよいということだ。

 たしかに田舎では「新鮮で安価な農産物が手に入る」ことを認め、「例えば高級和牛は都会の半値ほどで味わえる」ことの魅力もある、と投稿文に付け加えた。

 一方、「地域のしきたりに戸惑うことがある」と延べた。また、外様つまりよそ者に冷たい風潮もある。
 さらにいえば「故郷と違って竹馬の友はいないし、長年住んでいた都会にいる知人・友人とも別れることになる」のはデメリットである。

 結局、「都会に限らないが、住み慣れた地域こそ安心して暮らせるのはないか」と綴った。高齢者には機能性の乏しい田舎の生活は無理かもしれない。
 
 もっとも、今の小生の心境は「住めば都」のとおり満足し、「住まば都」の気持はさらさらない。

二宮金次郎像に文句あるの

2021-07-28 08:48:02 | Weblog
 二宮金次郎の銅像は、薪を背負い歩きながら本を読む姿である。家の手伝いをしながら学問にいそしむ格好というわけだ。

 ところが、この姿は「歩きスマフォ」と類似して「子どもが真似したら危険ではないか」と苦情が寄せられていたとか。注意する子どもに「校庭に歩き本があるもん」と言われかねないと心配したらしい。
 金次郎の時代には自動車も電車もなかったけどね。そもそも薪を背負っているので、歩いていたのは山道でしょうよ。金次郎像にいちゃもんをつけてもしょうがないよ。

 電車といえば「歩きスマフォ」のとんでもない事故があった。衝撃な事故だから誰もが
ご存知だろうが、女性は歩きながらのスマフォに気を取られて、電車に接触して亡くなった。

 警報は鳴らず、遮断機も下りていないので踏切に入って歩き続けた。そして踏切の出口にさしかかったときに目前で遮断機が下がった。女性はそこが踏切の手前と勘違いして立ち止まった。依然としてスマフォをのぞき込んでいたのですね。
 踏切を渡るとき、線路の踏み感触もわからないほどスマフォにのりこんでいたのだろう。

 踏切の前には電車が通り過ぎるのを待っていた人々がいたはずだ。その人たちはこの女性に注意を喚起していない。みんなスマフォをしていたそうだ。これには驚きだ。

 スマフォは命を奪う凶器になった。気の毒だが、無駄死であった。

五輪柔道の金

2021-07-25 08:38:58 | Weblog
 姿三四郎に憧れて中学・高校時代に柔道部に入った。思うよう勝てず、高一で退部した。それでも五輪の柔道の試合を見るのは好きだ。

 昨日、承知のことだが、男子60キロ級で金、女子48キロ級で銀だった。
 ただ、決勝戦の高藤選手の試合運びにがっかりだった。4対6で劣勢であった。日本柔道の王道である一本勝ちはむずかったかもしれないが、組み手争いは不利で、右脚をちょんちょんと出す程度。ほとんど技が出ていない。

 リオの失敗がプレッシャーか、魔物がすんでいるといわれるので慎重になりすぎた。
 相手への「指導3」の反則で勝ちだが、素人目には納得がいく勝ち方ではなかった。

 祝うべきことに横槍を入れすぎたかな。