本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

秋の足音

2007-08-30 07:02:14 | Weblog
 秋の足音はどんな音だろうか。
 小生、ほぼ北緯40度の位置にある東北の小都市で育った。その地では、夏がすとんと落ち、出し抜けに秋になる。しかも、あわただしく紅葉を散らして駆け足で去る。もう背後には冬将軍が迫る。秋の足音とは逃げ足の速い音のようだった。ただ、昨今は温暖化のせいか、晩秋が居座っているようだ。

 首都の郊外に住んでいた時分、夏の暑さが融けこむようにやわらぎ、はしなくも秋の気配を感じた。忍び足に近づいてきた。

 そして、九州に転居して2年になる。夏は長く、切れ目なく秋も長く感じる。確かに空中にトンボが飛び交っている。しかし、その下の川辺には夏草が生い茂っている。紅葉前線で言えば、東北より1ヶ月以上は遅い。
 高速道路の距離にして約千八百キロ。ほんに日本列島は長い。秋の足音には駆け足も忍び足も抜き足もあるわけだ。

 この雑文は499番目になる。我ながらよく書きました。明日の月末、ちょうど切りの良い数字になります。と思ったのですけど、郷里に住む弟の病気が重い。
 本日、冒頭の北緯40度まで飛ばねばならない。500番目はしばらく延期だ。

懐紙と袂

2007-08-29 09:17:29 | Weblog
 幕末、和親条約の交渉で各国から来航した。各国といってもアメリカやロシア、西欧国ですな。交渉や接見のお役目に任じたサムライは、結構、饗応を受けたらしい。
 外国人の目から見て、なかでもハムとシャンペンが気に入っていたとある。なかには、図々しく飯どきを狙ってくることもあったとか。「また、昼時にやってきた」と書き記している話もあるのですから。
 食べ残ったものか、あるいは奥方や子息のために我慢して残したものか定かではないが、懐紙に包んで持ち帰ったようだ。
 このテイクアウトを見て、外国人は懐紙と袂はまことに便利であると思ったに違いない。なにしろ、懐紙とは、ものを書くためのもの、洟をかむためのもの、ものを包むためのものとあったから、こりゃ、万能紙だと納得していたでしょう。人を切った後、その懐紙で刀身の血のりを拭うという利用法は書いていませんでした。存じなかったでしょうね。もっとも、そんなことが,たびたびあったわけないだしょうが。あるいは、剣客が抜き身を拭った懐紙をはらりと捨てる、これって、映画や小説だけのウソ事ですかね。

 袂についていえば、なかには苺ジャムを懐紙に包んで、ひょいと袂に入れたといいますから、これも便利ですわ。なんたって、何でも包み込みますからね。袖の下は。
 苺ジャムとは、サムライもセコイが、幕末にあっては、それは、それは甘味だったでしょうね。
 そういえば、夏目漱石でさえも大の苺ジャム好きで、子どもにも舐めさせなかったと何かに書いてあったような気がする。

 和親条約交渉には面白い裏話があるのですな。

イギリスのめし

2007-08-28 10:35:16 | Weblog
 かつてイギリスでは1日4食だったという。即ちブレックファースト、ランチ、ティー、サパーである。ティーは夕食で、サパーは夜食とある。ティーとは3時のお茶と思っていましたが、違うのですね。ティーといっても、スコーンや菓子類の軽いもの、すなわちライト・ティーもあれば、肉類も出るヘビー・ティーもあるようだ。ヘビー・ティーが出た後のサパーではオートミール程度らしい。ティーとサパーを併せてバランスを取る献立ですかね。
 では、ディナーはどうしたかというと、これは正式な食事会のことらしい。だから普段の夕めしではないようだ。

 イギリスの食い物は不味いと思っているけど、朝食とアフターヌーン・ティーは気に入った。
 ご承知でしょうが、どこのB&Bでも判で捺したような朝食ですね。ベーコン、ソーセージ、目玉焼き、焼きトマト、炒めたマッシュルーム、ハッシュドポテト、フライドオニオンだ。最後の二つは欠けるところもあるが、それでもボリュームたっぷりだ。伝統というか習慣というか、とにかく典型的な朝食ですな。これが気に入っているから、ウチの朝めしは、似非っぽいがイギリス式に徹している。
 映画『旅する女』で、ギリシャを旅するイギリスの主婦が「イギリスの朝食を食べたい」というセリフがあった。観た当時は分からなかったが、多分、焼きトマト、炒めたマッシュルームが恋しくなったのでしょうね。こればっかりは、即席の粉末味噌汁を携帯するようなわけにはいかない。

 アフターヌーン・ティーのスコーンとクロデット・クリームは絶品と思っている。なお、クロデット・クリームが出るティーは、特にクリーム・ティーと呼ばれるようですね。このクロデット・クリーム、首都圏の気の利いたスーパーには置いていたが、片田舎にはない。これが田舎生活の物足りなさですかな。

三多

2007-08-27 14:01:13 | Weblog
 以前、三多について書いた(と思う。忘れました)。宗時代の文筆家の欧陽修の言葉ですね。
 三多とは、看多、做多、商量多とあります。文章がうまくなるためには、三つのことを多くしなさいということでした。それが、看多(よく読め)、做多(よく書け)、商量多(よく推敲せよ)です。今でも通じますな。

 ソウルの鐘路1街から横道に入ったところに三多島という焼肉屋がありました。唯一、漢字語の看板でしたが、今はその看板はない。店はありますから経営者が代わって店名を変更したのかな。三多島とは済州島の別称ですが、三多とは石多、風多、女多を表す言葉とか。読んで字の如くですが、詳しくは韓国観光公社の公式サイトでどうぞ。

 健康のための三多もあるようだ。多動、多休、多接というらしい。運動と休息と人に接することのようだ。引っ込み思案はいけないのですな。では、不健康な三多は飲多、喫多、食多ですか。飲みすぎ、吸いすぎ、食べすぎですが、面白みがありませんな。 

 三多、さんた、さんた、と繰り返すと、「おらぁ、三太だぁ。はなおみ先生が好きだぁ!」というセリフで始まる三太を思い出す。この三太、年配者しか知らんでしょうな。若い人ならサンタを連想するでしょうね。

眠狂四郎

2007-08-26 09:49:29 | Weblog
 文藝春秋写真館なるグラビアの1枚に、城山三郎と柴錬こと柴田錬三郎が写っていた。どちらにも「三郎」が共通するのは偶然でしょう。
 柴錬は、ニヒルでダンディな『眠狂四郎』の生みの親ですね。当人もニヒルとダンディを自認していたようだ。こちとらは、ニヒルよりアヒルですけど。それに、城山三郎の小説のとおり『毎日が日曜日』の身ですから、ダンディよりサンディとなりますわ。
 ちょっとひと言加えると、ダンディを伊達者と訳しますが、18世紀末は「エレガンスを備えた優美で孤高の男」を意味する語として登場したそうである。こちらが眠狂四郎にぴったりですな。

 それはさておき、狂四郎の四郎は、自分の名前から弟分の位置づけでしょうかね。では、「狂」の発想はなんでしょう。
 数十年前に読んだ柴錬の随筆に笑話があった。面白いから今でも忘れない。ただし、文の正確さは保証しない。

「精神病院が火事になった。逃げてきた患者に野次馬が「大変でしたね」と言った。すると患者は「えぇ、もう気が狂わんばかりでした」」

 「狂」はここからきたとひそかに思うのだがどうでしょう。ハイ、お茶飲み話でした。