本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

葬儀参列

2018-08-31 09:03:38 | Weblog
 25日に身内の不幸で、福岡から東北地方に飛んだ。
 火葬場の都合で通夜、告別式が順延になり、やっと29日に戻った。その間、ブログ文作りはお休みとなった。

 火葬場で骨を拾う (収骨) のは、順番どおりでいけば、両親と連れ合いの両親の4回だが、ほかに兄弟姉妹やその伴侶などもある。結果、今度で7回目の収骨になった。

 ともあれ、明日から9月。加齢により時間の流れが速く感じられることを、人生のドップラー効果というそうだ。まことに月日の流れは速い。ふと、次の歌を思い出した。
 「我やさき人やさ きけふとも知らずあすとも知らず」(蓮如上人)

軍事郵便

2018-08-24 09:25:47 | Weblog
 NHKスペシャルで「届かなかった手紙」のタイトルで、戦時の軍事郵便を話題にしていた。南方の戦地にいた日本兵が書いたものだ。ただ、米軍の圧倒的戦力に、郵便物は内地に届けようもなかった。そして彼らは戦死した。

 島々を占拠したアメリカ軍は、累々たる戦死者から軍事郵便を持ち帰った。それで、大量の軍事郵便がアメリカで保存されていた。
 米軍将校は軍事郵便から情報を得られるだろうと思っていたらしいが、まったくの空振りだったに違いない。

 というのは、「元気で過ごしています」という紋切り型の文言ばかりだからだ。
 軍事郵便は検閲されていたから滅多なことは書けない。軍上層部は敵国に情報が洩れることを心配したわけではない。ある本によると、泣き言でも作戦批判とされ配達されなかったそうだ。兵士の留守家族に安心させるためのウソ内容しか書けなかったということだ。

 それに加えると、特攻隊の面々は「皇国のために散華する名誉」と遺書に書いたようだ。なにしろ遺書の書き方見本があったとある。ただ、みんながみんなステレオタイプ的遺書ではおかしいから味付けを変えたかもしれないが。

 隊員によっては、特攻機に乗り込むとき嫌がったり、暴れたり、小便を漏らしたりしたという。整備士はそれら隊員を無理やり操縦席に押し込め「内地の家族は臆病者一家と世間から言われるぞ」とおどしたとか。後味が悪い思いをしたと整備士が戦後に語ったそうだ。
 戦後73年、特攻隊員の遺書を展示している博物館もあるが、ことさら隊員を美化することは避けてはどうか。

 ついでながら、手元に、未使用の軍事郵便の絵はがきがある。古島松之助の風景画2枚と鶴田吾郎の特攻隊員の「出動前の陸の荒鷲」なるの絵など2枚である。

ブラックアウト始末2

2018-08-23 09:42:30 | Weblog
 フィレンツェ駅までたどり着いたが、当たり前だが大動脈の幹線でも運行停止である。街の観光どころではない。ローマからの帰国便は格安航空券だったので融通は効かない。乗り遅れたら大変なことになる。
 混雑する駅の切符売り場で5時間も並んで復旧を待った。やっと回復したので奮発して1等乗車券を買った。これが甘かった。電車に人は殺到して、すし詰め状態である。なんとかデッキにたどりついたが、そこから動けなかった。ほとんどの乗客は無賃乗車のようだった。1等乗車券を発券した駅員を恨めしく思ったものだ。

 へとへとになってローマのテルミニ駅に着いた。構内は大混雑だった。足止めくった旅する客の群れである。
 早速、予約していた駅近くのホテルに行った。こじんまりしたホテルの支配人らしき男から「NO」と拒絶された。電話で泊まりの確認をしないからだという。宿泊を希望する旅行者が目白押しの様相の駅周辺だ。ダブルパンチの思いだった。
 それでも、トスカーナからやっとたどり着いた、と哀願して粘り勝ちになった。

 幸い無事に飛行機に乗れた。大停電で焦りまくった旅だった。

ブラックアウト始末

2018-08-22 09:07:09 | Weblog
 15年前、北アメリカで大停電が起こった。8月14日のことだが、それから1か月余にイタリア全土でもブラックアウトが起こった。ただ、アメリカのそれよりは世間の印象は薄かったようだ。

 しかし、実際に渦中にいて粟を喰った。
 かみさんとピサやシエナなどイタリアトスカーナ地方を旅して、名も知らぬ小さな村のアグリーツリズモ(農家民宿)に泊まった。翌9月28日、その大規模な停電にぶち当たったのだ。イタリアでは電力はフランスからスイス中継で供給されている。その送電線で障害が発生したためだ。そのことは後で知った。

 最寄りのローカル線の駅にたどり着いたが、電車は動いていない。その日、フィレンツェを見物して、そのままローマに戻って1泊し、翌日、帰国の予定である。
 そこで、駅前にあったタクシーでフィレンツェ駅に行くことにした。タクシー料金は邦貨で1万円ほどだった。足元を見られたかもしれないが、やむを得ない。

 この項つづく

第2の加計問題か

2018-08-21 08:57:36 | Weblog
『文藝春秋』9月号に東京医科大事件を扱った記事がある。この中で「ブランディング事業」なる私学向けの補助金事業に触れている。この事業は2016年からスタートした。すなわち安倍内閣の政策になる。

 東京医科大は申請した初年度に選ばれなかった。なにしろ選定されたのは198校から40校である。競争率5倍の狭き門なんですね。
 その翌年に同大学は再チャレンジして首尾よく補助金対象になった。これが裏口入学とのバーターの便宜ではないかとみられている。

 記事の本質はこのことなのだが、気になったのは、加計学園グループの二校が狭き門を通っていること。これは胡散臭い。第二の加計問題ではないだろうか。

 雑誌が発売後10日過ぎた。マスコミからも野党からも追及の動きがみえない。マスコミは総裁選が近いので遠慮したか。加計問題はうやむやのままだ。再燃にいいチャンスではないか。