ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

『壁ではなく橋を』

2019-10-31 06:17:59 | 日記
我が家の柿の木は今年一個も実をつけませんでした。
梅雨が上がったころ一個の青柿が地面に落ちていましたから一個、実を付けたことは
確かです。
この季節になっても、葉っぱが元気過ぎるくらいに存在感を示しています。
朝晩冷え込む様になって来た昨今は、朝、落ち葉が目立ちはしますが、〈何だか変な〉
感じなのです。
この土地に越してきて30年。
その際に以前住んでいた家の庭から運んで来て植え替えたものですが、年によって出
来、不出来はあっても一個も実らないことなどありませんでした。
やっぱり、異常気候だったのでしょうか。

元徴用工訴訟で韓国最高裁が日本企業に賠償を命じる判決を出してから1年を迎えま
した。
現在の状況は、韓国にとっても日本にとってもいい事ではないと思います。
韓国内でも様々な動きも出て来てはいるようですが、何とか友好の橋が架けられない
ものでしょうか。
『壁ではなく橋を』と言われたのは、ローマ法王フランシスコさまでした。
台風や大雨の被害の復興にも人と人の橋や、援助という橋が必要です。
韓国との間にも「橋」を架けたいと願っています。


【 『落選原稿』・・・メタボ的愛着・・・その7 】

【パリの灯は見えるか】
『長生きすりゃいいってもんじゃない』(日野原 重明・多湖 輝 共著)の中に
〈家も生き方も「段差」をなくすな〉という章があった。
もろ手を挙げて賛成。
加齢により、身体機能に低下傾向の見られる私にとっては、まことに前向きな助言、
足を一歩前に踏み出せる力ともなる。
心身の機能がおちてくる年齢ともなれば、まずは心身の安全を保つことが第一であ
ろう。
しかし、そのことが目的になってしまうと、むしろ心身の退化を呼び込んでしまう
危険性がある。
あれもだめ、これも危険とばかり言っていると、何にも手が出せなくなってしまい
かねないし、生活の質も侘びしく色あせてしまいそうだ。
歳を重ねれば、すべての身体機能が劣化してくるのは自明な事であり、また、生き
るとは、老若を問わず、常に心身の危険と隣り合わせという事であろうから、若者
より平均余命の短い高齢者の私などは、むしろ何事にも冒険してみた方がいいので
はないか、と常々考えている。
こたつのなかでテレビをつけ、好物の〈固焼き醤油味せんべい〉などを、毎日ボリ
ボリとやっていたら、数週間でメタボ予備軍となってしまいそうなので、私は、毎
晩寝る前に体重計にあがり、数値を記録(“NHK・ためしてがってん”で勧めてい
た)している。そして、数値が上昇傾向になると‘もう、明日からは間食を止めよう’
と心に誓う。
だが、次の日には早々と好物の誘惑に負けてしまい、“明日から 明日から。”と実
行の先送りとなってしまっている情けない日常ではある。
〈家も、生き方も「段差」をなくすな〉という生き方に、もろ手を挙げて“賛成”と
言ったものの、日々の暮らしの中では、ついつい安易な方を選び取ってしまいがち
なので、せいぜい、心の在り様だけは、『段差はそのまま』多少のハードルと共に
生きたいと願っている。
しかし、若者や壮年の方に交じって何かを習得しようなどという際は、これまた恥
を忍ぶ、冷や汗をかく、侮りの視線に耐える、等々、面白からぬことも覚悟しなけ
ればならない。

数か月程前、パソコン教室(『誰にでも出来る!初心者歓迎』というキャッチフレ
ーズにつられて申し込む)に数回通ってみた。
授業中は、耳も目も私なりにフル回転させていたのだが、終始汗のかきどおし。
持って生まれた気の強さで何とか終了させて頂いたが、インストラクターにとって
は、かなりハタ迷惑な生徒であったことだろう。
良く聞いて! 良く見て! と何回も何度も注意される世話のやける生徒であった。
耳も目も記憶力も、そして用語も、若い人たちについていけなかったのだ。
でも、おかげさまで何とかこうして文章も打て、メールを楽しみ、インターネット
であれこれと情報を得る事も出来、楽しみが一つ増えて、今、心から喜んでいる。
遅ればせながら、あの時教えて下さったインストラクターの女性の方に「ありがと
う おかげさまで」と申し上げたい。
パソコン教室に通っていた数日間、私は〈聞くは一時の恥。聞かぬは一生の恥〉と、
親から教えられた諺を胸に、目薬をさしながらのガンバリだった。
久々の、心弾むガンバリでもあった。
歳を重ねれば、覚える事も少々、いや、かなり覚束なくなっては来るのだが、日々
の暮らしを楽しむ為には「聞く」ことに恥じ入ることなど全く無用。
若者の脳細胞と比べることなど論外。
差が有って当然。
鮮度が違うのだ、鮮度が。
何回も、何度でも聞いてみるのが私のスタンスだ。
【適度な危険は人生を豊かにする】と言ったのは、大西洋横断無着陸飛行のリンド
バーグ。
リンドバーグのようにはなれないが、さあ、恥をかく準備は整った。
かなり老朽化した翼だが、飛び立とう。

『パリの灯は見えるか!』
                  (エッセー集「春が立ちますから」より)

    ※ この原稿は、昨年、あるところへ応募した『落選原稿』です。
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緒方貞子さん 心からご冥福をお祈りいたします。

2019-10-30 06:19:33 | 日記
裏磐梯の爽やかな空気を体いっぱいで味わってきたせいでしょうか、今朝は、5時半に
すっきり目覚めました。
我が家の小さな庭や、近隣の公園、道端の雑草(雑草なんて言ってごめんなさい)にも
季節は息づいていますが、磐梯山と言う大きな山と湖沼、風はなくとも充ち満ちている
宇宙の気が私を包んでリフレッシュしてくれたものでしょうか。
それに、生まれて一か月半になる2番目のひ孫・Tちゃんの安らかな寝顔を帰りのクル
マの中で、ずーっと眺めて来たせいもあるのでしょう。

国連難民高等弁務官として難民救援の先頭に立ち、国際協力分野で幅広い活動をなされ
た緒方貞子さんが亡くなられました。
私の尊敬、というより好きな、それも憧れに近い方でした。
凛としたもの言い、毅然とした姿勢。
心からご冥福をお祈りいたします。


【 『落選原稿』・・・メタボ的愛着・・・その6 】

【狼は子羊と共に】
昭和二十年八月十五日、私は空襲を避けて郡山市の郊外に疎開していました。
そこには、鯉を飼っている池が幾つかあって、そこの狭い番小屋を貸して頂いていた
のです。
低い莚敷きの板床で、電気、水道は、もちろんありません。
当時、私は国民学校の三年生で、川田というところにある学校に通うことになってい
ましたが、通学路の途中にある森は暗く、野犬が吠えたりしますので、毎日、算数と
国語の教科書を一ページずつ勉強することを母と約束し、学校へは通いませんでした。
八月十五日の夕刻、別の番小屋に疎開していたKさんが、池の向こう側から、「無条
件降伏だ!」と、大声で私たちに知らせてくれました。
無条件降伏の意味が私には判らず、六年生だった兄に尋ねたところ、アメリカが日本
に降参したらしいとのことでした。
強い国『神国日本』と学校で教え込まれていましたから、そのように推測したのは当
然のことだったのでしょう。
しかし、Kさんの話を聞いた私は、とてつもない恐怖感に襲われたのです。
鬼畜米英たる敵が攻めて来て、日本人は皆殺しになるのだろうとの不安に怯え、「早
く、どこか敵に見つからない山奥に逃げよう」と泣く私を、「だいじょうぶ、だいじ
ょうぶ」母はそう言って背中をトントンと優しくたたいて、一晩中、抱いていてくれ
ました。

B29の爆音を耳にすることもなくなり、二日ほどしましたら、夜、隣村の灯りがポッ、
ポッと見えたのです。あのチカチカした電燈のまたたきは、安らぎそのものでした。
そして、私の恐怖心は徐々に薄らいでいったのです。
病気が悪化した姉は、五月、灯火管制下の暗い夜に逝ってしまい、母が一番泣きました。
私は、あの晩のことを、今でも忘れることができません。
十月の半ばになって、私たちは疎開先から自宅に戻ったのです。
どこの家にも電燈がついていました。
銭湯は湯量が少なくイモ洗いの状態で、食べ物不足の暮らしでしたが、学校にも復帰し
ました。
ジープに乗ったアメリカ兵を、街のあちこちで見受けましたが、捕って食われたりはし
ませんでした。
あれから六十七年、昨年は地震・津波・原発事故と恐い目にも遭いましたが、今、私は
生きています。
生きています。
散歩でしょうか、庭先の道路を犬と飼い主が通って行きました。
私は、警戒区域に残されてしまった犬や猫、やせ衰えて死んだ牛、名も無い虫や生きも
の達の「いのち」に、心の中で「ごめんね」と謝りました。
平和への祈りと共に、聖書のことばが思い起こされる八月の昼下がりです。

   《狼は子羊と共に宿り
     豹は子山羊と共に伏す。
     子牛は若獅子と共に育ち
     小さい子供がそれらを導く。
     牛も熊も共に草をはみ
     その子らは共に伏し
     獅子も牛もひとしく干し草を食らう。
     乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ
     幼子は蝮の巣に手を入れる。
     わたしの聖なる山においては
     何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。
     水が海を覆っているように
     大地は主を知る知識で満たされる。》
               (イザヤ書十一章から)
             (2012・8・15福島民報「民報サロン」掲載)

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『身の丈』と『身の程』

2019-10-29 06:14:13 | 日記
『自分の身の丈に合わせて勝負してもらえれば』
来年度に始まる大学入学共通テストで導入される英語民間試験をめぐり、萩生田文部
科学相の発言です。
この発言に対して、中京大の大内裕和教授(教育学)はツイッターで、
《(萩生田氏の)発言は、経済格差による教育格差の容認。ここでの『身の丈』とは
『本人の努力』ではなく『出身家庭の財力』を意味する。『教育の機会均等』を定め
た教育基本法にも違反する問題発言である」と批判した。》
            (毎日新聞 2019.10.27 20時39分)
と報じられました。
『身の丈に合った・・・』という言葉、一般的にはよく用いられる言葉です。
世の中を処して生きていくためには己の現実をわきまえ、そこから出発しなければ
いけないという教訓も含まれているのではないでしょうか。
私も、親からよく諭された言葉のひとつです。
担保も無いのに借金をしてはいけないとか・・・。
「身の程を知れ!」とは異なった意味だと考えます。
しかし、文部科学相の発言としては、やっぱりアウトではないでしょうか。

朝から すっきり晴れていましたので、バス、電車、バスと乗り継いで裏磐梯方面へ
行って来ました。
JR猪苗代駅からバスで裏磐梯方面へ行くのですが、満員。
座席に掛けることは出来ずに途中まで立っていましたので、かなり疲れました。
裏磐梯観光ホテルのロビーで、孫夫婦、ひ孫二人と合流。
磐梯山を眺め、コーヒーを頂きました。
これで、今年も秋を送ることが出来そうです。


【 『落選原稿』・・・メタボ的愛着・・・  その5 】

【よそ行き】
「よそ行き」、なんとも懐かしい言葉、ぬくもりに包まれた言葉である。
どこか貧しさの色合いを内に秘めてはいるが日向の匂いがあって暖かい。
「よそ行き」という言葉が使われなくなってしまったのはいつ頃からなのだろう。
子供の頃、普段着とは別に「よそ行き」の着物、「よそ行き」の下駄などがあった。
「よそ行き」とは、今で言うフォーマルという程の物ではなく、訪問先の家や、集
まり全体に失礼にならぬ程度に改まった服装とでも言えばいいのかもしれない。
「よそ行き」の着物は、私にとっては宝ものに等しかった。
とにかく「よそ行き」を身につけることは、晴れがましく、嬉しいことであったの
だ。
今、衣類や装飾品などは大量に市販されており、ブランドもので無ければ容易に手
に入れることが出来る。贅沢といえば贅沢になったともいえよう。
だが、少々値の張る新しい物を身につけても、子供の頃「よそ行き」を身に付けた
時の様なときめきや誇らしさを覚えることはまず無い。
食べ物にしても、戦後日本中が飢えていた頃、真っ白なお米だけで炊いたご飯を口
にした時などは、「幸せ」が口から入って身体中に充ち満ちたことを覚えている。
今、少し名の通ったレストランで少々贅沢なものを食べてみても、あの頃の白いご
飯の幸せ感には決して及ばない。何かさびしく、損をした様な気さえする。
若い頃出会った教会の牧師先生が、
『食べる物があって、食べられる身体があればそれで良し』
と教えて下さった時、
『先生、だから宗教はアヘンだなどと言われるんです』
と、食ってかかったことを気恥ずかしさと共に思い出す。
召されてから何年経ったものか、過去の方角から
〈あなたも、歳を重ねたねぇ。アッハッハ〉
と、明るく懐かしい先生の声が聞えて来る。
ところで、現在の私にとって、「よそ行き」の様に心を弾ませてくれるものは何な
のだろう。
夏の夕方、我が家への帰り道で、それって何だろうなぁと考える。
探す。
記憶の森も尋ねる。
私は重松 清さんの著書【青い鳥】に収められている短編[カッコウの卵]が好きだ。
幼い頃から、不遇な環境で育った若いカップル(女性のお腹の中には、自分たちの
子供が居る)の夕暮れどき、二人の会話のひとこま。
《俺はゆっくりと歩きだす。
「わたしたちのおうちに帰ろう」。どこの家からだろう、カレーのにおいが風に乗
って俺たちを包み込んだ。》
カレーのにおい。
それはつつましい安らぎと、懐かしさのにおいだ。
母のつくってくれたお肉の少ないカレーのにおい、【青い鳥】の香りなのだ。
「よそ行き」も、きっと【青い鳥】の仲間に違いない。
温もりだけを残して、思い出の彼方に飛んで行ってしまった【青い鳥】たちの仲間
だったのだろう。         (エッセー集「春が立ちますから」より)

    ※ この原稿は、一昨年、あるところへ応募した『落選原稿』です。
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羽生結弦さん、美しく舞ってくれました。

2019-10-28 06:05:06 | 日記
台風19号による浸水被害を受けた福島交通郡山支社では、165台のうち92台が
被害に遭ったため、私が普段利用する路線もまだ運行されていません。
少し遠いバス停(別な路線)から乗車、辛うじて礼拝に間に合いました。
遅延もあり、乗客がバスの運転手に嫌味を言う姿も見受けられますが、運転手の責任
であろうはずもなく、気の毒な限りです。
運転手さんは特段の反応は示しませんでしたが不快になったことでしょう。
安全運転の為にも走行中の運転手さんに不満を言ったりするべきではないと思います。
カスタマーハラスメントによって自殺者が出ているというニュースも聞いていますが、
みんな余裕がないというか、許容力が低下してしまったものでしょうか。

フィギュアスケートグランプリ。
羽生結弦さん、美しく舞ってくれました。
点数などはどうでもいい、氷上の舞いを見せて頂ければそれで十分。
曲は「秋に寄せて」。
私も流れるメロディーに合わせて舞っていました。


【 『落選原稿』・・・メタボ的愛着・・・その4 】
【生きて!】と。
朝の登校時、小学生達の集団が幾つか、間隔を置いて歩いて行く。
真新しいランドセルの一年生、旗を持った先頭は六年生だろうか、すれ違うと私より
背が高い。
この季節の、この時間帯が好きだ。
草木の息吹も好ましいが、一年生の姿を見ると、[春]とか[希望]とかの文字が温かく
心ににじんでくる。緊張した面差しの子、「おはようございます」と、口元を小さく
動かす気恥ずかしげな子。
子ども達。いのち達の朝の行進。
子ども達が通り過ぎてしまえば、一人一人の表情や、衣服のことなど、余程のことが
ない限り覚えてはいない。
ただ、子ども達の姿が私の記憶の奥の何かに触れ、ある懐かしさや温かさを呼び覚ま
してくれるので、そうした我が心象の内に、しばし佇んでいるだけなのだとも言えよ
う。
思い起された過去のかたちの中には、トゲや、苦さなどが含まれていない。
出会い、そして去って行った人たちへの懐かしさやぬくもりだけがある。よみがえる。
自分の幼いころの記憶をたどれば、苦しかったこと、悲しかったことなどが数多くあ
ったことは確かなのだ。
それは戦禍であったり、飢えであったり、親しい人との離別であったりもするのだが、
子ども達の元気な姿が、私の記憶の暗い部分を消し去ってくれている。
今から十七年前、私は副鼻腔に腫瘍が出来て摘出手術を受けた。術後の不安な期間を
過していた時、離れ住む5歳と2歳の孫たちが見舞いにやって来た。
病棟の食堂にあたる大広間を元気に動き回る孫たちの姿を、私は今も鮮明に覚えてい
る。
そして、「あぁ、これからは『このいのち達』が生きて行くのだ」と思った。
少し早いけれど、死が訪れたとしても受領出来るようにさえ思え、細胞検査判定まで
の数日を、私は穏やかな気持ちで過すことができたのである。
我が子を育てていた時期には、「この子等を育て上げるまでは死ねない」と、強く念
じていたのだったが、孫は違う。
孫は、あちら側に行く時に、その橋を安らかに渡らせてくれる存在なのだと思う。
いのちの継承・近未来の具現なのだから。

とんでもない震災から一年と少し経った。
岩手県沿岸の町で津波に遭い、障害を抱える孫を救い、
『オラはいいがら行げ! 生ぎろよ! こっち見るな! バンザイ!』
と叫んで、自らは津波にのみ込まれて行った女性のことを、三月頃のテレビ番組で観
た。
『生ぎろよ!』は、この方の願い、命懸けの祈りだったのであろう。
『バンザイ!』は、切ないけれども、いのちの継承を成し終えたという、叫び声でも
あっただろうか。
この方と自分が同年齢であるだけに、感じることしきりである。
私も『バンザイ』と唱和してあげたい。
「安らかに眠って下さい」と、心の内で合掌した。
子ども達は、もう通り過ぎてしまっていない。
「セシウムになど負けないで元気に生きて」
と、見えなくなってしまった子ども達に呼びかけた。
『生きて!』と。                     
            (2012・5・4福島民報「民報サロン」掲載)
      
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《潮焼けした海の男であったら嬉しい。》

2019-10-27 06:14:36 | 日記
菅原経済産業相が辞任しました。
議員に限らず、世の中「銭と物」の威力は付きものとは言え、閣僚を辞めて事が済むわけ
でもありますまい。
菅原氏は、菅官房長官に近い無派閥議員グループのまとめ役とか。
やり手の菅官房長官も見抜けなかったのでしょうか。
それとも、安倍政権がどっぷり浸かっている奢りによるものでしょうか。
不祥事続出の安倍政権にも辟易しています。


【 『落選原稿』・・・メタボ的愛着・・・  その3 】
【勤務地は太平洋】
『勤務地は太平洋』。いい言葉だ。
爽やかな潮風が吹いてくる。
新聞で読んだのか、それともテレビからでも耳にはさんだものか、いい言葉だったので
心に残った。
勤務地は?と聞かれれば、大方の人は会社名だとか、その会社の在る地名、場所などを
答えるものである。
『太平洋』はいい。
気持が大海原のように広がって行き、力強い波の音さえ聞こえてくるではないか。
誰が、こうした応え方をしたのだろう。その人に会ってみたいものだ。
漁師だろうか、それとも船乗り。
大洋漁業に出る様な大きな船舶ではなく、小さな漁船、大漁旗が良く似合うあまり大き
くない船の漁師で有って欲しい。
潮焼けした海の男で有ったら嬉しい。
雨が降っても、熱い太陽に身体を焙られても、愚痴一つこぼさず、自然を侮らず、そし
て海を愛し、感謝の気持ちが全身に満ち充ちていても、顔や言葉に出すことをためらう
ような、そんな漁師であったら嬉しい。
自分を卑下することなく、他人を見下すこともなく、〈漁師が天職〉と言える言葉が似
会う、そんな男。
この言葉に触発されて、私は、ローカル電車の車窓から目に映る人たちの勤務地紹介の
言葉を考えてみた。
田植えをしている年配の男性。勤務地は「大地」(豊葦原の瑞穂の国-----少々古めか
しいか)。
飛行機が飛んでいる。パイロットの勤務地は「大空」。
ところが次が続かない。道路の保守点検をしている人、農道を歩いている老人、店の
ガラスを磨いている中年女性、自転車にカバンをつけたままお喋りしている女子高生。
目に入って来る様々な人たちを、どう紹介したものか、はたと行き詰まってしまった。
そして、あれこれと考え始めたら、もうお手上げである。
それにしても、『勤務地は太平洋』というのは、いい。
バッチリいい。
こんな目線でそれぞれが、自分や他人の職業をもう一度見直し、新たに命名することが
出来れば世界観も変わってくるかもしれない。
そこで、私自身について考えてみた。
職業や家族内でのポジションではなく、社会的立場でもないトポスを。

[宇宙]だ。
うん、宇宙だ。
私は宇宙に生きている。
そして、私も、あなたも、私が紹介できなかった数多くの人たちも、生きているのは宇宙。

 私の詳細   『太陽系・地球・アジア・日本・東北・福島県・中通り』
 (現在時)   PM11時32分。少々散らかった茶の間、パソコンの前
 眼精疲労用の点眼薬同伴。
                  (エッセー集「春が立ちますから」より)

  ※ この原稿は、昨年、あるところへ応募した『落選原稿』です。
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