新聞・雑誌のへんてこ記事を挙げてみましょう。
「ツポレフ154旅客機が突然爆発し、墜落した。同機に搭乗していた乗客64人と乗員12人の安否は絶望視されている」
安否とは安全か否かですよね。ならば「安否は気遣われる」となりますわ。絶望視に力点をおけば「生存は絶望視されている」となりますよ。
深読みすれば「安全かどうかを問われると、絶望的でしょう」という意だろうけど、言葉面では読めませんな。
最近の新聞に「マラッカ海峡3人誘拐 船長ら安否不明」とあったけど、これが正しい。
米国のニューヨーク・タイムズ紙が日本の若い女性の厚底靴流行を物珍しげに紹介していたという記事の続きに「米紙の記者はまだ生まれていなかったからご存じないかもしれないが、ルネッサンス時代の欧州で、上流夫人の間で厚い靴底の靴が大流行した…」とある。へぇー、この記事を書いたコラムニストは年齢が4百歳以上かね。だって「米紙の記者はまだ生まれていなかったからご存じない」というからには「わたしはルネッサンスの時代に生まれていたからよく知っている」というニュアンスになりますもの。
「米紙の記者はご存じなかったかもしれないが」でよいでしょうに。余分なことを付け加えてはいけないという見本ですわ。
かの鈴木宗男元議員の関連で「ソ連・ロシアと舞台裏で闇の関係を築いた政治家たちが、いずれも悲劇的な末路を辿ってきた」とあった。おいおい「悲劇的」とは、本来そうなるはずのない人が過酷な運命に翻弄されることをいうものでしょう。「罪の報いを受けた」、「しっぺ返しを受けた」、「鉄槌を下された」あるいは「自業自得」や「身から出た錆」の結末だろうに。
その文には、また「金丸信元副総理も脱税や不正献金事件で離党・議員辞職と不遇な晩年を送った」とある。不遇ですかねぇ。不遇とは才能があっても運がなく世間に認められなかったことでしょうに。5億円の札束や金塊を金庫に隠し持っていたあの狸親父は、なにが不遇ですかね。
次は「文章技術の心得」なる本です。サブタイトルに「誤解できないように書くために」とある。小骨が突き刺さったように感じましたね。「誤解+サ変活用」の複合動詞にして「誤解されないように」とか「誤解しにくいように」とか「誤解することがないように」にするところでしょうよ。
そもそも「誤解」は動作名詞ですかねぇ。「中」や「~を行う」を付けて意味が通れば動作名詞という。わたしゃ、これに「できる、できない」も加えたい。つまり「食事中、食事を行う、食事できる、食事できない」、「営業中、営業を行う、営業できる、営業できない」ついでに勉強、複製、貸与も意味が通る。でも「誤解中、誤解を行う、誤解できる、誤解できない」は変ですもの。
「ツポレフ154旅客機が突然爆発し、墜落した。同機に搭乗していた乗客64人と乗員12人の安否は絶望視されている」
安否とは安全か否かですよね。ならば「安否は気遣われる」となりますわ。絶望視に力点をおけば「生存は絶望視されている」となりますよ。
深読みすれば「安全かどうかを問われると、絶望的でしょう」という意だろうけど、言葉面では読めませんな。
最近の新聞に「マラッカ海峡3人誘拐 船長ら安否不明」とあったけど、これが正しい。
米国のニューヨーク・タイムズ紙が日本の若い女性の厚底靴流行を物珍しげに紹介していたという記事の続きに「米紙の記者はまだ生まれていなかったからご存じないかもしれないが、ルネッサンス時代の欧州で、上流夫人の間で厚い靴底の靴が大流行した…」とある。へぇー、この記事を書いたコラムニストは年齢が4百歳以上かね。だって「米紙の記者はまだ生まれていなかったからご存じない」というからには「わたしはルネッサンスの時代に生まれていたからよく知っている」というニュアンスになりますもの。
「米紙の記者はご存じなかったかもしれないが」でよいでしょうに。余分なことを付け加えてはいけないという見本ですわ。
かの鈴木宗男元議員の関連で「ソ連・ロシアと舞台裏で闇の関係を築いた政治家たちが、いずれも悲劇的な末路を辿ってきた」とあった。おいおい「悲劇的」とは、本来そうなるはずのない人が過酷な運命に翻弄されることをいうものでしょう。「罪の報いを受けた」、「しっぺ返しを受けた」、「鉄槌を下された」あるいは「自業自得」や「身から出た錆」の結末だろうに。
その文には、また「金丸信元副総理も脱税や不正献金事件で離党・議員辞職と不遇な晩年を送った」とある。不遇ですかねぇ。不遇とは才能があっても運がなく世間に認められなかったことでしょうに。5億円の札束や金塊を金庫に隠し持っていたあの狸親父は、なにが不遇ですかね。
次は「文章技術の心得」なる本です。サブタイトルに「誤解できないように書くために」とある。小骨が突き刺さったように感じましたね。「誤解+サ変活用」の複合動詞にして「誤解されないように」とか「誤解しにくいように」とか「誤解することがないように」にするところでしょうよ。
そもそも「誤解」は動作名詞ですかねぇ。「中」や「~を行う」を付けて意味が通れば動作名詞という。わたしゃ、これに「できる、できない」も加えたい。つまり「食事中、食事を行う、食事できる、食事できない」、「営業中、営業を行う、営業できる、営業できない」ついでに勉強、複製、貸与も意味が通る。でも「誤解中、誤解を行う、誤解できる、誤解できない」は変ですもの。