本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

江戸時代の野菜類

2008-08-31 10:48:39 | Weblog
 文久2年(1862年)の食物番付表に載っていた穀類、野菜を羅列する。
 
 ・ 黒豆、小豆、くわい、蓮根、人参、隠元豆、長芋、大根、ふき、ぜんまい、
  大麦
 ・ ねぎ、にら、きのこ、竹の子、しそ、せり、春菊、わらび、胡瓜、茄子、
  ほうれん草

 この番付表は、当時、流行っていたハシカを防ぐための良い物、悪い物の格付けである。上段は是、下段は否としている。栄養価の高いねぎ、にら、春菊、ほうれん草などダメよ、とあるのだからいい加減である。
 ごぼうはその時代にはあったと思うが番付外だったかな。日露戦争で常備したもやし、独歩の小説のタイトルにもある馬鈴薯はどうなんだろう。明治になってから突然出てきたものと思えないけど。
 
 それはともかく江戸時代の野菜等は豊富だったのですねぇ。なによりも自給率100%がよい。シカゴの投機相場に泡を喰うことがないわけだ。

テストステロン

2008-08-30 08:56:40 | Weblog
 雑誌の記事の医師の言葉に「『ウィナーズ・エフェクト』といって、勝つとテストステロンが上がって意欲が上がり、また頑張るから勝つ、という具合にらせん状に上がっていきます」とある。テストステロンとは男性ホルモンの一つとか。筋肉隆々の体をつくるものらしいが、精神活動を活性化させる働きもあるようで、メンタル面に影響が大きいようだ。

 五輪の野球を思うとなるほど納得がいく。韓国チームは予選全勝でテストステロンがハイで負ける気がしなかったのでしょうね。反対に、日本チームは4勝3敗の予選時点でしょぼくれた。エラーの野手や打たれた投手が同じ失敗をするのも頷ける。なにしろ『ウィナーズ・エフェクト』が分泌されないのだから。
 監督はテストステロンを考えて起用しないといけないのですな。

ラブホテル

2008-08-29 09:36:11 | Weblog
 昨日、ラブホテルに触れて、思い出したエピソードふたつ。

 大阪に出張した。日帰りのつもりだったからホテルを確保していない。ところが北新地で呑んで止まらなくなった。日が変わる時間に近かった。
 そこで、近くのラブホテルに入った。しかし、一人では泊めないという。理由を訊くと「女を世話しろ」とわめくらしい。「いや、朝早く、東京に帰るので」と言って承諾してもらった。
 それだけの話だ。正道を守るラブホテルですかね。

 翌日、交通ストがあるという夜、事務所(当時、浜松町の世界貿易センターにあった)に泊まることにしたが、つい、つい新宿に行って部下と二人で呑んだ。そうこうするうちに事務所に戻るのが面倒になって、男二人でラブホテルに泊まった。
 翌日の朝、玄関先で二組のアベックと鉢合わせた。ジロジロ見られましたねぇ。この部下、背が高く、結構、男前である。ホモの関係と思われたのですな。バツの悪い思いをしたのが当方でありました。

温泉の家族風呂

2008-08-28 13:12:04 | Weblog
「天然温泉家族風呂」を売り物に、家族風呂だけを扱う施設に行ってみた。施設と言ったのは、宿ではないから。つまり泊まりができない。
 
 家族風呂付きの部屋が24室あって、料金は2千円、3千円、4千円とある。それぞれの部屋のグレードが違うだけではなく、利用時間も50分、60分、70分となっている。とにかく、4千円70分の部屋を利用した。他の部屋は知らないから、この部屋のグレードの高さを納得するすべはない。

 ここまで読むと、ラブホテルを連想するのではないか。そういう利用客もいるようだ。ベッドがあるわけではないが、なんとかなるのでしょう。
 この地区一帯は条例でラブホテルは禁止されている。抜け道を見つけた商売上手だ、と思ったところ、どこの温泉郷でも家族風呂すなわち個室の利用が多いとか。

 ドライブの途中に立ち寄って入浴する温泉宿の風呂は、大浴場や露天風呂の類いかと思っていたが、そうでもないらしい。
『ラブホテル進化論』(金益見著)なる本を読んでいないが、そのうち、ラブホテル変形論も書くかもしれませんわ。

アムステルダム五輪のマラソン

2008-08-27 09:29:34 | Weblog
 5.15事件の犬養毅の長男である犬養健は、法務大臣の時に造船疑獄事件で指揮権を発動したとんでもない政治家であるが、作家でもある。
 佳品に「亜刺比亜人エルアフイ」がある。一部を引用する。
「……そして終始彼から十メートルとは離れずにせまってきた智利(チリ)人のプラザ。頬骨の出ている浮世絵の人物のやうな日本のヤマダ。麻いろの頭髪が青い運動着によく似合った雄大な芬蘭(フィンランド)のマルテリン。中略 二時間三十二分五十七秒。」
 
 これは、1928年、アムステルダム・オリンピックのマラソンの模様である。文中「彼」とあるのは、作品タイトルのアルジェリア人のエルアフイのことで、優勝者である。
 当時、アルジェリアはフランス領のため優勝国はフランスとなっている。帝国主義がまかり通っていた時代である。もっとも、日本も同じ。1936年のベルリン・オリンピックマラソンで優勝した孫基禎も朝鮮を併合していた日本が優勝国である。

 それはともかく、三位につけていたヤマダとはどんな人物か。香川県坂出出身の山田兼松。惜しくも、結果は4位であった。
 ウイキペディアからちゃっかり引用すると「40km地点では2位に200m近い大差を付け、悲願のマラソン初優勝は確実かと思われた。ところが思わぬアクシデントが山田を襲った。渡欧してから硬い石畳の道で走り続けたため膝に負担がかかり、右膝が激痛を発してしまった(当時、日本国内では大都市部を除くと舗装道路は皆無に近く、山田はそれに慣れていなかった。また、足には靴ではなく足袋を履いていた)。」
 
 足袋では相当に痛かったに違いない。その激痛でも走りぬいた根性は、北京オリンピック代表のマラソン選手にはありませんでした。