本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

野外炊事生活

2006-09-30 17:34:52 | Weblog
 鹿肉をくれる猟名人が、今度はイノシシを持ってきた。伊豆や丹沢に牡丹鍋(猪鍋)を出す店があるが、あれはイノブタであろう。これは野生の牡丹である。
味噌仕立てのもつ鍋の汁をベースに牡丹鍋を作って食した。結構イケタ。木の実など山の物しか喰っていないせいか、脂身がないわりに柔らかい。
 この猟名人は建具屋さん。リフォーム中の戸を受け持っている。凝った格子戸を作る職人だが、ウチはそんな素晴らしいものは要らないよと言っている。

 そのリフォームだが、天井を空けると立派な梁があった。これをむき出しにするらしい。今流行りのようだが、わたしゃ、関心がない。とにかく早く終わってほしいのだが、日程的にはまだ六分の一の進み具合だ。
 仮の流し台を屋外にこしらえた。屋根下だから雨の心配はないが、庭を横切って煮炊きものを運ぶ。毎夜、野外炊事である。
 不便ということを実感している。

新聞記事のレベル

2006-09-29 17:09:41 | Weblog
 新聞記事は平易、簡潔な文の手本でもある。しかし、常用漢字にしばられ、平易さにこだわりすぎではないか。新聞社の用語の手引きでは、たとえば爽快はさわやか、凄絶をすさまじいに言い換えている。これでは漢字の持つ視覚効果が活かされない。また、同手引きでは、交ぜ書きは極力避けるとしながらも、かい書、潮ざい、しゃく熱、せん茶、だ捕などいくつも交ぜ書きがある。言い換え、書き換えがないからだろうが、表意文字を平仮名にしては熟語の意味をなさない。
 
 中学生程度でも読解できることが基本と聞くが、言うまでもなくその読者は多くないし、ましてや少子化の時代である。もし、分からなければ親に教えてもらえばよい。それが読解力の向上になる。
 これら新聞用語は各社の申し合わせであろうが、小学校運動会の徒競走を並んでゴールするようなものだ。表記レベルを検討してもよい頃ではないか。
 せめて、ルビを付してでも言い換えや交ぜ書きのない漢語で記事を書いてほしいものだ。

飲酒運転取締り余波

2006-09-28 16:57:29 | Weblog
 昨秋、山あい(といっても道路沿い)でアケビを収穫した。確かめに行ったところ、まだ熟れていないが十個ほど実が生っている。
 あぜ道に彼岸花が咲いている。行儀よく田んぼの縁取りしている。並べ植え替えたのだろう。朝晩は肌寒いが、日中は気温が上昇する。寒暖に落差のある時季である。
 熱燗もさぞおいしいだろうが、異変が起こっている。飲酒運転の相次ぐ事故で、夜間検問が強化されているらしい。ところが田舎ほどマイカーのサラリーマン、職人が多い。そんなわけで勤め帰りのちょいと一杯が自重となる。
 電車を利用すればと思うだろうが、田舎の公共の交通機関の終電は早い。午後9時以降なんぞ動いていない。飲んでも早々と退散しなければいけない。たとえば、小生が利用する電車で市街地(20分足らずだが)の飲み屋に出かけても、終電は8時40分。これでは飲んだ気になりませんよ。必然的にタクシーとなり、これが3千円(車で行って、帰りは代行車でもほぼ同じ代金)。馬鹿バカしいので、そう飲みに出張らない。
 客が少なく、飲み屋が悲鳴を上げているようだが、これまでが怪しい常態だったということだ。地元の酒造りも弱っているようだ。
 
 幸い、小生の場合、徒歩1分のところに飲み屋がある。それでもおかみに聞けば、徒歩の常連は小生、タクシー会社の社長、例の駐在のおひまわりさんだけ。小生以外は職業柄まずいわけ。どおりで最近、この店もヒマだ。加えて駐在のおまわりがいる。自分が飲んでいるときは、職務外で手を出さないだろうが、なんでも、ん十人をリストに載せているという噂だ。
 おかみがおひまわりさん出入り禁止というのも分からんでもないが、逆恨みを買って、常連客一網打尽となればことだ。



人間の典型

2006-09-27 10:16:09 | Weblog
 昨日から屋根瓦の葺き替え工事が始まった。好天が続きそうで一安心だ。
天井板の隙間からほこりが舞い落ちるだろうからと、二階の部屋にビニールシートを張り巡らした。そんなわけで小生のパソコンが使えない。いや、シートの下にもぐれば使えないこともないが、これではホームレス的テント生活の一コマになる。それで、ブログ雑記を中止した。もっとも、毎度のことながらたいして話題もない。
 屋根板も補修し、ゴムアスルーフィングなる防水シートを貼ったところでシートをはずした。ずいぶん手際がよいが、新瓦を葺くのにまだ四、五日かかるらしい。

 閑話休題
 司馬遼太郎が面白いことを書いていた(何の本か憶えていないが)。
「文学の働きで最も大きな栄光の一つは、人間の典型をつくること」といった主旨で、ハムレットとドン・キホーテを挙げている。たしかにハムレット型、ドン・キホーテ型といいますな。ただ、ハムレットは悩めるタイプというより愚図なところがある。ついでを言えば、シェークスピアはオセロの嫉妬、マクベスの野心などのように人間の典型づくりを描いていると思いますね。
 日本の文学から『痴人の愛』のナオミも典型としていた。なるほど分かりますわ。
 以上の三人だったが、ジュリアン・ソレルを加えてもよいのではないかなと思ったことでした。

七歩の詩

2006-09-25 22:13:09 | Weblog
 七歩の詩なる漢詩がある。魏の文帝が弟の曹植の文弱を憎んで死罪を命ずるが、七歩あるく間に詩を作るなら死を赦すと言った。この話、三国志演義にあるようだ。
数十年前に読んだ吉川英治の『三国志』で、この逸話を知った。その後『私本太平記』でもこのことを記述していたから、相当気に入っていたのであろう。私自身も記憶から薄れない。

 煮豆燃豆箕  豆を煮るために豆がらをたきつけにして燃やす
 豆在釜中泣  豆は釜の中でぐらぐらと泣いている
 本是同根生  もとは同じ根から生まれたものなのに
 相煎何太急  どうしてこれほどひどく苦しめるのですか

 むろん、文帝は赦した。骨肉の情が通じたのでしょうね。ただ、武勇に優れた弟であるなら、地位を脅かす心配もあるだろうけど、文弱ならこれ幸いでしょうに。
 ここがよくある骨肉の争いの事情と違いますな。