本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

おみやげ

2017-12-31 09:03:26 | Weblog
 新聞やテレビのニュースで帰省客の様子を伝えている。その中の紋切り型の説明はなんとかならないものか。
 「大きな荷物を持って(あるいは抱えて)…」と荷物にこだわる。おみやげを持参したかのような感じだが、実際は帰省する大人や子どもの着替えが占めていそうだ。おみやげは郷里から持ち帰るほうが多いのではないか。

 「久しぶりの帰省…」帰省客に確かめたと思えないのに必ず説明に入る。1年以上も帰省していなければそうかもしれないが、例えば、お盆に帰って4か月ぶりの帰省でも久しぶりなのか。

 ちょいと横道になるが、実家に迎えて喜ぶ「じじばば」だけならよいが、迎える嫁(多分、長男の嫁)がいれば難儀だね。もっとも、仕方なく行く嫁(多分、自分の実家に行きたいはず)も大変だな。

メモ帳にある俳句

2017-12-30 09:09:30 | Weblog
 今年は明日でおしまい。
 いろんな本から見つけた暮れの句らしい(実際に歳末の時期を詠んだものか知らない)ものをメモっている。

 去年今年 貫く棒の 如きもの 高浜虚子
*なんとも勇壮な句ではないですか。さすが子規の一番弟子

 降る雪や 余生というも やすからず 結城昌治
 *ハードボイルド小説作家のスタンスと違う味わい深い一句です。

 短か夜の 明けゆく水の 匂いかな 久保田万太郎
 *これには返句したくなる。短か余の 明けゆく先の うれいかな

交通事故対策の認知機能検査2

2017-12-29 09:03:34 | Weblog
 昨日、免許更新時の認知機能検査の問題点を述べた。その問題の再掲と改善を挙げる。
・検査合格すれすれの場合、認知機能の劣化は避けられない。となれば、次期免許更新までの3年間を有効のままにしておいてよいかということ。毎年、再認知機能検査を義務化するべきでは ないか。
・検査に不合格の場合、何回も再検査を受けることが可能という。これでは認知症が懸念されても合格させてしまうということ。せいぜい再チャレンジは1回限りにするべきではないか。

 以上の2点に警察に問い質した。その答えは次のとおり。
・認知機能が低下したときにおこりやすい信号無視、一時停止無視等の違反行為があれば「臨時認知機能検査」を受けることになる。この検査で認知症と診断されれば免許取消し処分を受  ける。
・検査当日の体調不良や緊張感により本来の力を発揮できない方もいるので再受検制度がある。認知症を患っていれば、何度受検しても及第点に達しない。

 なるほど、それなりに答えがあるものだ。

交通事故対策の認知機能検査

2017-12-28 09:03:41 | Weblog
 75歳以上の者を対象として運転免許の更新には「認知機能検査」が義務化された。
 この認知機能検査について新聞投書に「記憶力はよくなかったが一応パスした」あるいは「80歳の母は問題なしで更新できたが、半年ほど前から言動がおかしかった。実際、更新後に病院で認知症と診断された」とあった。
 この投書から認知機能検査は認知力の判断に有用と思えないのだ。そのうえ検査に失敗したとしても何度でも検査を受けることができるそうだ。これでは余程のことがない限り、検査にパスさせるということではないか。

 この制度の有効にするならば強化が必要だろう。
 まず、検査にぎりぎりパスするような総合点の低い者に3年後の次期免許更新まで有効としてよいかということ。1年経てば再認知機能検査を義務化するべきだ。
 また、不合格の者に何度も検査を受けさせてようものかということ。せいぜい再チャレンジは1回限りにするべきだ。
 そうでなければ、高齢者の認知症患者の交通事故はなくならない。

 この項、続く。

没後の手立て

2017-12-27 09:06:50 | Weblog
 真面目に構えた話をしたい。
 高齢化社会がますます顕著になると、年寄りだらけになって、納骨するべき場所の需要が加速的に高まる。生前に納骨の場所を確保できれば安心して往生できるというものだ。 

 誰もかれも檀那寺があるわけではない。先祖代々の墓を継ぐ者ではない限り、兄弟といえども永遠に眠る場所の手立てがいる。核家族化により独居老人になれば早めに手を打たねばならない。

 そこで、公営霊園があればよいと思う。公的な霊園は、高齢者だけではなくある年齢に達する人たちにもニーズがあるのではないか。移住してきた私もそのひとりで、宗教色のない公営霊園が望ましいと思っている。