ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

《たとえイバラの道だとしても、・・・》

2023-02-28 08:03:00 | 日記
朝から良く晴れた気持ちのいい日和でした。
歩いていて、見知らぬ人にさえ「いいお天気ですね」と、すれ違いざまに言ってしまいます。
体調もgoodでしたので、普段はあまり利用しないバスに乗って街中まで出かけてみました。
買い物などはせず、駅前のターミナルから我が家へ戻るバスに乗車。終点(我が家から2キロちょっと離れた団地)まで乗車し、そこから、なだらかな坂道を空や山を眺めなら、ゆっくり歩いて家に戻りました。
バス併用の散歩と言うところでしょうか。
さほどの距離を歩いたわけではないのに、疲れました。
でも、心地よい疲れです。
家で脚を延ばし軽くマッサージして、夕食の支度を。
さぁ春だ! そんな気分の一日でした。

政府が防衛力強化として打ち出した「反撃能力」について、政府の憲法・法律解釈の最高機関である内閣法制局の長を務めた阪田雅裕氏は、憲法9条との整合性に厳しい目を向けています。

《「ミサイル発射基地への攻撃が可能であることと、普段からそうした装備を持つことは全く違う次元の話なのです。反撃能力を持つことは、まさに憲法9条が禁じた戦力を持つことです。
GDP(国内総生産)比2%の防衛費は世界第3位。量的な意味でも、反撃能力を持つという質的な意味でも、日本の自衛隊はすでに専守防衛の組織でなく、戦争に参加できる『普通の国』の軍隊と何ら、変わりはありません。
9条が守ってきた平和主義を放棄するものと言わざるをえません」》
          (毎日新聞 2023/2/24 東京夕刊より)


この論理、「法」に疎い私にも良く分かります。
そしてまた〈阪田氏は、日々危機感を募らせている〉と同新聞に記されていました。

《「憲法の条文をそのままに、全く違う解釈にするのは、立憲主義による統治が形骸化しているということ。
憲法に従った統治で日本が守れないとすれば、やはり改憲の必要があると国民に説明し、理解を求め、賛成を得てやるのが王道。
もし国民がそれはダメだというなら、たとえイバラの道だとしても、軍備増強ではなく、9条が当初意図したような日本独自の平和主義国家をもう一度目指すべきです。」》


全く、同感です。
体調が上向きになって来ますと、またまた「もの言い」したくなるばーばです。
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『私には夢がある』

2023-02-27 08:06:26 | 日記
誕生日でもありましたし、暫くぶりに教会での主日礼拝に出席しようと昨日から準備をしていました。
ところが朝起きてみたら一面の雪。
数センチの雪が積もっていたのです。
バスで行くには足元に若干不安を覚えます。
風も強く、こうした日はタクシーも思う通りの予約ができません。
迷いましたが、先週に倣って自宅で、一人での礼拝をいたしました。
その後、九州の東八幡教会での礼拝にネットで参加させていただきました。

東八幡教会・奥田知志牧師の説教テーマは、
  『ちゃんと夢みてますか。喜びがあふれますよ』
        (ヨハネによる福音書16章24節)※
     ※今までは、あなたがたはわたしの名によっては
      何も願わなかった。
      願いなさい。
      そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。

1964年にノーベル平和賞を受賞したマーティン・ルーサー・キングの言葉『私には夢がある』を引用されて、私たちも、ウクライナの戦火が止まない現在、「夢」をしっかり持って、絶望の山から希望の石を切り出そう。
そうした祈りを主のみ名によって祈っているかと、と問いかけて下さいました。
私にとって心に沁みる説教でした
キング牧師の「言葉」の一部を掲載させていただきます。

「私には夢がある」
1963年8月28日
今日私は、米国史の中で、自由を求める最も偉大なデモとして歴史に残ることになるこの集会に、皆さんと共に参加できることを嬉しく思う。
100年前、ある偉大な米国民が、奴隷解放宣言に署名した。今われわれは、その人を象徴する坐像の前に立っている。この極めて重大な布告は、容赦の ない不正義の炎に焼かれていた何百万もの黒人奴隷たちに、大きな希望の光明として訪れた。それは、捕らわれの身にあった彼らの長い夜に終止符を打つ、喜び に満ちた夜明けとして訪れたのだった。
しかし100年を経た今日、黒人は依然として自由ではない。100年を経た今日、黒人の生活は、悲しいことに依然として人種隔離の手かせと人種差別 の鎖によって縛られている。
・・・・・・中略・・・・・・
絶望の谷間でもがくことをやめよう。友よ、今日私は皆さんに言っておきたい。われわれは今日も明日も困難に直面するが、それでも私には夢がある。それは、アメリカの夢に深く根ざした夢である。
私には夢がある。それは、いつの日か、この国が立ち上がり、「すべての人間は平等に作られているということは、自明の真実であると考える」というこの国の信条を、真の意味で実現させるという夢である。
私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。
私には夢がある。それは、いつの日か、不正と抑圧の炎熱で焼けつかんばかりのミシシッピ州でさえ、自由と正義のオアシスに変身するという夢である。
私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である。
今日、私には夢がある。
私には夢がある。それは、邪悪な人種差別主義者たちのいる、州権優位や連邦法実施拒否を主張する州知事のいるアラバマ州でさえも、いつの日か、そのアラバマでさえ、黒人の少年少女が白人の少年少女と兄弟姉妹として手をつなげるようになるという夢である。
今日、私には夢がある。
私には夢がある。それは、いつの日か、あらゆる谷が高められ、あらゆる丘と山は低められ、でこぼこした所は平らにならされ、曲がった道がまっすぐにされ、そして神の栄光が啓示され、生きとし生けるものがその栄光を共に見ることになるという夢である。
これがわれわれの希望である。この信念を抱いて、私は南部へ戻って行く。この信念があれば、われわれは、絶望の山から希望の石を切り出すことができ るだろう。この信念があれば、われわれは、この国の騒然たる不協和音を、兄弟愛の美しい交響曲に変えることができるだろう。この信念があれば、われわれ は、いつの日か自由になると信じて、共に働き、共に祈り、共に闘い、共に牢獄に入り、共に自由のために立ち上がることができるだろう。
・・・・・・後略・・・・・・
        ☆下線は筆者
      (「国務省出版物」ネットからお借りしました)


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いつも喜んでいなさい。

2023-02-26 07:29:47 | 日記
本日86歳を迎えました。
「ヘェー」「イヤー」
自身に対して、そんな言葉が漏れ出て来ます。

86年前に生まれ、取り上げて下さったお産婆さんから、「育つかどうか分からない」と言われたという超未熟児の私です。
末っ子ということもあって、貧しい暮らしではありましたが、ちっぽけな「いのち」の私を、親は勿論、姉や兄も大切に可愛がってくれました。
いつも誰かに、抱っこや、負んぶをねだっていたような気がします。
幸い、徐々に成長はしたようですが、何をやっても「出来の悪い児」でしたので、家族の誰も私の事は当てにはしません。
もちろん、期待もされません。
みんなの邪魔にならない様にだけして育ちました。

長じて私が結婚する時、母の一番の気がかりは、家事も良く出来ない末っ子が、子どもを産み育てて行けるだろうか、・・・これが母の大きな心配の種だった様です。
その後、病も色々得ましたし、現在も症状こそありませんが肺にガンを抱えています。

ひ孫が今春一年生になります。
新しいランドセルも買いました。
下のひ孫も幼稚園へ。
嬉しい限りです。

「生きた」のではなく「生かされている」というのが実感です。
特段、役に立つことなどしていない私です。
これでいいのかしらん、との反省は抱いていますが。
でも、次の「ことば」に支えられて生きています。

いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。
これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。(テサロニケの信徒への手紙(一)5章16~18節)


何もできない私を、叱咤激励するのではなく、『いつも喜んでいなさい。』と言って下さる神さまに感謝です。
コメント (2)
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1年と言う節目に。

2023-02-25 07:41:28 | 日記
《ロシアのウクライナ侵攻開始から24日で1年。
第2次大戦後の欧州で最大の戦争を始めたプーチン、占領された領土の奪還を目指すウクライナのゼレンスキーの両大統領とも「勝利」に向け強硬姿勢を維持している。
停戦のめどは立たず、ウクライナに武器供与する米欧とロシアの対立は深刻化。戦闘は一層激化する兆しも見える。》 (共同通信 2/23)


《ロシアに連れ去られたウクライナの子どもはこれまでに1万6000人以上。
そのうち親元に戻れるのはわずか300人程度です。
連れ去られた子どもはどうなるのか。
・・・中略・・・
救出活動を行う団体は施設で「洗脳や再教育」が行われていると話します。》(2/23 TBSNEWS から)


ロシアがウクライナに侵攻してから1年経過。
1年と言う節目に、停戦・和平への動きが出てくることを祈る気持ちで待っていましたが残念です。
各国の対応も、国際間の正義や道義は自国の置かれている経済情勢によって異なってきますから、「侵略」という行為に対する制裁処置も異なって来るのは当然の現実です。
歴史は、こうして、戦争を繰り返してきました。
テレビのニュースは、ロシアのウクライナに侵攻したニュースに溢れていますが、知恵ある指導者は出て来ないものでしょうか。
こうした状況に、暗く悲しい気分に落ち込みそうになります。

ワイドショーに出演しているゲストの方達も、口々にロシアの非道・理不尽さを指摘しています。
私も、ロシアの侵攻を是とするものでは決してありません。
でも、且つて、日本が太平世戦争を戦っていた頃に幼いながら受けた軍事教育を思い出してしまうのです。
日本も、占領国の子ども達に「日本語教育」をしました。
「神国日本」のイデオロギーも強要しました。

プーチン大統領は、戦死者の母親の集まりで、『カルトオブデス』(祖国のために英雄として死ぬことは素晴らしい)と語っていたとか報じらています。
太平洋戦争中の日本も全く同じでした。
軍歌ひとつ取って見れば一目瞭然です。
今でも、歌を聞くと涙がこぼれる軍歌・「同期の桜」の歌詞1番にも謳われています。

  ♪ 貴様と俺とは 同期の桜
    同じ兵学校の 庭に咲く
    咲いた花なら 散るのは覚悟
    みごと散りましょ 国のため


戦争とは、いかなる大義名分があろうとも悍ましい行為です。
日本国憲法には、
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
と、謳われています。
今こそ、憲法が何故制定されたのか、再考してみようと考えているばーばです。
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「時」を待つ。

2023-02-24 08:09:06 | 日記
最近テレビのニュースは、NHK、民放も併せてあまり観なくなりました。
全ての番組ではありませんが、賑やか過ぎて落ち着かないからです。
キャスターも以前と比べますと、ゼスチャー過多で饒舌。
説明もサービスが多すぎて、うるさい。
天気予報なども、解説が丁寧に過ぎる様な感じ。
「夕刻には雨になるでしょう」
との予報に続けて、
「折り畳み傘を持参した方がいいでしょう」
と、細やかな指示まで与えてくれています。
こうした「話し方」が当世の標準なんですかねぇ。
(昔びとのばーさんの感性です。ごめんなさい。)

今朝の毎日新聞(2/23)の「仲畑流万能川柳」欄に、次の様な作品が載っていました。
 『静けさが なくなってきた NHK』 大阪四句八句 氏
好きだったニュースキャスターなども、私にとっては賑やかになり過ぎて、疲れを覚えたりしてしまいます。

NHK、朝の連続テレビ小説・「舞いあがれ」は、楽しんで観ています。
この番組を観るまで、「ネジ」のことなど改めて考えたことなどありませんでした。
でも、「ネジ」って、すごい働きをしていることに思いを馳せています。
決して目立はしないのに、いや隠れて見えないのに、それぞれのパーツを繋ぎ合わせる大きな働きをしていて・・・
自己顕示などしないだけに「存在美」すら覚えます。

考えてみると、世の中には、こうした「ネジ」に当たる「人」や「働き」って、沢山在るのではないでしょうか。
「長」とか「役」とかが付いて、全体的なまとめ役する人は居なくてはならないのですが、「ネジ」に当たる人たちは、あまり目立ちません。
でも、埋もれた宝石の様な存在なのでしょう。

昨日は体調が良好でしたが、本日は少々すぐれません。
まあ、様々な日があるのでしょう。
良いことも長くは続きませんが、悪しきことも、また、いつか終わりが・・・
すべての事には「時」がありますから。

  【コヘレトの言葉】 第3章1~8節
    天の下では、すべてに時機があり
    すべての出来事に時がある。
    生まれるに時があり、死ぬに時がある。
    植えるに時があり、抜くに時がある。
    殺すに時があり、癒すに時がある。
    壊すに時があり、建てるに時がある。
    泣くに時があり、笑うに時がある。
    嘆くに時があり、踊るに時がある。
    石を投げるに時があり、石を集めるに時がある。
    抱くに時があり、ほどくに時がある。
    求めるに時があり、失うに時がある。
    保つに時があり、放つに時がある。
    裂くに時があり、縫うに時がある。
    黙するに時があり、語るに時がある。
    愛するに時があり、憎むに時がある。
    戦いの時があり、平和の時がある。
               (聖書協会共同訳)


ウクライナにもロシアにも「平和」の訪れる「時」を祈念するばかりです。
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