本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

アメリカ式審判方法

2006-04-29 16:16:05 | Weblog
「彼の判定はホームチームに有利になることはほとんどなく、きわめて中立的な笛を吹くため、どのチームの観客からも嫌われていた」こんな文を読んだ。アメリカのバスケットの審判の話である。バスケットに限らず、ホームタウン・ディシジョンがあるから時に信じられない判定が起こるそうだ。アメリカのホーム&アウェイのシステムは、有利判定試合のバーターというか帳尻あわせというか、まァ、そのためのシステムのようだ。
 
 ヨーロッパのサッカーのホーム&アウェイはどうか。半可通で言えば、審判のホームタウン・ディシジョンというより熱狂的なサポートの有利性ではないか。
 
 話を戻して、先のWBCのデビットソン球審は、いつものホームタウン・ディシジョンのつもりで判定変更をしたのかもしれない。だから謹慎もせず、メキシコ戦でも誤審、いやホームタウン・ディシジョンを下し、なお、他の試合でも堂々と審判に加わった。しかし、かの審判の間違いは、WBCでは日本やメキシコにホームの試合がないことである。
 アメリカ式審判は、国際の場の政治でも経済でもありますな。

タヌキの贈り物

2006-04-26 10:13:57 | Weblog
 隣家からおはぎをもらった矢先、今度は知人から頂戴したのが手作りのコンニャクと採りたてのタケノコ、そしてもう一つがギンナンである。
 秋のギンナンが今なぜか。聞くところによれば、裏山の銀杏の実を取らずに放っていたらしい。最近、行ってみるともう実はない。ただ、土が山盛りになっているところがあった。掘ってみるとギンナンが詰まっていた。どうやらタヌキが貯えていたらしい。それを失敬してきたという。人をだますというタヌキをだましたようなものだ。
 タヌキといえば、我が家の庭にも現れた。野良猫にやるエサを喰っていた。ほんにここは、田舎だなァ。

収穫祭の行方

2006-04-25 14:39:08 | Weblog
 隣のおばさんから手作りのおはぎをいただいた。田舎の風情ですな。
 ついでに、ほったらかしの裏の畑地に野菜を植えなさいと言う。176㎡ほどだが、それなりの種類と量の野菜が収穫できるらしい。とは言え、近くの「道の駅」でどんな野菜も安く入手できる。それに労を惜しみたいのが私の本音である。

 もっとも、昨秋、花壇の隅に植えたイチジクの苗は手間をかけないのに葉を大きくして、実をつけていた。そこで、一念発起して、どうせやるなら野菜でないものをとスイカの苗を植えることにした。ほんの四株だが、生まれて初めて鍬を使って、石灰と牛ふんで畑を耕した。さて、夏にスイカができるのだろうか。

 今後、病みつきになってトマト、ナス、キュウリ、ダイコン、タマネギ、ジャガイモなんぞを植えることになるのか、スイカの玉しだいだ。

思いやりと思惑

2006-04-19 17:03:41 | Weblog
 在日米軍の駐留費支援の「思いやり予算」は、これまでの累積4兆5千億にもなるという。相手は世界一の大国、大した思いやりである。つまり、思いやりではなく政治的思惑の予算だろう。
 
 転じて、数年前のリトアニアの話。首都ビルニュスの若いタクシードライバーは、「カウナス、スギハラチウネ」のひと言で、百キロも離れているカウナスの旧日本領事館に向かった。スギハラチウネとは言うまでもなく杉原千畝氏のことである。時の日本政府は同盟国ドイツへの思惑からユダヤ人に査証発給を認めなかったが、氏は本国の命令に逆らって6千人に通過査証を発給した。その思いやりが、忘れ去ることのない崇高な歴史としてリトアニアに根付いていた。
 
 この国は対外の思惑に精を出すが、弱い立場の人を本当に考えているのだろうかとつくづく思う。

推敲はカ行とサ行

2006-04-19 17:02:07 | Weblog
 ビジネス文の推敲の要点は「カキクケコ」といわれている。カ(箇条書きの工夫をしているか)、キ(切りよい段落になっているか)、ク(句読点をしっかり打っているか)、ケ(敬語の使い方は正しいか)、コ(構成は正しく組み立てているか)である。ビジネス文に限らずどんな文章にも応用できそうだ。
 
 私はこれに倣って「サシスセソ」も付け加えたいと思う。すなわちサ(作法は正しいか)、シ(修飾語句を控えめにしているか)、ス(筋道は通っているか)、セ(接続助詞を多用していないか)、ソ(素材は適切か)である。
 少し補足する。作法とは日本文の型式を踏まえること、接続助詞の「が」や「ので」を多用すると一文が長くなること、素材を精選しないと空疎な内容になること、これがサ、セ、ソである。シとスは説明不要だろう。

 これで、推敲の急所を得たと満足しているが、その実、文の吟味をおろそかにしがちだ。
書き終えたものを一晩寝かせて、読んでみることが推敲の良薬かもしれない。