本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

うちの鹿

2016-02-29 09:36:24 | Weblog
 新聞のエッセイで、敷地内に「うちのシカ」が住んでいると住人が言っていた。ニューヨーク州ウッドストックの話であった。
 「すごいね、家にいながら野生のシカが見られるなんて」と日本から来た筆者が言う。
 
 大富豪ではないが、当たり前にその地区では、敷地はそれぞれ5エーカー(6千坪ほど)もあるとか。そこにシカがいても不思議はない。うちのシカもお隣のシカもいるのだろう。
 
 家にいながら野生のシカが見られるのは珍しくもない。我が家でも複数のシカが時々視界に入る。つい、最近も小ジカを含めて3頭が防護柵の近くにいた。母娘かと思ったが角がない。オスがいないのなら三姉妹だったか。
 
 このエッセイにこだわったのは、シカの被害に触れていないからだ。要するに農作物はおろか草花も育てていないということだ。
 こっちはシカの被害でうんざりしている。日本では共生できるわけはない。

B&Bの朝めし

2016-02-28 09:23:44 | Weblog
 21世紀に入る直前に、レンタカーでかみさんと英国を旅行した。それぞれ1週間ほどの滞在で、宿はすべてB&B(ベッド・アンド・ブレックファスト) を利用した。この朝食付きの民宿は場当たり的に泊まれるから便利である。
 
 最近はどうか知らないが、あの頃はイギリスに美味い物なしだった。唯一、自慢してよいのは朝食ではなかったか。

 朝食のメニューはトーストに目玉焼き、ベーコン、焼いたトマトとマッシュルームそれと紅茶かコーヒーだった。イングリッシュ・ブレックファストと呼ばれているボリュームたっぷりの朝食である。

 これが気に入って、旅行から帰ってから我が家はこの英国風の朝食にしている。つまり20年以上このスタイルに固定している。ただし、加齢につれ卵やハム・ベーコンの加工食品を減らして、生野菜を多くしている。

 特筆するのはかみさん手作りの野イチゴジャムが加わる。毎年、野イチゴを摘みにあちこちに出かける。これぞ田舎暮らしだから可能になった朝食の一品である。

断水

2016-02-27 09:23:12 | Weblog
 老朽化している水道管が破損して漏水漏れの騒動があった。厳寒の影響らしい。給水車が出動するテレビを観て、我が家は井戸水でよかったわいと思ったものだ。
 
 ところが昨日、突然停電した。ブレーカーに異常はない。わけが分からず電力会社から人を呼んだ。「漏電遮断器」なるスイッチが落ちていた。これがブレーカーと連動していて、ひとつのブレーカーに漏電があるとなった。そのブレーカーだけを落として、漏電遮断器のスイッチを正常に戻すと電力は回復した。
 
 ちなみにブレーカーは18個もある。部屋やキッチンやトイレや小屋など別箇の配線になっている。かみさんが差配しているので、こんなことを私は知らなかった。この日に限って、朝からかみさんは博多に出かけている。
 
 さて、漏電遮断器を作動させたブレーカーは井戸水を汲み上げるポンプにつながっていた。ガタがきたポンプの電気系統がショートしたのだろう。水が出ないわけだ。井戸水は電気で断水したということだ。
 
 新しいポンプは18万円とか。背に腹は代えられない。水道屋さんは今取り付けているところである。

今日は何の日

2016-02-26 09:45:35 | Weblog
 今日2月26日は「二・二六事件」で知られている。この日は日本人に知られていないが、詩人尹東柱の祥月命日である。
 
 以前にも触れたが、ソウルの延世大学のキャンバスにある彼の詩碑を訪れたことがある。ちょうど小学生ほどの児童数人が熱心に見学していた。教科書にも載っているから国民的詩人である。

 日本に留学中治安維持法違反で逮捕され、昭和19年3月31日に懲役2年の判決を受けた。禁止されているハングルで作詩したことなどが民族意識の昂揚に努めたというのが罪科である。日本は狂っていた時代と言うほかない。

 判決後、福岡刑務所に収監され、翌年の昭和20年の今日と同じ日に獄死した。敗戦のわずか半年前のことだから痛ましい。死因は脳溢血といわれるが、27歳の青年にしてはまことに不審な死因である。
 なんらかの注射を打たれたと語る服役者がいたが、真相は闇に葬られた。

江戸時代の女の教育

2016-02-25 09:22:41 | Weblog
 江戸時代には町民や農民でも識字率は高かった。これは寺子屋という教育システムによるものだろう。
 
 ただ、風俗画に描かれている寺子屋には女の子が登場していない。男女七歳にして席を同じゅうせずという時代だからわからないでもない。それでも女性の識字率も極端に低かったわけではなさそうだ。一体、どこで文字を覚えたのだろうか。
 
 女の子の学ぶべきスキルに裁縫があっただろう。となれば基礎的な縫製用語を覚える必要はあるし、縫い方や寸法取りなどを書きとめることもあろう。当然、リテラシーは欠かせない。しかし、誰もが武家や大店に行儀見習いで世話になるわけはない。
 想像だが、寺子屋に類する縫製を習うドレメもどきがあったか、と思ったりする。

 江戸時代の教育に関する講演など聴いても、女性の教育はスポッと抜けている。そのことを質問しなかったのは、こちらもそこに想いはいかなかった。
 新聞の男女共同参画の活字を見て、そういえば…となった。