毎日楽しんで観ているNHK連続テレビ小説『おかえり モネ』。
気象予報士になるため上京したモネに、ついつい思い入れが過ぎて、テレビを観ながら、
「モネ がんばって!」
などと、口にしたりしてしまう私です。
気象に関する事には、けっこう興味を持っていますので、テレビを観た後、自分も予報士になった目つきで空を眺めたりしてしまいます。
西の山並みは見えません。
雲は厚くはありません。
無風状態。
〈降っても たいしたことは無い〉
が、私の予報です。
子どもの頃、遠足の前日の夕方、
“あーした天気になーれ”
などと、下駄の片方を抛りなげて、天気占いをしたものです。
暑い夏の日の午後、明治27生まれの父は、空模様を眺めて、こんな言葉をよくクチにしていました。
『亥(い)※の方角の入道雲なんて 怖かぁねぇや。女の腕まくりと おんなし(同じ)よ。』
『庭に、ついでに道にも、水、撒いちゃいな。』
(※亥(い)・・・北北西微西)
キャリアの女性などが聞いたら、お叱りを受けそうな表現ですが、そうした父のコトバが懐かしく思い出されるのです。
スポーツにはあまり関心のない私です。
でも、テレビをつけると、どの局もオリンピックに係わる内容ばかり。
目の具合を慮って、根を詰めた読書は避けていますし、散歩をするには暑すぎます。
となりますと、やっぱり好きな詩人の詩集などを手繰ることに。
『あいたくて』
くどうなおこ
だれかに あいたくて
なにかに あいたくて
生まれてきた――
そんな気がするのだけれど
それが だれなのか なになのか
あえるのは いつなのか――
おつかいの とちゅうで
迷ってしまった子どもみたい
とほうに くれている
それでも 手のなかに
みえないことづけを
にぎりしめているような気がするから
それを手わたさなくちゃ
だから
あいたくて
(『くどうなおこ詩集』童話屋刊より)
私も、《みえないことづけを にぎりしめているような気が》しています。
迷いながら。
気象予報士になるため上京したモネに、ついつい思い入れが過ぎて、テレビを観ながら、
「モネ がんばって!」
などと、口にしたりしてしまう私です。
気象に関する事には、けっこう興味を持っていますので、テレビを観た後、自分も予報士になった目つきで空を眺めたりしてしまいます。
西の山並みは見えません。
雲は厚くはありません。
無風状態。
〈降っても たいしたことは無い〉
が、私の予報です。
子どもの頃、遠足の前日の夕方、
“あーした天気になーれ”
などと、下駄の片方を抛りなげて、天気占いをしたものです。
暑い夏の日の午後、明治27生まれの父は、空模様を眺めて、こんな言葉をよくクチにしていました。
『亥(い)※の方角の入道雲なんて 怖かぁねぇや。女の腕まくりと おんなし(同じ)よ。』
『庭に、ついでに道にも、水、撒いちゃいな。』
(※亥(い)・・・北北西微西)
キャリアの女性などが聞いたら、お叱りを受けそうな表現ですが、そうした父のコトバが懐かしく思い出されるのです。
スポーツにはあまり関心のない私です。
でも、テレビをつけると、どの局もオリンピックに係わる内容ばかり。
目の具合を慮って、根を詰めた読書は避けていますし、散歩をするには暑すぎます。
となりますと、やっぱり好きな詩人の詩集などを手繰ることに。
『あいたくて』
くどうなおこ
だれかに あいたくて
なにかに あいたくて
生まれてきた――
そんな気がするのだけれど
それが だれなのか なになのか
あえるのは いつなのか――
おつかいの とちゅうで
迷ってしまった子どもみたい
とほうに くれている
それでも 手のなかに
みえないことづけを
にぎりしめているような気がするから
それを手わたさなくちゃ
だから
あいたくて
(『くどうなおこ詩集』童話屋刊より)
私も、《みえないことづけを にぎりしめているような気が》しています。
迷いながら。