ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

五月晴れ。「鎮まる」

2020-05-31 05:55:56 | 日記
 五月晴れ。
 見事、としか言いようもない「晴れ」の日でした。
 お天気屋の私は、こんな晴れの日ですと、誰にでも、
 「こんにちは いい日ですね」
 と言いたくなるのです。
 耳目に入って来るニュースも、明るい文字、クリアな映像が目に留まって。
 本日、私の心が晴れやかなのは、昨日、お彼岸に行けなかった墓参を済ませ、心
 が穏やかになっているせいなのです。
 「穏やか」と言うより「鎮まって」いると表現した方がいいかもしれません。

 福島県立博物館館長だった赤坂憲雄先生から伺った話を思い出します。
 以前、このブログにもアップしたことがありますが、その一部を再掲いたします。

 【鎮まる】。
  いい言葉です。やさしいことばです。
  真夏の陽気でしたが、若葉の緑がまだ柔らかいので、まだ、春が居残っていま
  した。
  見上げる梢の奥に広がっている空は、海です。
  波の音も聞こえます。
  サックスの音色も。

  3年前、福島県立博物館の赤坂憲雄館長から伺った話しを思い出しました。
  館長は、「東日本大震災復興構想会議」の委員に就かれていらっしゃっていて、
  南相馬市方面を視察した時の状況を、動画を見せていただきながら、お聞きし
  たことです。

  『高台に、被害を受けずに残っている神社などが、
   車窓を通して瓦礫の向こうに見え隠れしていました。
   貝塚も被災しませんでした。
   津波は、あの高さまでは押し寄せなかったのです。
   そこは、縄文からの知恵が息づいていたのでしょう。
   明治になって、干拓や埋め立てをした場所は津波被害に遭ったようです。
   自然現象を、自らのスパンで制圧しょうという私たちの思い上がりに、
   少なからず反省させられました。』
  と、穏やかな口調で話されたのです。
  そして、『再生』のためには、
  〈死んだ者の魂を鎮めること〉
  〈その死に対して、生き残ったものは、きっちりと向かい合うこと〉
  が大切とも語られたのです。
  私は深く共鳴したのでした。

  死者の魂を鎮めることは、生きている者の魂をも鎮めることになるのでしょう。
 
 【鎮まる】
  いい言葉です。やさしいことばです。
  手持ちの知識では納得のいかないことが多くとも、 まずは、生きているもの
  が鎮まらなければいけないのでしょう。
  死んだ者たちの、声にならない思いに、耳を傾けてみなければいけないのでし
  ょう。

 【鎮める】
  生と死を一線で区切ってしまうことなどできません。
  今、生きているものだけを、それだけが存在のすべてのように捉えてはいけな
  いのです。

  「五月晴れ」は明る過ぎるせいか、心が、過ぎ去って時へ向かいがちです。
  見せて頂いた『海辺の慰霊祭』の映像に、胸がいっぱいになったことも思い出
  しました。
  沢山のいのちが津波に飲み込まれた海辺での慰霊祭でした。
  あの時、坂田明氏のサックス、「ふるさと・浜辺の歌」が、空と海とに、溶け
  こんで行ったのです
  波にさらわれた数多くの方々へも届いたはずです。

 【鎮める・鎮まる】
  若葉の奥に広がる海から、「ふるさと・浜辺の歌」が聞こえました。
  私の心が「鎮まった」のでしょうか。

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自分がボタンを押す羽目に。

2020-05-30 06:03:10 | 日記
 終戦の年、20歳で逝ってしまった姉の墓参りへ行って来ました。
 命日は24日だったのですが、日曜日はバスでのアクセスがうまく行きませんので、
 今日になってしまったのです。
 朝から青空が広がっていましたし、予報では最高気温が24度という事でしたから
 熱中症にはなりにくい気温かも、と判断してのことでした。
 バスを乗り継いで行くのですが、バスはがら空きもいいところ、私が自宅近いバス
 停から乗車した時の乗客は私一人。
 乗り継ぎはJRの駅前(始発)からの乗車となりますが、ここも私一人だけの乗客。
 途中から3人乗車、と言うところでした。

 墓地は、言うまでもなく「密」には程遠く、静かな佇まいでした。
 春の彼岸には、墓参しませんでしたので、
 「こんにちは」
 と挨拶をし、お花を供え、線香を手向け合掌しました。
 風がやや強く吹いていて、マッチを擦っても線香に火がつきませんでしたので、火
 をつけないまま、お供えしました。
 お墓に入っている父・母・姉などを思い浮かべながら、ゆっくりと合掌。
 戻りのバスまでには2時間ほどありますので、タクシーを呼んで帰って来ました。
 お天気が良かった、と言うこともありますが、お彼岸に行けなかったことが気にか
 かっていましたので、墓参を済ませることができて、心身ともにリフレッシュしま
 した。

 韓国では、新型コロナの感染者が、増加し始めたとか。
 《5月6日に市民の外出自粛などを解除し、日常生活を送りながら感染も拡大させ
  ない「生活防疫」に移行したが、約3週間で再び社会・経済活動の一部制限を復
  活せざるを得なくなった。》   (毎日新聞 5/29)
 とのことです。
 東京都も、新たにクラスターが起きているそうです。
 北九州市でも21人が感染。「第2波の入り口」か、とも懸念されています。

 2波・3波・・・避けるわけにはいかない事なのでしょう。
 とにかく、ワクチンや、有効な治療薬ができるまで、それぞれが自身に合った予防
 対策を続ける以外にはないのかもしれません。

 家に戻ってから、新聞を読みました。
 『仲畑流万能川柳』の秀逸句に、
   ☆ 誰一人ボタン押さないエレベーター   糸島  いとの波平
 が載っていました。
 思わず苦笑いを。
 今日、バスを降りる際、少ない乗客であるにもかかわらず、誰かがボタンを押すの
 を待っていた私です。
 でも、押す人は無く、停留所の極間近で自分がボタンを押す羽目に。
 運転手さんは苦言こそ言いませんでしたが、やや不快さが、その横顔に現れていた
 のでした。
 ごめんなさい、です。
            〈ゴマメのばーば〉
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来ました 来ました アベノマスク。

2020-05-29 06:10:32 | 日記
 来ました 来ました。
 アベノマスクが来ました。
 二階の窓から空など眺めていましたら、郵便配達人らしき方が、一軒ずつポストに何
 か配布しています。
 アベノマスク?
 すぐに我が家の郵便受けをみましたら、届いていたのです。
 「小さい」と評されていますが、私にはちょうどいいサイズです。
 手に取って、しみじみ眺めました。

 様々な瑕疵が顕在しているマスクです。
 もう、いらない、と言いたいのがホンネ。
 それに、このマスクの契約に関しては不透明な部分も大いにありなのです。
 通常の売買取引の場合は、商品に隠れた欠陥等があった場合、売り主が賠償責任を負
 うことになっていますが、契約を交わした5社の内、「興和」1社とは、この契約を
 結んでいなかったとのこと。
 《興和との契約書には「本契約の取引が非常事態への対応として実施されること
  に鑑み、納入現品について隠れた瑕疵を発見した場合でも、「興和」に対し責
  任を追及しない」となっていた。》 (毎日新聞5/28)
 と、報じられています。
 「非常事態」とは言え、何か杜撰な政府の対応である様な気がします。
 でも、届けられたマスクそのものに、あれこれ言ってみても始まりません。
 とにかく、ストックしてあるマスク入れの中に入れて置きました。

 二日ほど前、もう少しマスクは備えておいた方がいいから、と言って、長女が市販の
 マスクを持ってきてくれています。
 ありがとうです。
 ついつい、「まあ なんとかなる」からと、備えを怠りがちな私たち夫婦を、常日頃
 から見ている上での娘なりの心遣いだったのでしょう。

 暫くぶりで、JA即売所へ行って来ました。
 季節の野菜が沢山出ていました。
 フキ ワラビ と一緒に、カブ にんにくの芽 等々買ってきました。
 陳列台に豊富に並べられている瑞々しい野菜は、見ただけで元気になれそうです。
 本当は、もうちょっとあれこれ眺め、手に取って見たかったのですが、長居はまだし
 ない方がいいかも、と考えて、引き上げました。
 早く、ゆっくりと買い物ができるようになれば嬉しいのですが。

 新型コロナウイルス感染の「第2波」を意識した医療機器や防護具、検査機器の国産
 化が急がれているなか、PCR法などの効率を大幅に向上させる「全自動検査」の国
 産体制が進みつつある、とも報じられています。
 コロナ、第2波とのニュースも入って来ました。
 早く、整って欲しいと願う事しきりです。
                 〈ゴマメのばーば〉
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異議ありです。

2020-05-28 06:08:47 | 日記
 気持ちよく晴れていましたので散歩へ。
 日差しが強くならないうちに朝、9時に出発。
 田んぼが広がり、山並みの望める南西方向コースでした。
 見上げますと「すじ雲」がほどけて、天衣を纏った天女が数人ゆったりと舞ってい
 る様です。
 田んぼの水面に映る雲は、ちんまりとした綿雲。
 北は安達太良山、南南西に那須の茶臼岳もくっきり姿を見せてくれていました。
 田んぼを渡る風は、爽やかそのもの。
 立ち止まって深呼吸をしました。
 美味しい空気でした。
 体が浄化される気がします。
 誰かに、この状態を知らせたくて近所に住む長女に電話。
 「あぁ、よかったね」
 と、そっけない応え。
 きっと、洗濯物を干したりして忙しかったのでしょう。
 ひ孫のUちゃんが通っている幼稚園周辺の道も通りました。
 園庭に児童たちの姿は見えませんでしたが、室内から、
  「先生 おはようございます。」
  「みなさん おはようございます。」
 と、挨拶を交わしている言葉が窓から流れ出していました。
 Uちゃんの声を聞き分けることなどできるはずはありませんのに、耳に神経を集中
 して聞いているのは、身びいきの、バカな、ひい婆さん、そのものでした。
 途中、出会ったのは、犬を散歩させていた高齢の男性だけでした。
 どちらからともなく、「こんにちは」と。
 やっぱり、人と出会った時は挨拶することで和んだ空気が流れます。
 1時間ほどの散歩でした。
 心身のリフレッシュができた今日の散歩でした。

 ところで、東京高検検事長を辞職した黒川弘務氏ですが、各方面から処分が軽すぎ
 るとの批判が出ています。
 国家公務員法による懲戒処分ではなく、法務省の内規に基づく訓告処分というのは、
 法に疎い私であっても疑問を持たざるを得ません。
 毎日新聞(5/27)よれば、
  《防衛省によると、17~18年に自衛隊員が賭けマージャンで処分された
   のは4件あり、計19人が停職5~30日の懲戒処分を受けたという。》
  《共産党の藤野保史氏は、安倍晋三首相が「検事総長が(黒川氏を訓告)処
   分し、その報告を私は了とした」と説明していることに疑問を呈した。
   国家公務員法84条は「懲戒処分は任命権者が行う」と定めており、藤野
   氏は「懲戒にするかしないか、という判断は内閣がしなければならない。
   (首相の説明は)法律に反する」とただした。》
 と報じています。
 かつて国家公務員の端くれだった私としても、この処分には異議ありです。
                  〈ゴマメのばーば〉
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『あるね。共感ということだ。』

2020-05-27 06:13:56 | 日記
 暫くぶりに、ひ孫のUちゃんがパパに連れられてやってきました。
 近くに居住はしているものの、コロナ関連で、このところ接触を自粛している私た
 ち親族です。
 孫(Uちゃんのパパ)は医療業務従事者ですから、自身へも私たちへも、しっかり
 した自粛を求めています。
 Uちゃんはこの四月から幼稚園に入園し、入園式は済ませたものの、すぐに休園と
 なり、25日から登園しています。
 でも、入園式の日は、ちょっとだけ寄ってくれて、玄関先で記念写真を一緒に撮っ
 てくれました。
 家に入って遊んでくれたのは、2か月ほど前になるでしょうか。
 声が聞きたくて、姿が見たくて、ラインで送られてくる動画を一日に何回も見てし
 まう私です。
 暫くぶりの面会はとても嬉しいものでした。
 帰りしなに、連れ合いが、「おみやげ」だと言ってUちゃんに手渡したビニール袋
 の中には、近くの100円ショップででも買ったものか、こまごまとしたシールや
 ら折り紙の類が入っていました。
 連れ合いもまた、Uちゃんに会いたくなった時に買い求めた物であろうかと想像し
 て思わず笑が込み上げてきました。

 批評家で詩人の若松英輔さんは、新型コロナに関して、毎日新聞(5/26)に、
 次の様に語られています。
 《ある所では自粛要請に従わない人々への批判が過熱している。
   一方的にたたくのではなく、自粛できない理由に潜む問題を見極め、改善
  されるよう声を上げる方が良いのではないか。
  自分は正しい、相手が間違っているとの姿勢は、国に置き換えれば、全体
  主義にほかならない。
  フランシスコ・ローマ教皇は、
  「私たちを今後ひどく襲う危険があるのは、無関心な利己主義というウイ
   ルスだ」
  と語っている。
  私たちは自らの弱さに向き合い、誰もが「共にある」社会へと変貌できる
  だろうか。》     (聞き手・野村房代)

 強い言葉は用いていませんが、私も共感いたします。
 カミュの『ペスト』の中で、筆者が語る言葉を思い起こします。
  『・・・善き意志も、豊かな知識がなければ、悪意と同じくらい多くの被
   害を与えることがありうる。
   ・・・・・・最も救いのない悪徳とは、自らすべてを知っていると信じ、
   そこでみずから人を殺す権利を認めるような無知の、悪徳にほかならぬ
   のである』
 そして、ペストの渦中にある市内で働き続ける医師のリウーは、〈心の平和に到達
 するためにとるべき道について、次の様に答えるのです。
 『あるね。共感ということだ。』(「ペスト」 カミュ 宮崎峰雄訳 新潮文庫)
 と。

 まだまだ、終わりが来そうもない新型コロナ。
 不安や、苛立ちを覚えることも多いのですが、考えさせられることも多いのです。
 早く、全世界からコロナ終息を告げる祝賀の歓呼を聞きたいものです。
                         〈ゴマメのばーば〉
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