今年最後の日曜日。
教会の礼拝に出席しての帰り道です。
気持ちがホッコリしたことがありました。
いつもの停留所で、バスを降りようとしましたら、東南アジア系と思われる青年が4人、
バスに乗ろうとして、
「このバスは 〇〇駅へ行きますか?」
と、バスの運転手に尋ねたのです。
青年と言っても、表情は少年です。
私から見れば〈この子達〉の表現がピッタリ。
『あぁ 駅方面へは向かい側の停留所から乗って下さい』
と、答えて運転手はバスを発車させました。
向かい側の停留所といっても、その場所は80メートルほど離れた場所にあり、やや塀の
陰に設置してありますので、初めての方には探しにくい場所なのです。
4人の青年は、やや戸惑った状態の様に見受けられましたので、バス停の方向を指さし、
『真っすぐに80メートルくらい行って、右側の塀のそば・・・分かる?』
と訊ねたのです。
そして、
『今、行ったバスが終点まで行って、そこから戻って来るから15分程待てば乗れますよ』
と、言い添えたのでした。
「ワカリマシタ アリガトウゴザイマス」
そう、私にお礼の言葉を残して4人は歩き始めたのですが、土・日は運行するバスの本数
も少なく、乗り遅れれば1時間ほど待たねばならなくなってしまいます。
〈ワカリマシタ〉と、言ったものの、何となく心配になった私は、しばらく道に立って青
年たちの後姿を眺めていたのです。
一人の青年が、私の姿に気づき、振り返って手を振ってくれました。
〈ありがとう〉の意だったと思われます。
バス停近くまで行ったのですが、通り過ぎてしまいそうになったので、私は、指差しをし
て「そこよ」と、声に出しました。
声は届かなかったのでしょうが、私のパフォーマンスに気づいたらしく、4人ともバス停
の前に立ったのでした。
そして、4人並んで両の手を高く掲げて私に挨拶の意を示してくれたのです。
私は嬉しくなって、ジーンとしてしまいました。
そして荷物を地面に置き、私も両手を上げて、バイバイしたのです。
我が家に向かって道を曲がり、真っすぐ歩き始めましたが、手を振ってくれた4人の姿が
嬉しくて、嬉しくて、もう・・・・・・
あの子たちが手を振ったのは、私に対してというより、ふるさとの〈ばあちゃん〉の面影
にだったのかもしれません。
涙が出てしまいました。
今日は、とてもいい日でした。
「ありがとう」と、言ってみました
あの子たちを、雇用契約違反等で、悲しい目に遭わせたりしてなるものかと、皺くちゃな
小さい拳を振り上げた〈ゴマメのばーば〉でした。
今日、礼拝で与えられた み言葉です。
『涙をもって種まく者は、
喜びの声をもって刈り取る。
種を携え、涙を流して出て行く者は、
束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。』
(口語訳 『詩編』126章より)